第3話② 水瀬結月 その1

 微妙につーんとしてしまった結月さんに気づくことなく、俺たちの数歩先に楽しそうに歩いていた日菜さんが、とある場所で足を止める。


「ん? どうしたの?」

「光輝くん、ちょっとここに寄っていい?」

「……本屋?」


 彼女の視線の先には、大手チェーンの書店があった。


 

 ×××



「さっすが大書店! 品揃え見るだけでも壮観だね! ちょっとあたし色々見てくるね!」


 嬉しそうにはしゃぐ日菜さんは、そびえ立つ本棚の壁の間に消えていってしまった。


「へえ、日菜さん、本好きなのか」

「光輝さん、『似合わないなあ』って顔してる。日菜に言いつけちゃいますよ?」


 結月さんがクスっと笑う。……どうやら機嫌を直してくれたらしい。


「うっ……。まあ、自分の学生時代を振り返っても、日菜さんみたいな派手目な子は読書してるイメージなかったし。結月さんはぴったりだけど」

「ふふっ、ありがとうございます。でも、我が家では日菜が一番の読書家なんですよ」

「そりゃまた意外」


 水瀬は典型的なパリピリア充って感じだったから、本なんてあまり読んでなかったんじゃないだろうか。


「彼女はどんな本が好きなの? ……って聞いちゃまずいかな」


 本の趣味趣向ってかなりプライベートな気がする。このハラスメント全盛時代、立ち入りにくい話題かもしれない。


「別にいいと思いますよ。何でも読んでるみたいですけど、やっぱりフィクションが好きみたいですね。大衆小説とかマンガとか……それからライトノベルやライト文芸なんかもすごく好きみたいです」

「……ラノベにライト文芸、か」


 思わず呼吸が止まっていた。

 妙な反応をした俺に、結月さんが不思議そうな顔をする。


「……光輝さん?」

「あ、ああ。いや、何でもないよ。俺も本は好きだし、ラノベもかなり嗜むしさ。おお!って思っただけだよ」


 一瞬、いい年したアラサーがオタク趣味をオープンにするとか引かれるかな……と思ったが、俺の普段の身なりや言動からオタクっぽいのはバレバレだろうから、無理するのはやめておいた。一緒に暮らすわけではないとはいえ、今後も彼女たちを支援するならいずれは分かってしまうだろうし。


 半ば予想通りではあったが、結月さんも気にした風はない。


「へえ、そうなんですね。でも、日菜が好きなのは女の子が主人公の、甘い恋愛物みたいですよ。男の人からしたら胸やけするんじゃないかなあ」

「別にそうとは限らないでしょ。俺も妹が持ってる少女漫画とか読んだけど、作品によっては普通に面白かったし」


 個人的にはBLとかじゃなければそこまで抵抗感はない。小説投稿サイトの女性向けランキングに乗ってるような作品もたまに読んだりしていた。

 ……まあ、それは単に趣味、というだけではなかったのだが。


 しかし、結月さんが引っかかったのはそこではなかったようで。


「……光輝さん、妹さんいらっしゃったんですか?」

「ん、ああ。言ってなかったっけ? 俺の4つ下……だから結月さんの2つ上か。とはいっても、来月から大学院生だから、あと2年は学生なんだけどさ」

「院進学……ということは、妹さんは理系なんですか?」

「うん。理工学部の化学科。最近よく言われるリケジョってやつかな」


 この言い方はあんまりよくないかもしれんが。あと理系ではあるが、あいつの性格はあんまり理屈っぽくはない。


「そうですか……」


 すると、結月さんはなぜか押し黙ってしまった。

 数秒遅れて、俺は自分の失言に気づいた。


「……ごめん。結月さんからしたらあんまり面白い話じゃなかったな」


 彼女は元々理数科目のほうが得意で、大学も理系の学部に進学したかったらしい。

 しかし、理系は私立だと学費も文系より2、3割高いし、授業も忙しいからバイトもあまりできない。本格的に勉強したければ、それこそ灯里のように院進学も前提になってくる。


 最終的には国立大に受かったから学費の支出は少なく済んだものの、高校3年生の時に理系進学は諦めたそうだ。ちなみに、彼女は現在、経済学部に所属している。就職に有利だとされるし、得意だった数学が活かせるからだろう。


 いまだに呑気に親の脛をかじっている年上の話を聞いたら、嫌な気分になるのも当然だ。

 

 教育の機会だって不平等。連鎖する格差。


 実家も周囲も中流育ちの俺にとっては遠い話でしかなかった社会問題が、結月さんたちと接していると、否応なしに身近なものとして感じざるをえない。

 ……いや、実のところ、大学進学が検討できるだけ、彼女たちでさえ十分に恵まれているほうなんだろう。


「い、いえ、そんなことないです! 正直、……少しだけ羨ましいなあ、とは思っちゃいましたけど」


 結月さんは困ったように頬を掻く。


「結月さん、何度も言うけどもし……」


 やりたいことがあるなら……

 そう提案する前にまたシャットアウトされるかと思ったのだが。


「それなんですけど」

「え?」

「光輝さん、私考えたんです。私が光輝さんに頼りたいこと……甘えたいこと」


 結月さんは、両手がエコバックで塞がっている俺の腕を軽く掴むと、優しく俺を促した。


「こっちに来てください」


 そう言われて、彼女の後ろをついていった。


 ……そこは。


「就活本コーナー?」

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