第38話

 夏の太陽の強烈な日差しに照らされて、アスファルトの地面がジリジリと、熱した鉄板の上のように焼けている。


 セミの声は、まだ聞こえてこない。


 例年より二週間早い梅雨明けだってテレビで言ってたっけ。

 

「お待たせー.......って、あれ? お父さんまだ来てないの?」


 マンションの入り口からお母さんが、ロングスカートをなびかせて小走りで出てきた。

 いつもより気持ち派手めな化粧なのは、久しぶりの家族旅行で気合が入っている証拠。

 

「うん。今連絡があって、あと五分くらいで着くって」

「全くお父さんったら。この暑い中女の子を外で待たせるなんて。あとでアイスでも買ってもらおうかしら」


 冗談っぽい口調で笑みを浮かべるお母さんはなんだかとても楽しそうだ。


 今日は単身赴任中たんしんふにんちゅうのお父さんが半年ぶりに家に帰ってくる。

 私の誕生日も近いこともあって、せっかくだからそのまま家族でどこか旅行にでも行こうという流れになった。


加那かな、また背伸びた?」

「そんなことないよ」

「いいから、背筋せすじを伸ばして気をつけして」


 お母さんは私の目の前に向かい合うように立ち、大雑把おおざっぱに手で身長を測り始めた。


「......変ねぇ。縮んでるわ」

「お母さん、ヒール」


 私が人差し指で足元を指さすと、気づいて頬を軽く赤らめた。


「も~、先に言ってよ~! 加那が縮んだんじゃなくて私が伸びたんじゃな~い!」

 

 この人は子供の私から見てもかなりの天然な部分がある。


 ついこの前も『たまごボーロ』のことを『マルコポーロ』と間違えて覚えていたりと、一緒に住んでいてこの手のネタは尽きない。


「ヒール脱いでも多分お母さんの方が少し大きいよ」

「そうかしら? 気になるからお父さんが来る前に、今この場で白黒はっきりさせようじゃない」

「何も勝負してるわけじゃないんだから」

「いいえ。母として、まだ子供に身長を追い越されるわけにはいかないの」


 変なところで自分の娘に対抗意識を持っている母に苦い笑みを浮かべる。


 小学生の頃は前から数えた方が早いくらい、背の小さかった私。

 中学に入った途端に急激に伸び、今年の、高二の春にはお母さんの身長に届くあと一歩の段階までやってきた。

   

「しょうがないなぁ......だったら向こうで測ろうよ。その方がお父さんに公平なジャッジしてもらえるし。それでいいでしょ?」

「分かったわ。加那だけじゃなくてお父さんにも母の強さを証明してあげる」


 年頃の女子と母の会話とはほど遠い談笑は、親というより友達の感覚に近い。


 そんなお母さんのことを私は嫌いじゃなかった。


 同年代の子達が親離れする中、昔と比べて逆にお母さんと出かけたりする機会がぐっと増えた。

 そうなるきっかけが特にあったわけではない。学校の友達と比べて余計な気を使う必要がなく、純粋に一緒にいて楽しい存在。


「――待たせてすまない。道が予想以上に混んでてな」


 私達の目の前に見慣れない銀色の自動車が止まると、中からスーツ姿のお父さんが出てきた。

 久しぶりに会うお父さんは、以前より気持ち体系の丸さに磨きがかかっていた。

 ストレス太りなのかな?


「もう、遅いよー。私はいいんだけど、お母さんが遅れた罰としてお父さんにアイス買ってもらおうってうるさくてさー」

「そんなにうるさく言ってたかしら?」

「まぁまぁ、親子喧嘩するなら車の中で頼む。とにかく早く乗った乗った」


 お父さんはニコニコしながら私達を車の中へと誘った。 

 車内は丁度良い感じに冷房が効いていて快適。眠気覚ましに飲んでいるであろうコーヒーのほろ苦い香りが芳香剤の役割も果たしている。 


 私達がシートベルトをしたことを確認すると、車はゆっくりと目的地がある千葉方面へと走りだした。




***




「それにしても会社の車なんて使ってよかったの?」


 助手席に座っている母さんが訊ねた。


 手には高速道路に乗る直前、立ち寄ったコンビニで買ったコーンのバニラアイス。

 向こうでもっと美味しいアイスクリームが食べられるのになぁ。


「平気さ。会社からはちゃんと許可はもらった」


 汗で濡れたお父さんの顔が、陽射しを受けてわずかに光っているようにみえる。


 正直、私はお父さんがサラリーマンだということ以外、どんな仕事をしているのか未だによく分からない。


 唯一分かっているのは、億単位の仕事をしていて、時には海外へ行ったりもする。

 昔、一度詳しい仕事内容をお父さんから聞いたことはあった。しかし、今以上に子供だった私には全く理解できなかった。


 でもお父さんが会社のエースだと知った時はとても驚いた。

 家ではダラダラとソファーで横になってテレビを見ているイメージが強いだけに。


「僕にとっては自宅の車よりもこっちの方が運転に慣れちゃってるから......もしかして、臭うか?」

「大丈夫。芳香剤の良い匂いしかしないよ」

「そうか、良かった......前日の夜に遅くまで一生懸命掃除したかいがあったよ」

「お父さん気にし過ぎ」


 真顔で母娘に訊ねるお父さんに対して、私達はほぼ同じタイミングで鼻を鳴らして笑う。


「いや、気にするだろう。久しぶりに愛する娘と妻と会うっていうのに、加齢臭が原因で台無しは恰好かっこうがつかない」

「匂いの前に、お父さんは少しダイエットしないと。またちょっと太って」

「......やっぱりそうみえる?」

「何年奥さんやってると思うの? 半年離れていても貴方の体格の変化に気づかないわけないでしょ」

しずかさん......」


 甘々な熟年夫婦のやりとりを魅せつけられ、仲間外れな私は視線を横、車の外へと動かす。

  

 高速道路上の車から見上げる青空は、地上より近いこともあって、いつもとは段違いの迫力。

 手を伸ばせば届きそうな距離だと錯覚してしまう。


 私は青空が好きだ。

 悩み事があっても、青空の前では人間一人の悩み事なんてどれほどちっぽけなものか。

 どんな時も私の真上にいてくれて、勇気づけてくれる。

  

 ――車の窓に映った青空に触れようとした瞬間だった。


 全身に駆け巡るような不快極まりない衝撃音と共に、身体が大きく揺れ、青空が一気

に真っ暗に変化した。


 ............あれ? どこに行ったんだろう......。


 薄れゆく意識の中、私は何かを探るように手を伸ばした。

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