箱庭姫に贈る詩
夕霧ありあ
1 箱庭姫の旅立ち
クローディア・アディンセルの部屋は、彼女の好きなもので満ちていた。小さな家と庭が描かれた絵画に、心躍るような冒険物語の本に、愛らしいぬいぐるみ。そして部屋の正面にある大きな窓からは、庭を眺められた。
裕福な領主の娘である故、何不自由なく暮らす彼女は外に出ることを渋ったものだから、箱入り娘にちなみ、引きこもる小さな世界を揶揄して、箱庭姫と呼ばれていた。
けれども、そんな娘の様子を快く思っていなかった両親は、彼女を外に連れ出すべく、様々な試行錯誤をしていた。
従者に旅装へ着替えさせ、外に連れ出そうとしても、隙をついて屋敷へと帰ってしまう。取り押さえても抵抗されるため、彼女に手をあげられない従者たちは、失敗を報告するばかりだった。
さらに、父が外に出ない罰としてクローディアの箱庭の宝物を取り上げた日には、誰が呼びかけても彼女は一切返事をしなかった。
妹は勉学やお稽古事に熱心で、社交界の華を夢見ているのにいったい何故なのか。両親はただ、頭を抱えていた。
一方のクローディアは、従者たちが外に連れ出そうとしても、お気に入りのものが減ってしまっても、変わらず箱庭で日々を過ごしていた。
そんなある日、彼女は箱庭の中で、竪琴の音と歌声を耳にした。
男とも女ともつかない声。初めて聞く声だった。
その声を耳にしたら、読んでいた本の内容も頭に入らなくなってしまった。
クローディアは窓辺に駆けて、硝子の窓に手を当てる。庭に立つ歌声の主は、グレーのコートを着た、若草色の短い髪の人物だった。けれども、見えたのは背中だけで、顔と竪琴を演奏する姿までは見えなかった。
どんな人が歌って、竪琴を奏でているのか。歌う人物の姿を確かめるべく、クローディアは心の趣くまま箱庭の出口を開き、外の庭へと飛び出した。
屋敷の庭では、母キャシーと妹ロレッタ、それから何人かの従者が楽士の演奏を聞いていた。キャシーと従者は真剣に演奏を聴いていたが、ロレッタはどこか遠くを見て、退屈そうにしている。クローディアは、彼女たちの後ろに立った。
歌う楽士は端正な顔立ちだが、背恰好から男性のように見えた。けれども、性別は気にするべき所ではない。関心は、どんな歌を歌っているかだ。クローディアは楽士の声に、じっと耳を澄ませた。
楽士が歌っていたのは、弱虫な少女の物語だった。
瞳を閉じると、少女が生まれ育った村の情景が浮かび上がる。山と森に囲まれた、緑の村だった。そして少女の想いもまた、歌声から伝わってきた。
いじめっ子たちにからかわれて、悔しい思いをしたこと。
仕事が上手くできなくて、苦しい思いをしたこと。
さぞ、少女はつらかっただろうとクローディアは感じていた。気の利いた会話や踊りが上手くできず、ロレッタに馬鹿にされる自分にも、どこか通じるとも思っていた。
少女はこれからどうするのだろうと、クローディアは、詩の続きが気になって仕方がなかった。
ある日の、森の中。少女はひとりで歌っていた。
誰も聞いていないはずだった。けれど、何かがいる。
それは、光を纏った精霊だった。ここは、精霊の森だったのだ。
精霊は少女に語りかけた。
「こんにちは、お嬢さん。一緒に歌ってもいいですか?」
ほわほわと、宙に浮かびながら、精霊は尋ねた。
「なら、あなたの歌を聞いてもいい?」
少女は答えた。人でない者の歌を聞きたかったから。
彼女に応じて、精霊は歌いだす。
楽士は、精霊の歌を竪琴で表現した。弦を奏でる指は、器用に竪琴を行き来する。
どこを弾けば、こんな幻想的なメロディーになるのだろう。どんな風に弾けば、こんなに胸を締め付けられる音色になるのだろう。クローディアは、ただただ不思議だった。
精霊のパートが終わり、静けさが訪れる。のち、楽士は口を開いた。
ゆっくりとした竪琴の伴奏と共に、詩が紡がれた。
それから、少女は精霊と歌った。
歌はみるみると、上手くなった。
やがて少女は、村の中で歌うようになった。
村人は続々と、聞き入るようになった。
歌を聞いた誰もが、元気になっていた。
本当は歌に、元気になる魔法がかかっていた。それを彼女は知らない。
精霊は、村人を守るための魔法を秘めていた。それも彼女は知らない。
けれど、魔法の力がなくても、彼女には歌う力があった。
だから、少女は歌い続けた。それが、村での役目だから。
新しい歌を考えた。皆に喜んでもらえるように。
こうして、少女は居場所を見つけたのだった。
もうひとりじゃないと、感じていた――。
楽士が歌い終わると、母や妹、従者たちと共に、クローディアは力の限り拍手をした。
「どうもありがとうございます、お嬢さん」
楽士は、聴衆席から、立っていたクローディアのもとに向かった。
「あたし?」
まさか自分に声がかけられるとは思わず、クローディアは首をかしげる。
「そう、貴女です。私の歌はいかがでしたか?」
「夢のある詩だったよ!」
クローディアは、力の限り頷いた。
「楽しんでいただけたなら光栄です」
楽士は、クローディアの頭をぽんぽんと撫でる。
「あっ、クローディアばっかりずるい!」
「そんなこと言わないの」
唇を尖らせた妹ロレッタを、母キャシーはなだめていた。退屈そうにしていたのに何を言っているのかと、クローディアは心の中で悪態をついた。
「お嬢さんも、歌を聞いていただき、ありがとうございました」
楽士はロレッタのもとにも向かい、頭を撫でる。
一方のキャシーは、どこか思い詰めた様子だった。
その夜、アディンセル家の客人として招かれた楽士リインは、キャシーの私室に呼び出された。
キャシーには、楽士として駆け出しだった時、世話になった。いわゆるパトロンだ。一方で旧友のようなものでもあり、自身が男装をしている女性であることも知っている。
そんな彼女は昔話に花を咲かせるつもりだろうかとリインは考えながら、私室の扉を開けた。
「リイン、折り入ってお願いがあるのです」
キャシーは至って落ち着いた声で、リインに懇願した。一方、彼女のまなざしは、刺すかのように真剣だった。
「何か御用かな?」
「はい。上の娘の、クローディアについてでして」
「クローディア嬢か」
リインの脳裏には、無我夢中で歌を聞き、こぼれるような笑顔で撫でられた少女の姿が思い浮かんだ。十年前、最後にキャシーを訪ねた時には物心のつかない年であったし、妹は生まれていなかったはずだ。子供の成長に、リインは時の流れを感じていた。
「あの子は、いつも部屋に閉じこもっていてばかりいて、屋敷の者たちからは箱庭姫、なんて呼ばれているのです。けれど、あなたに対しては違いました。ですので、あなたとであれば、あの子、クローディアも外に出られるのではないかと思ったのです」
「そうだったのか……」
「ですから、どうかあの子と共に旅をして、外の世界を見せてあげて欲しいのです。謝礼はこの通り、お支払いいたします」
「昔あんなに世話になったというのに、こんなに頂いてもいいのかい……?」
キャシーが示した金額に、リインはただ驚嘆するばかりだった。
「宿代や旅費は、はじめにお支払いします。どうか、あの子の安全が確保できる宿を使ってください。残りは、無事にクローディアを連れて帰った時にお渡しします」
「なるほど。……彼女の妹さんは、寂しがらないかな?」
「彼女にはまだ旅に出る年ではないと、言っておきます」
「それは仕方ないか。だったら、依頼を受ける前に、クローディア様の意思を確認しておくよ」
「ええ。お願いしますね」
翌日、楽士リインは、箱庭姫ことクローディアの部屋の前に立つ。
「クローディア様。いらっしゃいますか?」
それから扉を叩き、箱庭の主がいるか、確かめた。
「その声は、楽士様ね!」
ややあって、がちゃりと扉が開いた。クローディアは、箱庭に閉じこもっている、という話が嘘であるかのように、瞳をきらきらと輝かせていた。
「楽士様、今日も歌を聞かせてくれるの?」
「私のことは、リインと。今日は貴女にお話がしたく、参りました」
「どんな話?」
「クローディア様。私と一緒に、旅に出ませんか?」
あくまでキャシーの依頼ということは隠して、リインは話を切り出した。
「リインと、旅に……?」
「ええ。貴女は、箱庭を気に入っていることでしょう。けれど、私と旅に出れば、きっともっと、箱庭をクローディア様の好きなもので満たせます」
「けれど、外は楽しくないよ。それに、怖い人たちもいるでしょう?」
「貴女の気持ちもわかります。私も旅の中で、怖い思いをすることもありました。けれど、道中ではできる限り貴女をお守りしますし、この世界には美しいものがあると、貴女様に知っていただきたいのです」
「でも……」
「行先は、ゆっくり歩いて、ここから十日ほどの所にある湖です。本当に、眺めがいい場所ですよ。私はその湖に訪れると、気の向くままに竪琴を奏でたくなるのです」
「そうなんだ……」
「では、こうしましょうか。無事に旅を終えた暁には、貴女のために歌を作ります。これで、いかがですか」
「本当!? ……なら、あたし、旅に出るよ。約束してくれる?」
「ええ。もちろんです」
「嬉しい!」
クローディアは両手を合わせて、満面の笑顔を浮かべた。
キャシーの依頼を叶えるべく、できることをしてみようとリインは思ったが、歌を取り上げると彼女の反応はたちまち変わった。相当、彼女に歌を気に入ってもらえたようだった。
「それでは、歌を作る代わりに、私と旅をする時、三つ、約束をしてもいいですか?」
「……うん」
「自分の支度は自分ですることです。私は召使ではないですから」
「支度……?」
「ええ。旅の荷物は自身で持って、歩いてください。他にもやるべきことはたくさんありますからね」
「……めんどくさいけど、やってみるよ」
「その心意気です。次の約束は、旅をしている間、あなたと対等な口をきくことをお許しください」
「それはもちろん、大丈夫だよ」
「ありがとうございます。では、最後の約束を話しますね」
「うん」
「貴女と同じように、私は女ですが、男の格好をしています。けれど、私の性別に関しては、決して人に話さないでください。……約束できますか?」
「……約束するよ、リイン」
「そうか。なら、これからよろしく、クローディア」
リインは淡く微笑んで、クローディアに手を差し出した。
クローディアは一瞬戸惑いながらも、リインの掌に触れた。
握手が交わされる。こうして、二人の旅が約束されたのだった。
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