剣客令嬢、大敗北!

はんぺん千代丸

第1話 剣客令嬢ユキノ

 王宮の中庭に、第七王子の怒声が響き渡った。


「おまえなんかと、婚約などしてやるものか! そんなものは、破棄だァ!」


 王子の声を、周りにいる侍女や騎士が聞きとがめ、何事かと注目する。

 その視線を一身に浴びるのは、私を右手に携えた我が主、ユキノである。


 ――ユキノ・ミリシア・サクラヅカ。


 彼女はこの私、宝刀ツキカゲを操る、辺境伯令嬢にして当代の〈剣客〉だ。

 長い黒髪を高い位置に括り、背筋を伸ばしたその様は、剣士として申し分ない。


 女性にしては長身で大柄、その佇まいは完全に武人のそれ。

 両手を包む滑り止め用の皮手袋も、色褪せるほどに使い込まれている。


 男性用の貴族服を纏う姿を、周りは奇異の目で見るだろう。

 しかし我が主ユキノは、むしろ周りから受けるそれらの視線を誇ってすらいる。

 勝ち気に過ぎるその性格が、今も笑みとなって顔に浮かんでいた。


「何と、勇猛で知られた殿下も、私を扱いきれぬと申されますか」

「くっ……、得意げに笑いやがって。親父に言いつけてやる!」


 尻餅をついた状態で、第七王子が歯噛みする。

 少し離れた場所には我が主に跳ね飛ばされた長剣が転がっていた。


 要するに、彼は我が主と仕合い、そして圧倒的格差を見せつけられて敗れたのだ。

 国の東方守護を任された〈剣客〉を相手取るのは、無謀に過ぎるだろうに。


「第四王子殿下も、そのようなこと申されておりましたな」

「お、俺は本気だぞ! 親父がその気になれば、おまえ程度……!」

「どうぞ、ご自由に。できるものなら、ですが」


 王子に凄まれても、我が主はどこ吹く風。

 口笛でも吹き出しそうなその態度は、さすがに反感を買いかねない気がする。


『些か口が過ぎるのではないか、我が主ユキノ。彼は王家の一員だぞ』

「ああ、わかっているよ、ツキカゲ。殿下は王家の一員さ。どれだけ弱くとも、生まれた時点で勝利が約束されている、実力など必要ない、恵まれたお方さ」

『……我が主、そういうところがだな』


 私が諫めようともまるで聞かず、我が主は不敬をものともしない。

 彼女の露骨な揶揄の言葉に、第七皇子の顔は怒りと羞恥で真っ赤になっている。


 とはいえ、彼は我が主を害することはできない。

 この国において〈剣客〉は特別な称号であり、王族でも簡単には罰せられないのだ。


「クソッ! 覚えてろよ!」


 第七王子は立ち上がると、長剣を拾い上げ、捨て台詞を残して去っていった。

 その背中からは、怒気が湯気となって立ち上っているかのようだった。


 私がそんな背中を見送るのは、これでもう七度目になる。

 そう、つまり――、


「ふん、これで通算七回目の婚約破棄、か」


 そういうことなのであった。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 ――王都内、辺境伯邸宅。


「やりました父上。ついに七人目達成です。残るはあと一人ですね!」

「おまえはバカか……!」

「バカですね。ご存知の通り、頭はよくありません。腕は立つつもりですが」


 辺境伯の執務室にて、我が主の父親であるサクラヅカ辺境伯が盛大に息をついた。


「先刻、陛下から二つのお達しがあった。一つは、婚約の解消を認めるそうだ」

「そうですか。それは何よりです」

「何よりなのはおまえだけだ! こっちはまた金使わなきゃならんのだぞ!」


 すまし顔の我が主に、辺境伯は頭を抱えながらそう叫んだ。

 確かに、叫びたくもなるだろう。

 我が主と王家の婚姻話が持ち上がって二年、これで七回目の婚約解消ともなれば。


 ちなみに、婚約が解消されたからといって金を払う決まりはない。

 しかし、王子に恥をかかせた事実はやはり大きい。

 貴族として、その辺りをどうにかするために、どうしても金に頼る必要がある。


「八人いる王子のうち七人と婚約して、その全員から婚約破棄されるとかさぁ……」

「口に出してみると凄まじいですね。父上の教育が間違っていたのでは?」


「他人事みたいに言うな、おまえのことだろうが! ユキノ!」

「と、言われましても、私は私として振る舞っているに過ぎませんので」


 声を荒げる父親に、我が主は平然と肩をすくめる。

 私としても、我が主が自分らしく振る舞ってることが問題だと思うのだが。


「何と言われましても、私は今代の〈剣客〉を襲名しました。で、ある以上、そもそも誰かに嫁ぐ、という方がおかしいと思うのですが?」

「それな~、ホント、それな~……」


 娘に言われて、辺境伯がきつく目をつむり、指で眉間をつまんだ。

 まぁ確かに、これについては我が主の言う通りではある。


 そもそも〈剣客〉とは何か。

 それは、この国の東側一帯の守護を任された辺境伯の一族に与えられた称号だ。


 この称号を授かった者は、サクラヅカ家の当主となる未来が確約される。

 歴代の〈剣客〉の中には国難を救った英雄や大将軍なども多数存在している。


 まさしく、我が国における最上・至高の武勇の誉れ。

 それが〈剣客〉という称号なのである。


 襲名するための条件は幾つかあるが、最も重要なのは私に認められることだ。

 サクラヅカ家に伝えられる宝刀、自我を持つ刃たるこのツキカゲに、だ。


 私がユキノを主と認めたのは、およそ二年前。

 それは、王家との婚姻話が持ち上がった直後のことであった。


 主の選抜に、私の意志は関係ない。

 それはいわば魂の共鳴とも呼ぶべきもので、資格ある者だけが選ばれる。

 そして二十五年ぶりに適合したのが、現在の主ユキノだったのだ。


「なぁ、ツキカゲ。やはり俺のところに戻ってこんか?」

『無理を言うな、アキヒト。主の交代が行なわれた以上、覆すことはできない』

「だから問題なんだろうがよ~……」


 辺境伯――、先代の我が主であるアキヒトが苦虫を噛み潰したような顔になる。


「ユキノが〈剣客〉でさえなけりゃ、話は簡単なのによ~」


 それもまた、アキヒトの言う通り。

 彼には我が主ユキノの他、息子が数人いる。跡継ぎに困ることはないのだ。


 我が主ユキノが王家に嫁ぐことになったのも、そういった事情があるからだ。

 まぁ、王家の方に王女がいない、という理由もあるのだが。


 昨今、国の東側は特にキナ臭くなっていた。

 特に東方の島国であるアカツキの国はここ数年、不気味な動きを続けている。


 サクラヅカ家の開祖は、アカツキ国の騎士階級であるサムライだった。

 それを理由に、他の貴族連中からあらぬ疑いをかけられないとも限らない。


 そうなる前にサクラヅカ家と王家の紐帯の固さを示す必要がある。

 と、そんな感じで王家の方から婚姻話が持ちかけられたワケだ。重大な話である。


「家中最強が私である以上、私が〈剣客〉に選ばれるのは必然だったのですよ」


 当のユキノはこの通り、王家に嫁ぐ気などさらさらないようであるが。


「何でこんな子に育っちゃったんだろうな~、いや、ホント……」


 辺境伯閣下はそろそろ泣きそうだ。

 やはり母を早くに亡くした影響もあるのだろうか、我が主の性格については。


「サクラヅカ家は外様の身分。武威をもって身の証を立てねば、いつ足元を覆されるかわからない。そう言って私達に武技を叩き込んだのは父上ではありませんか」

「そーれーは、おまえのお兄ちゃん達に言ったの! おまえは修練場の物陰で盗み聞きしてただけでしょ! おまけに稽古を見て技を盗むとかさぁ、本当にさぁ……」


 アキヒトががっくりと肩を落とす。

 家長自らが外様と称するのには理由がある。この家の開祖は亡命者なのだ。


 それでも長年の働きもあり、辺境伯にまで上り詰めたのだから大したものだ。

 このままでは、七回の婚約破棄を成し遂げた我が主が次期辺境伯になってしまうが。


「諦めましょう、父上! 次の当主は私がなります!」


 見よ、この我が主のさっぱりとした溌剌な笑顔を。


「だーめ、次期当主はミツヒコで内定してんの。おまえは王家に嫁ぐのッ!」

「ですが、今の〈剣客〉は私です。この称号は次期当主の証、ですよね?」

「だから頭痛いんだろうがよー……」


 アキヒトがまた頭を抱えた。

 まぁ、彼がそうなる理由もわかる。何せユキノは、初めての女性の主だ。


 今までずっと、この身が選んできた主は男性だけだった。

 だからサクラヅカの人間も〈剣客〉になれるのは男のみと思っていたのだろう。


 ――だが、そんなことはなかった。


 というのが、現状を作り出した最大の要因である。

 しかし、この複雑な状況を解決する手段が、何もないワケではない。


「なぁ、ツキカゲ」


 アキヒトが、私に向かって疲れ切った声で問いかけてくる。


「もう一度、確認させてもらうぞ」

『ああ』


「ユキノから〈剣客〉の称号をはく奪する。……可能なんだよな?」

『可能かどうかでいえば、可能だ。我が主でなくなればいいだけの話だからな』


「そのための方法が――」

『そうだ。これまで何度も説明した通り』


 私は、もはや何回目になるかもわからないその説明をアキヒトに告げる。



『――ユキノが、誰かに恋をすればいいのだ』



 すると、途端にアキヒトの眉間に渓谷の如く深いしわが寄った。

 ものすさまじいまでの『無理だろそんなの』というツラだ。だが彼は先を促す。


「……続けてくれ」

『簡単な話だ。我が主たるべき資格は何よりも強さを欲する魂であることだ』


 私は刀だ。武器だ。

 強さを示すために使われることこそが、私の存在意義である。


 ならば私が私の主に求める素養は、強さに貪欲であること。

 弱さを認めず、ひたすら強く在ろうとする魂であるほど、私と強く共鳴する。


「で、今現在、サクラヅカ家でそれに最も当てはまっているのが」

『そう、我が主ユキノだ』

「ふふ~ん」


 私が言うと、我が主が勝ち誇って鼻を鳴らした。

 アキヒトの額に血管が浮くが、そこで怒鳴らない辺り、彼も器量人ではあった。


「……ツキカゲから見て、ユキノはどれほどだ?」


 彼が私に短く問う。

 歴代の主と比べた場合、現在の主がどれくらい私に適合しているか。


『忌憚なく言うのならば、古今無双、唯一無二、だな』

「要するに今までで最上ってことか! えぇ、マジかよ!?」


 マジなのである。


「ふふふふ~~~~ん」


 腕を組んで嬉しそうに笑ってるこの少女こそが、数多いる歴代の主の中で、英雄を越え、名将すら上回り、大将軍をも飛び越えた、史上最高の我が主なのだ。

 彼女が私を振るえば、まさに一騎当千と呼ぶにふさわしい働きをこなすだろう。


「そういうワケです、父上。私に家督を譲りましょう、そうしましょう!」

「おまえは黙ってなさい。まだツキカゲの話は終わってないの!」


 アキヒトは瞳を輝かせる我が主にピシャリと言って、さらに私に先を促す。


『ユキノを我が主でいられなくする方法、それは、彼女が強さを欲するのをやめることだ。有り体に言えば、より強く何かを欲するようになれば、自ずと資格は喪われる』

「で、それに最適なのが――」

『恋をすることだ』


 私はそう答えた。

 恋とは、人を最も激しく狂わせる、巨大な心の変容だ。


 誰かを想い、患い、荒れ狂う嵐の如く心を乱れさせてしまう、強烈な欲求。

 ユキノの強さを欲する心を変えられるのは、唯一、それだけであろう。


「無理ですよそんなの。だって、恋なんてするつもりないですもん」


 だが我が主ユキノは、あっけらかんとそうのたまう。


「恋というのなら、私は強さに恋をしています。私はもっと強くなりたいです」

「おまえねぇ……」


 アキヒトがほとほと呆れ返った。

 しかし、ユキノの言葉もまたまぎれもない真実。


 彼女の尋常ならざる剣の才が、それを証明している。

 しかもユキノは父から技を教えられたワケでもなく、兄達の稽古を見ていただけ。


 それなのに、ユキノは剣の腕前で家中最強となり、ついには私の主となった。

 異常なまでの強さへの執着がなければ、そんなことは不可能だ。

 我が主ユキノが言った、強さに恋をしている、というのは正鵠を射る表現である。


「……何気に、サクラヅカ家始まって以来の大ピンチじゃね?」


 アキヒトが顔を青ざめさせる。私もそう思う。

 ユキノが誰かに恋をする。それは、二年前から判明していた条件だ。


 そして、当初はアキヒトも王家も、これについて楽観視していた。

 我が国は武勇の国。それを支える王家の八人の王子は、一人を除き武闘派ばかり。


 中でも、次期国王である第一王子は英傑として知られる人物だ。

 強さをという言葉を人にしたかのような彼ならば、ユキノも惚れるだろう。

 アキヒトも国王も、そんな風に考えていた。


 ――まぁ、ダメだったのだがな。


 第一王子とユキノの初顔合わせの際、戯れに二人の手合わせが行なわれた。

 そこでユキノは、第一王子をギッタンギッタンにしてしまったのである。


 もう、メッタメタの、ギッタギタ。

 英傑として知られていた第一王子に泣きが入る様を、国王は初めて見たという。


 あとはそれの繰り返しだ。

 そしてこのたび、ついに最後の砦であった第七王子からも婚約破棄された。

 アキヒトが言ったサクラヅカ家始まって以来の大ピンチという言葉に、偽りはない。


『だがアキヒト、王家にはあと一人、王子がいるではないか』

「第八王子、か~。けど、あの方はなァ……」


 私が言うも、アキヒトの反応がどうにも渋い。というか、苦い。

 第八王子がどのような人物かは、私も知らない。

 何やら、王宮ではよく噂になる人物らしいが、私も主も、その方面はからっきしだ。


「次の私の対戦相手ですね!」

「婚約者だよ。見るからに戦る気を漲らせるんじゃない!」


 叫んで、そしてアキヒトは深く息をついた。


「いいか、ユキノ。陛下からの二つ目のお達しだが――」


 このタイミングで言ってくるということは、まぁ、そういうことなのだろう。


「私と第八王子の婚約が決まった、ということですね」

「そうだ。……これが何を意味するか、わかるな?」


「はい。つまり、その方を倒せれば、晴れて私がサクラヅカ家の次期当主に!」

「違う。ちーがーう! っていうか倒す前提で話を進めるな!」


 ああ、アキヒトは今宵も胃痛散らしの薬用酒を煽るのだな。

 彼の疲れ切った顔を見て、私はそんな風に思った。老いたな、アキヒト。


「とにかく、来週、第八王子への挨拶を兼ねた茶会が催される。行ってきなさい」

「鎖帷子は着ていった方がよいでしょうか?」


「ねぇ、ここ、国で一番平和な王都なんだけど? 何でそんな常在戦場なの?」

「だって私、当代の〈剣客〉ですから!」


 にこやかに笑ってそう言う我が主ユキノを見て、アキヒトの額に血管が浮く。

 だが、その厳しい表情が胃痛に耐えている表情であることを、私は知っていた。

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