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私はアルバイト先で明日発売の週刊誌を見たという話をKOTA君にした。スピーカーからはKOTA君が大きくため息をつくのが聞こえる。
『うちの事務所にも、出版社の方から週刊誌が届いたんですよ。こういう記事が載るからって……載せる前に言えって話なんですけどね』
「あの、それで、湊人君は……?」
『湊人君なら、今社長と話してるよ』
YOSUKE君の声も聞こえてきた。どうやら二人はスピーカー状態で通話をしているみたいだった。
『ちょっと盗み聞ぎしてみたけど、記事の内容はほとんど認めてたよ。なんか悪びれた感じは全くしないかな』
『何してんだよ、アイツは……』
「ごめんなさい、私のせいなの」
『ホノカさんが謝ることはないです。アイツが隙ばっかり見せるのが悪い』
『むしろ、今まで一度も撮られなかったことが驚きだよね。女の子山ほどお持ち帰りしておいてさ』
「もしかしたら、私の夫が週刊誌に売り込んだのかも……」
『あー、そういえばこの前トラブったって言ってましたね』
『そのおかげでホノカさんとイイ感じになれたって自慢してたけどね』
二人になんて話をしているのだろうか。もう恥ずかしくて二人の顔が見れない。
『でもさ……さっきちょっと聞こえて来たけど、もうアイドルやめてもいいって言ってたよ。大丈夫、だよね?』
『はぁ……』
YOSUKE君の言葉に私も驚いたけれど、KOTA君の声には驚きではなくて、落胆の色が見えたような気がした。
『……もしかしたら、本当にやめるかもな』
『えぇ!? こ、困るよ!』
『アイツ自身、そこまでこの仕事に執着してないんだよ、俺が誘った時から』
KOTA君のため息が寒い冬空に溶けていった。Oceansの結成については、私もいくつかのインタビューを読んで知っていた。KOTAとMINATOは中学の先輩後輩の関係で、ずっとアイドルになりたかったKOTAが『歌が上手い』と評判の後輩・MINATOに声をかけて、それ以来の関係だって。
『アイツは、湊人は……家を出る手段だったら何でも良かったんだ』
「え?」
『湊人は親父さんと関係が悪くて、ずっと家を出たいって言ってたから。芸能人になれば、家を出て自立できるかもって……』
「……そうだったんだ」
『ある程度の生活基盤とか貯金を作ることができたら、アイツ、アイドル辞めてもいいと思っててもおかしくはないんです。もし社長にやめろって言われたら、売り言葉に買い言葉でやめるかもしれない』
『航太君! 変なこというの! 本当にそうなったらどうするのさ!』
サッと顔が青ざめていくのが分かった。私の脳裏には、あのフェスの時、Oceansを……MINATOを応援する女の子たちが過っていた。もしOceansからMINATOがいなくなったら、悲しむ人たちは大勢いる。私の気持ちを押し通す事とソレは比べるまでもない。
「大丈夫だから、私がなんとかするから」
『何とかするって……ホノカさん、どうするつもりですか?』
「ごめんね、切るね」
『あ、ちょっと!』
通話を切る直前、YOSUKE君の声が聞こえてきた。私はスマホをポケットに仕舞い、前を向いて歩きだす。遅い時間だったけれど、鈴木弁護士事務所はまだ明かりがついていた。インターホンを押すと、驚いた様子で優奈が飛び出してくる。
「え? なに、何かあったの!? また藤野?!」
「ううん、違うの。でも、相談したいことがあって」
「……わかった」
私は優奈に、週刊誌の事とそれのせいで湊人君が事務所で社長に怒られている話をする。
「なんか、記者に売ったの藤野っぽい気がする」
「私もそう思う」
「あっちに抗議しても証拠はないって言い返されるだけだけどね。それで、相談って?」
私は意を決するように息を吸った。
「引っ越しをしようと思って」
「あー、居場所知られてるし危ないもんね。でも、あの子はどうするの?」
「……藤野さんから逃げるのもそうだけど、湊人君から離れた方がいいと思って」
「はぁ?」
優奈はあんぐりと口を開ける。
「アンタらイイ感じになってたじゃん。さっきの話を聞く限りだと、彼だって穂花のためにアイドルだってやめそうな勢いなのに」
「それがダメなの。湊人君にはいっぱいファンがいるんだから、その子たちのためにやめてほしくないの」
「穂花はそれでいいの?」
優奈は念を押す。私はそれに対して、強く頷いた。
「分かった。お父さんにちょっと聞いてみる……絶対後悔しないでよ」
「後悔ならもう一生分したよ」
「……あーあ、やっと穂花も幸せになれると思ったのに」
優奈は立ち上がる。デスクの引き出しを開けて何かを取り出した。それには見覚えがあった……私が前まで使っていたスマートフォンだった。
「今朝からずっと、藤野啓子さんって人から何度も電話がかかって来てるんだけど、どうする?」
「藤野さんの、お母さん……?」
「もし穂花が話をしたくないなら私が代わりに出るけど」
優奈はテーブルにスマホを置く。私はそれを手に取った。久しぶりに触れる。連絡先は藤野さんと藤野さんの両親しか残っていない。着信履歴を確認すると、確かにお義母さんから何度も電話がかかって来ていた。
「迷惑かけてごめんね」
「いいよ、これが仕事だし。終わったら二人でパッとやろう」
「ふふ、うん。……新居でね」
私は鈴木弁護士事務所を後にする。背後に注意しながら自宅へ戻っていく。幸い、今日は藤野さんはいなさそうだった。エレベーターに乗り部屋があるフロアにたどり着くと、私の部屋の前に人影が見えた。少しだけ驚いてしまったけれど、それが誰であるのかすぐに分かった。金色の髪が月明かりに照らされている。
「湊人、くん」
声をかけると、彼は顔をあげた。
「ごめんね、迷惑かけて」
「ううん、俺の方こそ。こういうのに気を付けろって航太に口すっぱく言われてたのに、浮かれてた」
「KOTA君から電話来たよ」
「聞いた」
「事務所は大丈夫そうなの?」
「……全部否定しろって言われた」
湊人君は「けどさ」と息を吐きながら続ける。
「アンタの事で嘘なんてつきたくない」
「……あのね、湊人君」
目の前が滲む。私はそれを彼に悟られないように背を向けて、家の鍵を開ける。
「これ以上、湊人君の迷惑になりたくない。だから、もう会ったりするのはやめよう?」
顔を見ることも出来ず、私は俯いたままそう口を開いた。
「なにそれ? 別れようってこと?」
「そもそも、私たち、付き合ってない」
「似たようなもんじゃん! 俺たちの関係なんてさ! なんだよそれ!」
私はドアを開けて、素早く家の中に入っていった。湊人君は「ちょっと!」と言いながら立ち上がり、ドアを引っ張ろうとするけれど……私はそれよりも先に鍵をかけた。
「お願い、開けて、穂花サン!」
湊人君の声が聞こえる。私はドアにおでこをあてた。ぽとりと涙が落ちていく。一度流れると、それはどんどん溢れ出す。私は嗚咽を我慢するように唇をぎゅっと噛む。
「俺、アンタの事迷惑だって思ったの最初の時だけだよ。でも、ご飯作ってもらって、好き嫌いなくしてもらって、アンタの事を好きになって……そういうの、全部なしにするの? 俺にはできないよ、そんな事」
私は返事をしなかった。しばらく静寂が続く。どれだけ時間が経っただろう? 隣の部屋のドアが開く音が聞こえてきた。湊人君が自宅に戻ったみたいだ。私はそれに胸を撫でおろした。……これでいいんだ。そもそも、私たちは出会ったことも不思議なくらい、別世界の住人同士。振り出しに戻っただけなのだから。
でも、胸の痛みだけは消えそうになかった。私は乱暴に目元を拭い、リビングの電気をつける。赤い座布団、一目ぼれしたグラス、増えた食器。これらは新しい家に持って行って大事にしよう。私は座布団に座り、カバンからもう一つのスマートフォンを取り出した。時間は遅いけれど……今日の内にどうしても片づけておきたかった。画面に触れ、電話をかける。
しばらくコール音が鳴ってから、ようやっと繋がった。でも、静寂が流れる。互いに喋る言葉を探しているみたいだった。
先に話し始めたのは、お義母さんだった。
『穂花さん?』
「……はい。ご無沙汰してます」
『うん、本当に久しぶりね……あのね、昨日、うちの息子から連絡があって……離婚するって言ってたんだけど、本当?』
「本当です。今、弁護士に依頼して離婚協議を進めてもらっている最中です」
お義母さんが息を飲んだのが分かった。
『ごめんね、うちの子が本当に……あなたの事、傷つけたわよね。昨日電話が来たとき、穂花さんの事を「地獄に落としてやる」なんて言ってたの。だから、どうしても気になっちゃって』
その言葉で私は確信する。やっぱり、アレは藤野さんの仕業だ。
「私の方こそ、ごめんなさい」
『ううん、謝らないで。でも、こうやって連絡を取るのも、もう最後にするわね。穂花さんも嫌でしょうし……』
答えることも出来ず、私は押し黙る。
『穂花さんがうちにお嫁に来たとき、娘ができたみたいで嬉しかったの。それだけはどうしても伝えたくて……本当にごめんなさい』
お義母さんの声が涙交じりになっていくのが分かった。
『どうか、どうか幸せになって。……今までありがとう』
「あの、こちらこそ、ありがとうございました。お義母さんが教えてくれたちゃんちゃん焼き、私、好きでした」
電話の向こうの嗚咽が大きくなっていく。私はスマホを耳から離し、通話を切った。縁の糸が切れていく音が聞こえたような気がした。大事にしたい思い出を胸に押し込んで、私はゆらゆらと立ち上がる。引っ越し、どこから手を付けようかを考えながら。
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