3 怒りの森

 田舎町『ドルチア』。


 ウィズの雑貨店『リヴ・ウィザード』に見切りをつけて、何も買わずに出てきたフィリアは帰路についていた。


 ドルチアを出るあたりで後ろから付添人のソニアが追い付いてきた。


 彼女は追いつくや否や、息切れしながらフィリアへ言う。


「か、考え直してください! ウィズは、ああ見えて優秀です。優秀な剣などでなくても、彼が本気で『祝福付与エンチャント』した武器は傑作の一品になります……!」


「分かってない――全然分かっていないようね、貴女」


 帰路を歩きながらフィリアはソニアへ怒りを孕んだ声で告げた。ソニアはピクリと肩をはねらせ、彼女の様子をうかがった。


 フィリアは腰につけた剣――折れている方ではなく、仮物として渡された標準的な剣の方――に手をかけて、ソニアを睨みつけた。


「私に、こんな仮初のショボイ剣で妥協しろと? 私を誰だと思っているのかしら?」


「い、いえ、それは……」


「私は剣聖御三家『アーク家』の跡取り。例え私が女であろうと、その事実は変わらないわ。なら、最高の条件の剣で最高の『祝福付与エンチャント』をするのが当然。違うかしら?」


「違わ、ないですが……」


「なら黙っていなさい。私の剣は私の判断で決めるわ」


「は、はい……」


 フィリアはソニアを言いくるめると、その足で町の外にある小さな馬屋へと向かう。そこにはサラマンダーの馬車を停めていた。『ドルチア』へ来る際に足として使った交通手段である。


 馬屋とは馬車などを停めて置ける場所であり、ソニアがその主人と話している間にフィリアは一人サラマンダーの馬車へ飛び乗る。そしてその手綱をぎゅっと握りしめた。


(……こんなんじゃ、ダメだ……!)


 フィリアは心の中で、強く自戒する。自らの目的のため、こんな小石のような問題に突っかかっているわけにはいかないのだ。


「フィリア様、出発の準備ができました」


 馬屋の主人と話を付けてきたソニアが、フィリアの下へ歩いてきた。彼女は馬車の手綱を握ったフィリアを見上げると、諭すように言う。


「あの、フィリア様……手綱は私が握りますので、貴方は後ろでごゆっくりと……」


「自分でやった方が速いわ。今は一刻の猶予もないのだけれど、それを理解しているのかしら?」


「……それは失礼致しました」


 頭を下げ、神妙な声でソニアは謝罪した。


 フィリアはそんな彼女に見向きもせず、馬車備え付けの小さな引き出しから地図を取り出す。そしてそれを見つめた。


 この寂れた町『ドルチア』から自らの『アーク家』領地に戻るまでの道を指で辿りっていると、フィリアはある事に気付く。


「ねえ、ソニア。『ドルチア』に来る時はこの道通らなかったわよね。こっちの方が近道なのに、どうして通らなかったの?」


「……ああ、その道ですか」


 ソニアは馬車へ上がってフィリアの持つ地図を遠慮がちに覗き込むと、軽く息を吐いた。


「その道は『怒りの森』と呼ばれてる森を通るルートになってるんですよ。そこにはとんでもない化け物がいるみたいなんです。ウィズから聞いたんですけど、なんでも、高潔な剣士を喰い殺した化け物だとか。強すぎてその剣士の遺体すら未回収のまま、応急処置で森に入る道を小さな柵で塞いで、それっきりらしいです」


「……ふーん」


 フィリアは顎に手を当てる。それからちらりとソニアの姿を見た。


 戦闘を行うのに対し、最低限の装備はしているようだ。フィリアは唇を噛みしめると、手綱をぎゅっと力強く握ってそれを振るった。


《――ッ!》


 馬車に繋がれたサラマンダーは仕事の時間だと認識し、頭を上げ咆哮をとどろかせた。馬車が揺れ、ソニアがちょっと体制を崩す。


 フィリアはそんなソニアになど目向きもせず、告げた。


「私には時間がないの。一刻も早く私に見合う剣を探し出し、この手におさめないといけない。そのためなら、遺品であろうとも手を付ける覚悟がある」


「遺品……? ま、まさか……!」


「ええ」


 目を見開くソニアの隣で、フィリアは勢いよく手綱を振るう。サラマンダーが雄叫びと共に、その足で駆け始めた。


「――『怒りの森』で化け物とやらに殺されたのは名のある剣士って話よね。なら、相応の剣を持っていたはずよ」


「いけませんよ! それは死者に対する冒涜では……!」


「冒涜など、とうに気にしてはいない!」


 フィリアはそう言ってソニアの意見を断絶した。ソニアは頭を抱えながら、脱力して背もたれに体重を預ける。


 サラマンダーの馬車は風を切る。フィリアの銀髪がなびく。二人を乗せた馬車は『怒りの森』へと全速力へ向かった。


 しばらく走っていると、ついにその森が見えてきた。フィリアは遠くに見える生い茂った黒い森を見つめ、目を細める。


(……確かに、凄い瘴気を感じる……!)


 フィリアはその森に漂っている――否、"放たれている"ものを感じ取って、身を引き締めた。ここで後退という選択肢はない。


 フィリアは躊躇と恐怖を押しつぶすように、サラマンダーの速度を上げた。


「このまま行くわ! 覚悟決めなさい!」


「……ッ! 分かりましたよぉもう! ボクは貴方を守るために高~い依頼料貰ってますからね! もうやってやりますよ!」


 ソニアの悲鳴とも取れる開き直りに、フィリアは内心クスリと笑った。


 ついに、森の入り口が見えてきた。侵入者を遮るように、そのド真ん中には通行禁止の小さな柵がかけられていた。しかしこの程度では、サラマンダーの進撃を止めることはできない。


「絶対に……! 成し遂げてみせる……!」


 フィリアは自分を奮い立たせるように、小さく吐き捨てる。――直後、サラマンダーの馬車が進入禁止の柵をぶち破り、『怒りの森』へと全速力で侵入したのだった。



 ◆



 ――雑貨店『リヴ・ウィザード』。


「……ん?」


 フィリアとソニアが去った店内はガラガラだった。そんな店内でウィズはピクリと肩を撥ねらせる。


「……まさか」


 ウィズは手のひらをかざすと、そこに八面体の小さな水晶が顕現する。出現時は青白い光を放っていたそれだが、出現するや否や、青の色彩が朽ち落ちて真っ赤な光を放ち始めた。


 それを見たウィズはため息をつく。




 ――そして、その水晶を握りつぶした。赤い粒子が飛び散っては消えていく。


「『ブレイブ家』といい……御三家は余計な事しかしねぇな……。『ブレイブ家』をぶっ潰したら次は……」


 それは野望。"アレフ"を継いだ"ウィズ"がなすべき宿命。そのためにウィズは――。


 と、そんなことを口走りながら赤い粒子を横目に見ていたウィズだったが、ふとその言葉が詰まる。


「……いや、これは使


 ウィズは薄い笑みを浮かべると、カウンター下にあるポーチを手に取った。髪で隠れて前からは見にくくなっている耳飾りが、ふらりと揺れる。


 ウィズは雑貨店『リヴ・ウィザード』を閉めると、その場を後にしたのだった。

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