第三話 兵站と野営
周囲を包み込むクリームのような霧。
衣服から僅かに露出した肌は、ひんやりと撫でられながらも微細な水滴が付着する。
両手で持つ銃を下に傾ければ、筒先から水滴が零れ落ちた。
川のせせらぎが鼓膜を撫で、些細な足の動きは砂利が音として周囲に伝える。
あらゆる景色が白みがかる中、音もたてず溶け出すように現れた黒。
深淵の闇を思わせる黒装束で全身を包み、唯一晒した目元からは宝石のような蒼眼が覗く。
感情の欠片すら窺い知れない、静謐な双眼に俺の姿が映し出される。
「トモメ殿、警戒線は敷き終わったでござるよ」
黒尽くめのNINJA、白影はそう言って、頭巾から飛び出た黄金色のポニーテールを揺らした。
彼女には野営を行うために、近づいた敵を察知する警戒線の敷設を頼んでいたのだ。
ひと仕事を終えて少し疲れているのか、腰に手を当て、息も少し荒いような感じがする。
「お疲れ様、半径500mの警戒線敷設は流石に疲れただろう。
あとは自由にしてくれ」
俺がそう言うと、すかさず俺の背後にピタリと追従する白影。
今日も今日とて平常運転だな!
今回、俺達は今までのダンジョン戦争ではしなかった野営を行おうとしている。
当たり前だが宿泊環境や安全性は野宿よりも、拠点の方が比べようもないほど整っている。
では何故野営を行うことになったのか?
理由は単純、ダンジョンの第3層が日帰りで攻略不可能なほど広大だから。
ダンジョンの第3層攻略を開始するにあたり、俺達が最初の目標に選んだのはいつも通りダンジョン『魔界』。
今回も高嶺嬢の
俺は一目見て悟ったね。
ああ、こりゃ無理だ。
ってな!
しかも峡谷の低層には霧が滞留していて視界は最悪。
絶対2、3日で攻略されたりなんかしない! というダンジョン側の意気込みがひしひしと感じられる地形だった。
おかげで攻略開始から3日目となるのに、階層ボスどころか敵の本隊とすら接触できた気配がない。
それでも、総計5000体の敵個体を蹂躙して流れる河川を朱く染め上げた高嶺嬢。
周囲の地形を偵察しながら1500体の敵諸共一区画を焦土へ変えた白影。
この二人は相変わらずだ。
一方の俺は従者ロボ14体と共に専ら兵站担当。
時々、高嶺嬢や白影に追い立てられた敵を峡谷という地形を活かしてハメ殺しているが、主な役割は野営地の整備や物資の管理、採取した魔石の無人機による輸送管理だ。
今も警戒線の敷設こそ本職の白影に頼んでいるが、仮設トイレや仮設風呂に至るまで野営地に次々と設置している。
これらの仮設施設群は根拠地内の私室と同じ扱いらしく、母国への生放送はされない。
されていたら野営なんてとてもじゃないができないのだし、当たり前だが。
俺が白影を後ろに連れながら従者ロボ達が設置している最中の野営陣地内を歩いていると、従者ロボ以外の人影が見えた。
敵の襲撃を避けるため、濃霧が滞留する低地地帯を野営地に選んだが、見通しの悪さはどうしても不便だな。
とは言え所詮は霧だ。
近づけば簡単に正体が分かる。
「あっ、コウズケさん!」
円になって椅子に座っていた8人の男女。
彼らも近づいてきた俺に気づいたのか、立ち上がろうとするのを手で制す。
「そんなに気を使わなくても良い。
それより調子はどうかな。
今日で3日目の野営となる人もいるし、体調を崩していたりとかは大丈夫?」
俺がそう尋ねれば、彼らは口々に否定する。
黒人、白人、アジア人にアラブ人。
様々な人種が入り混じっている彼らは、俺達が魔界第3層を探索してから保護してきた各国の探索者達だ。
イエメン共和国、エリトリア、ブータン王国、ジブチ共和国、キプロス連邦、アンドラ公国。
彼らの母国は見事なまでに第三世界に属している国家である。
まあ、人類同盟や国際連合は原則集団行動なので、はぐれの探索者と言ったら第三世界出身になるのは当然。
無人機や白影による哨戒中、第3層で強化された敵兵にズタボロにされていた彼らを発見。
母国に生放送されているので見捨てることもできず、かといって助けた後に放逐もできないまま成り行きで保護している。
彼らを保護して得られる利益は、今の所は特にない。
ただ、今は亡きスウェーデンの探索者シーラの国際裁判で協力して貰ったし、戦後の国際関係も考えると、余裕のあるうちは保護しないという選択肢はない。
「あの女怪に出くわした者もおることだし、精神疾患は決して恥ずべきものではないぞ。
むしろ無理をして狂気に落ちてしまう方が、こちらとしては困るというものでござる」
白影が誰かさんに対する悪意をほど良く混ぜながらも、彼らの精神を気遣う。
「はいっ、シュバリィーさん、お気遣いありがとうございます!」
「拙者のことはNINJA白影と呼ぶように」
白影と探索者達の会話を聞き流しながら、俺は物資の補給について考える。
元々俺達は人間3人とロボ14体だったのが、今は人間11人ロボ14体。
高低差が激しく、まともな道が整備されていない地形なので、補給線は42式無人偵察機システム改による空中輸送のみ。
とは言っても、1機あたり約100㎏の積載量を誇る無人機、それを40機ほど空輸に充てているので、まだまだ補給線には余裕があった。
「ぐんまちゃーん、ただいま帰りましたよー!」
高嶺嬢の声が聞こえた。
どうやら周辺の敵を掃討しつくしたようだ。
保護した探索者達の何人かがガタガタと小刻みに震え出す。
その反応も仕方ない。
どうせ今の彼女は血塗れモードだからなぁ。
高嶺嬢のゴアゴアスタイルに強いトラウマを植え付けられている人間にとって、害は無いと分かっていても恐ろしいのだろう。
俺は彼らの目に高嶺嬢が入る前に、彼女を風呂へ連れて行くべく歩き出す。
空を見上げれば、霧で霞む太陽が落ちかけている。
「そろそろ、夜になるな」
何気なしに呟いた言葉。
それはゆっくりと霧に溶け込んでいった。
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