第55回 違和感


 あくる日の朝、俺と風間が向かっていたのは、野球帽の藤賀がいる病室だ。


「え……それじゃ風間さんって、コンビニダンジョンのときから、一度もあいつと会ってないんですか?」


「うむ、実はそうなのだ。というかだな、わしらの立場を考えればわかるだろう」


「あー……」


 警備員と高校生じゃ、確かに接点はないか。下手すりゃ風間が不審者扱いされそうだしな。


 三つ目のマーカーが近づいてくる。いよいよ野球帽との再会ってことでドキドキしてきて、それが妙に腹立たしかった。なんであんな生意気なやつと会うのに緊張なんてするんだか。


 こんなことなら、サプライズ訪問なんて余計なことは考えずパーティー通信のみで済ませておけばよかったな……っと、着いたみたいで、マーカーが三つ重なるのがわかった。この病室か。


 俺たちは周囲からの視線をカーテン越しに感じつつ野球帽の姿を探したが、見つからなかった。んー、それらしいのがいないな。でも、マーカーはここにあるし、確かにいるはずなんだが……。


「佐嶋よ、あの子、可愛いと思わんか?」


「えっ?」


 鼻の下を伸ばした風間の視線を辿ってみると、そこには短い髪の少女がぼんやりとベッドの上に座っているところだった。


 いわゆる、ボーイッシュな女の子ってところか。確かに見た目は可愛いし、モテそうだな……あ、こっちと目が合ったと思ったら、笑顔で会釈されてしまったのでこっちもつい頭を下げてしまった。おいおい、風間がデレデレしながら手を振ってるし、なんか腹立つなあ。


 それにしても、あんなにいい子が野球帽ならどれだけいいか。あいつは真逆だからな……って、どこか顔が似ているような……? いや、まさかな――


「――すみませんが、藤賀さんのご家族の方ですか?」


「「あっ……」」


 後ろから看護婦に声をかけられた。え、今、藤賀って言ったよな。この子が野球帽だったのか……。


「違うのでしょうか?」


「あ、いや、俺は野球帽――じゃなくて、藤賀の友達みたいなもんです」


「わ、わしは、こやつの親みたいなもんでなっ」


「なるほど……。実は彼女、記憶喪失なんです」


「「記憶喪失っ!?」」


「はい。ただ、正確に言うと一過性健忘症なので、回復するまでそう時間はかからないそうですよ。なので、不安かもしれませんがどうかご安心ください。それでは」


 看護婦が立ち去るところを、俺と風間はしばらく呆然と眺めていた。なるほど、記憶喪失ならこれだけ野球帽の雰囲気が変わるのも仕方のない話か。っていうか、あいつが男じゃなくて女だったとは。立て続けに驚かされたので眩暈がしそうだ。


「――あの、そこの方々、私のお友達ということでしたけど、ごめんなさい。記憶がなくって……」


「あ、あぁ……」


「いやいや、いいのだよ、しっかり休みなさい」


「はいっ」


 風間がキリッとした顔でぽんぽんと野球帽の肩を叩いている。おいおい、友達の親って設定なのに随分と馴れ馴れしいなあ。


 それにしても、記憶がないってだけでこんなにも変わるものなんだな。


 野球帽が記憶のない女子高生だとわかって風間はいかにも嬉しそうだが、俺は複雑な心境だった。


 むしろ、久しぶりにあいつと口論でもしたい気分だから、なんとも奇妙な話だ。あんな生意気なやつよりこっちのほうが断然いいんだけどな。礼儀正しい素直な女子高生に対して、本来の意味での野球帽が勝ってるところなんて何もないはずなのに、妙に寂しさみたいなのを覚えていた。どうかしている。


「あの、そこのお方、元気がないように見えますけど、大丈夫ですか?」


「え、俺?」


「ですよー」


「べ、別に、大丈夫だよ。なんともない」


「でも、私にはそうは見えません……」


「えぇ?」


「きっと、本来の私というのは、あなたに愛されていたんですね――」


「――ブハッ!」


 野球帽の衝撃的な台詞とともに、お茶を噴き出す風間。俺もなんか飲んでたら零してたかもしれない。愛されてるって……逆だろ、逆逆……。


「ど、どうしたんですか?」


「い、いや、なんでもないのだっ、プププッ……。そ、そりゃ、もう、ラブラブだったぞ?」


「か、風間さん、なんてことを……」


「そ、そうだったんですね。まさか、私の彼氏さんだったとは。早く思い出さなきゃいけません……」


 おいおい、おいおい……一体、何が始まろうとしているんだ、これは……。


「風間さん、さっきからやたらと面白がってますけど、野球帽が過去を思い出したら、頭をバットでフルスイングされますよ。もしスレイヤーだったら、タダじゃすまないでしょうね」


「ひっ、ひいいっ」


 野球帽の本来の姿を思い出したらしくて、風間が見る見る青ざめてていい気味だ。


「あのぉ、野球帽ってなんのことですか?」


「あ、あぁ、藤賀、あんたは野球帽をいつも被ってたから、俺たちはそう呼んでるんだ」


「それじゃあ、私って野球が好きだったんでしょうか」


「……かもなあ? ねえ、風間さん」


「う、うむっ」


「俺もよく知らないけど、ユニフォーム姿でバットも持ってたからな。その可能性は高いんじゃ?」


「へぇ。自分のことなのに、不思議な感じですね。早く思い出したいです」


 遠い目で窓の外を見やる野球帽。こうして横顔を見ていると、顔が同じなのにまったくの別人に見えるんだから不思議なものだな。


「あ、そうだ、あのさ――」


「はい?」


「――いや、なんでもない。もう帰るよ」


「はいっ」


 俺が足早に病室を出ると、少し経って後ろから慌しい足音が近づいてきた。


「さ、佐嶋よ、わしを置いていくなっ」


「二人でラブラブしてたらいいんじゃないですか?」


「佐嶋が余計なことを言うから、恐ろしくてかなわんわ! それより、何を言おうとしてたんだ? まさか、本当に野球帽に惚れたのかあ?」


「……いえ、あんたは野球帽を被ってるほうが似合うって言おうとしたんです。でも思い出したら、また野球帽って言うなって文句を言われそうな気がしたんで」


「確かに、違和感バリバリだったのー。ただ、野球帽なんか被ってない藤賀ちゃんのほうがわしは好みだが……」


「……風間さん、あいつの記憶が戻ったら告げ口しますよ」


「ちょっ!? それだけはやめてぇん!」


 風間の素っ頓狂な声が病院の廊下に響き渡った。

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