第十九節 デウス・エクス・マキナ
魔騎難は翻弄されていた。レシーバーズに目覚めたハヤカケの素早さ、そして計算高さに。
(己の攻撃が視えているだと…!?)
元より速さが取り柄の麒麟である。レシーバーズになれば身体能力が著しく高まり、魔騎難に追いつくことさえ不可能ではない。その程度の事は魔騎難自身も承知していた。
だが、何より厄介なのは脳の回転の早さだった。冴えた頭脳で打ち出した方程式を実現するだけの力がハヤカケにはある。その事は魔騎難にとって事態を難しくさせ、また、一つの真実を悟らせた。
(違う…こいつ、未来が視えている…!)
無限の演算ができれば、それは未来予知に等しい。ハヤカケの頭脳はまさに、そうした状態にあった、
(打開策が欲しいところだが…)
そう考えた魔騎難はすかさず、ハヤカケではなく燈花に向きを変えて駆け出した。宿主を変えればコアの性質が変わる。火の性質も変わる。ほんの数秒、演算の時間が挟まるだろう。それだけの隙があれば十分、ハヤカケを凌駕できる。
だが、ハヤカケにはお見通しだった。燈花が身構えるよりも先に、ハヤカケは燈花の前に立ち、魔騎難の攻撃をいなした。魔騎難は青筋を立てる。
「またしても…!」
ハヤカケは優れた脚力によって、魔騎難を蹴り飛ばした。
「『取り憑く』島もない、といったところだな」
魔騎難はハヤカケを睨み上げる。歯軋り。
ハヤカケは脚を強靭に変形させ、魔騎難に向かって前進する。だが、燈花がハヤカケの肩を掴んで止める。
「…私にやらせてほしい」
「しかし、そんな身体で…」
生傷と火傷痕の絶えない肉体を見て、ハヤカケは躊躇う。
「いいから」
燈花の瞳は烈火のごとく燃え滾っていた。その火に水を差すことなど、ハヤカケにはできなかった。変形した脚は元に戻り、後退する。
燈花は血染めの剣を拾い、裸足のまま前進した。
「こいつのせいで、タカマガハラは…!」
すると、魔騎難は笑い出した。その言葉が出てくるのを待っていたかのように、ここぞとばかりに笑い出した。
「何がおかしいの!あなたのせいで──」
「己のせいだと?妄言も甚だしい!争いを求めたのはお前達の心だろ」
「あなたが点けた火種じゃない!」
「それが間違いだと言うのだ!まだわからないか?己が関与したのはお前の心だけ。他は奴等が勝手にしたことだ!」
柄を握る手が緩む。
「じゃあ何…?皆、止めようとは思わなかったってこと…?こんな酷いことを…」
「そうだ!ようやく理解したか!」
柄はわずかに指にかかるのみである。
「惑わされちゃダメだ、燈花さん!」
ハヤカケは叫ぶ。しかし、燈花には遠く聞こえる。
「所詮、止める気概も気力も無いのだ!こんな生命に明日など無い!国寄せも無意味!そう思わんか?」
魔騎難の唆す一言一句が、燈花の心に入り込む。今にも剣は手からこぼれ落ちかけていた。
「そう、よね…私達なんかが国寄せしたら、元の世界に迷惑をかけてしまう…」
「燈花さん!」
「そうだ…わかるだろう?だが嫌ではないか?自分の夢が叶わないのは…昔からの夢だものなぁ?『いつか離ればなれになってしまった国を一つにしたい』と。行く末は物語を通して、心までも一つにしたいと。そのためには力が要る。己ならできる。己の手をとれ。そうすれば…」
「…でも!」
再び柄を握りしめ、燈花は魔騎難に剣を振り下ろした。
「登子達が教えてくれたのよ。そんな私でも生きていいんだって。だから私は…罪を背負って生きる!登子達の歩む未来が、一つの大地で繋がるように!」
痛みに怒りを覚えた魔騎難はブラックリブラの肉体から離れ、力ずくで燈花の心に入り込もうとした。だが、すぐさま弾き飛ばされる。
「もう負けない。あなたにも、自分にも」
「この…餓鬼がァー!」
魔騎難は波動を放ち、数里先の王城に取り憑いた。城は巨大な竜へと姿を変える。竜は天高く飛び、うねる。中から影が落ちてきた。マージナルセンスと睡蓮である。
「あんなところに…!」
ハヤカケは面食らった。空を見上げ、マージナルセンスは冷や汗を垂らす。
「オレ、もしかしてあいつの中にいたの…!?」
「気持ちはわかるが、妾を無視しては困る」
睡蓮はマージナルセンスの鼻に手の平をつけ、毒を流し込んだ。五感の鋭いマージナルセンスの神経は、瞬く間に汚染されてしまった。
全身から力が抜け、変貌が解ける。おびただしい量の毒がリッキーの身体を蝕む。
「もう助からんな。さらば少年」
危篤のリッキーにしゃがみこんで話しかける睡蓮に、ハヤカケが飛び蹴りを浴びせた。しかし、睡蓮は強烈な一撃を手で防いだ。
「つまらん攻撃じゃ。欠伸が出る」
驚愕するハヤカケを見下ろし、魔騎難は笑った。
「当然だろう。己が直接厳選した部下だからな」
それを聞いた燈花は、周囲に漂う異臭と死体の意味を悟った。魔騎難ならやりかねない。
「どこまで弄べば気が済むの…!」
燈花は全身に力を込めた。刹那、自分にもうレシーバーズとしての力が無い事を思い出した。もどかしい。肝心な時に限って力を振るえないなんて。
「私に…何かできることは…!」
「無駄無駄!アンタは無力!」
背後から弾む声で嘲る影一つ。入道である。
「どんな理想を抱いたって、結局強い者以外に語る権利は無いのだよ!」
振り向くと、その手には重体の義太郎が握られていた。息を呑む。
「こいつも戯れ言を抜かしていたなぁ。ま、弱者の言葉など覚えちゃいないがね」
入道は高笑いを上げた。辺り一面に広がる廃墟から、血の臭いと毒気まじりの煙が立ち込める。燈花の知るかつての街並みよりはるかに荒んだ光景は、残酷な現実を燈花に突きつけてきた。無力では、意志を掲げることもままならない。
「そこで見ていろ。お前の夢、己の糧としてやろう」
魔騎難は真下に光線を放った。光は街を抉り、タカマガハラを貫かんばかりの勢いであった。燈花達の足元が大きく揺れる。
「地震…?いいえ、違う…!」
「タカマガハラが…沈んでいる!?」
地に足を付けられていないハヤカケでさえ知覚できるほど、タカマガハラの大地は沈み込んでいた。何のために?疑問を抱いたハヤカケに答えるかのごとく、魔騎難が語る。
「虚空に力を込めれば歪(ひず)みが生まれる!その歪みが扉となり、古の時代に分かたれた地は一つになる!」(諸説あるが、高質量の重力場が発生すると時空は歪みを生じ、ブラックホールやワームホールといったものを作り出すとされる)
「あり得ない!その前にタカマガハラが耐えられなくなるわ!」
光線に押し込まれたことで起きた地盤沈下で、足場は既に泥だらけである。加えてその水面下、地中深くに眠る溶岩が噴き出す寸前で震えていた。
「お前の望んだ事だろ、轍燈花!」
「違う!私はあくまで、オーダーの力を再現したかっただけ!そのための装置を──まさかあなた、装置の動力で光線を…!?」
図星だった魔騎難は笑った。
「『お前の望み』…だろ?」
魔騎難に続き、入道と睡蓮の笑い声が轍国に響き渡った。口の中に血の味が広がる。目は充血し、涙が頬を濡らす。悔しい。ここまで虚仮にされて、何もやり返せない自分が。
だが、その時。
「姉さんを…いじめるなー!」
一人の少女が睡蓮を殴り、入道ごと吹き飛ばした。その少女は神の器たる腕を、眼を、臓を持ち、英雄──ゾア──の資質を今、掴み取りし者。
「何やつ!」
名をこう呼ぶ。
「轍登子!轍燈花の妹だ!」
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