第29回 使命感


「…………」


 廊下に戻った俺は、そこでしばらく耳を澄ましてみたわけだが、微かに荒い息遣いを感じた。間違いない。この近くに、あの怪我をした女子生徒のいる階段へのワープゾーンがあるはず。


 気になるのは、その子の状態だ。正直もう助からないような出血量に見えた。それでも、最期を看取る意味でも、なるべく急がないといけないと感じたんだ。


 思えば、俺がスピードにここまで極端に振るのは、片足を失ったことといい、風間を追いかけたことといい、そして野球帽や女子生徒を助けるためといい、極めて運命的なものだったのかもしれない。俺の理想のスレイヤー像が少しずつ見えてきたな……。


「っ!?」


 近くにあった、職員室の扉に触れた瞬間だった。景色が変わり、目の前には階段があって途中の踊り場には例の女子生徒がうずくまっていた。


「おい、大丈夫か!?」


「……はぁ、はぁぁ……た、助けて……かはっ……!」


「…………」


 少女が大量の血を吐き出すのがわかる。もう助かるまい。その直後、階段を駆け上がって来る音がして心臓に悪かったが、風間だった。


「さ、佐嶋よ、わしを置いていくなとあれほど言っただろう!」


「爺さん……いや、風間さん、今はこういう状況なんですから、静かにしててくださいよ……」


「む、むうぅ……」


「大丈夫だ、もう、心配するな」


「……コホッ、コホォッ……ほ、ほん、とう……? スレイヤーさんです、か……?」


「……あ、あぁ、そうだ。だから安心しろ」


 俺は一瞬ためらったものの、この子を安心させるために、あえて嘘をつくことにした。


「……そっか。よかった……あ、ありがと、です……」


 少女はそうつぶやいたあとまもなく息を引き取ったが、とても安らかな顔つきをしていた。これでよかったとはいわないが、少しでも安心してあの世へ逝ってもらったほうが後味はいいからな。


「佐嶋よ、せめて合掌してやるかの」


「ですね……」


 俺たちはその場で風間とともにしばらく手を合わせたあと、階段を慎重に上がっていくことにした。この子を殺したのが一体誰なのか、その正体を絶対に突き止めなければいけないという、使命感めいたものが生まれていたからだ。


「な、なあ、佐嶋よ……」


「……なんですか?」


「なんか危険な臭いがするし、やっぱりやめといたほうが――」


「――風間さん、それじゃここでお別れってことで……」


「わ、わかったからわしを一人置いていかないでぇっ!」


 確かに風間の言うように危険かもしれないが、こっちはボスがいる方向ではないし、スピード自体は既に下級スレイヤー並みにあると思うから、いざとなれば逃げ切ることもできるはず。


「「――なっ……!?」」


 階段を上がったと思ったら、ワープゾーンがあったらしく俺たちは教室の中へ飛ばされていて、そこには想像を絶する光景が広がっていた。


 机や椅子の上には人間の歯や眼球、頭皮のついた髪の毛が分離した状態で無造作に置かれ、窓、壁、黒板、床に至るまで、真っ赤な手形がこれでもかと散乱していたのだ。


「……うぐっ……」


「お、おげええぇっ!」


 俺は思わず口元を押さえる。鼻だけではなく、口からも侵入してくるかのような酷い悪臭が漂っていて、おぞましい光景も相俟って風間が嘔吐するのもわかる。さらに、あのコンビニダンジョンを思い出すとともに、例の虐殺者のことが脳裏に浮かんだ。


「う、うぷっ……さ、佐嶋よ、早くここから出るぞいっ! はぁ、はぁ……こ、これは、やつの仕業だ。は……羽田とかいう異常者だっ、やつがやったことに違いないっ……おえっ……!」


「…………」


 風間も俺と同じ考えだったらしい。もしかして、羽田京志郎もこの学校ダンジョンに来ているというのか……? これをやったのがあいつであるという証拠はないが、モンスターがこんなことをするとは思えないし、なんせやつには死体クリエイターなんていう肩書もあるからな……。


「そ、そういや、佐嶋もネクロフィリアだったな。や……やはり、興奮するのか……? お、おええぇっ!」


「……吐きながら妙なことを言わないでくださいよ、風間さん……」


 この際だから否定してやろうかとも思ったが、どこで誰か話を聞いてるかわかったもんじゃないのでやめておくことにした。特にこういうダンジョン内だと、どんなやつが身を潜めているかわかったもんじゃないからな……。


 階段の踊り場で亡くなったあの女子生徒も、おそらくこの教室で何者かに襲われて瀕死の重傷を負い、混乱の中で命からがら逃げ出したんだろう。


 そう考えると、この生徒たちが殺されてからそう時間は経過していないのかもしれない。


「ふうぅ……さ、佐嶋よ、早くここから逃げるぞ……」


「風間さん、少しは落ち着いてくださいよ……。それでもスレイヤーなんですか……?」


「そ、そんなこと言うがの、羽田がこっちへ来たらどうするつもりだ……!」


「…………」


 確かに、今度あの男と鉢合わせしたら命はないのかもしれない。普通に考えれば、これはスレイヤーがやったことだろうとは思うしな。


「けど、俺たちがダンジョン内にいる以上、どこへ行っても羽田と遭遇してしまう可能性はあるわけで、生徒たちが皆殺しになってるここのほうがまだ安全じゃ?」


「うっ……」


 これには、しきりに逃げ出したがってる風間も反論できなかったらしい。まあ状況が状況なだけに早くここから出たい気持ちは痛いほどわかる。


「それじゃ、そろそろ行きますか。まずは野球帽を探し出しましょう。スレイヤーが二人いれば、それだけボスを倒すのも楽になるでしょうし」


「そ、そそ、そうだなっ。とはいえ、まだわしは心臓がドキドキしとるから、ちょっとここで休憩してからでもぉ……」


「…………」


 風間は本当にブレないなあ。ってことは、野球帽のやつも相変わらずなのかもしれない……。

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