― 15 ―
「おいしー! 卵焼きが甘いのがいいね、僕こういうの好きだよ」
洋輔がそう言うと、航太が少したじろいだ気がした。卵焼きを箸で掴み、ぽいっと口の中に入れてしまう。すると、表情は一気に和らいだ。
「甘くないじゃん」
「えー? そう?」
航太は甘いもの苦手だっけ。けれど、俺の卵焼きも少し甘かったような……。
「航太の、一口チョーダイ!」
「あ、おい!」
弁当に残っていたもう一切れの卵焼きを半分ほど奪って食べてしまう。航太の弁当の卵焼きは少ししょっぱい気がする……やっぱり、思った通りだ。
(味つけ、変えてる?)
俺と洋輔、そして航太の弁当、それぞれの卵焼きの味付けが違う。どうして、わざわざ面倒な事を。俺が考え込んでいる内に、洋輔は食べ終わっていた。
「美味しかった! その人にありがとうって言っておいて」
「あ、うん、わかった」
「れんこんのはさみ揚げが一番良かった! この前ラジオでその話になってさ、久しぶりに食べたいなって思ってたから嬉しかった!」
その言葉に、俺はまた驚いた。卵焼きと言い、洋輔の食べたかったものと言い……もしかして、穂花サンはそれを全部調べてから弁当を作ってくれたのかもしれない。どうしてそこまで細かい事をするのだろう? たかが弁当なのに。
「思っていたよりもまともな女みたいだな」
俺が考え込んでいる内に航太も食べ終わっていた。俺はハッと意識を目の前の弁当から時計に向ける。昼休憩の時間がもう終わりそうだ。
「だろ?」
「うんうん。また作ってほしいな~。あ、もちろんお金は払うから」
「じゃあ、今度聞いてみるよ」
掻き込む様に弁当を食べていると、洋輔の視線を感じた。
「何だよ、やらねーぞ」
「いや、違うって。お弁当食べてるときの湊人君の顔が何だか優しい感じがしてさ、いいなって思っただけ」
「はぁ? いつもと変わんないって」
「毎日見てる僕には分かるんだなぁ。さては、湊人君、お隣さんの事が好きになっていたりして!」
その言葉に噴き出したのはお茶を飲んでいた航太だった。洋輔が「汚いなぁ」と怒りながらティッシュを渡している。
「お前、まさか、洋輔の言う通り……」
「ないって、ないない」
俺がぶんぶんと頭を横に振って否定すると、航太は「ふーん」と鼻を鳴らすように頷いていた。
フェスに向けた練習を終え、帰る支度を始める。カバンの中に入れっぱなしだったスマホを見ると、メッセージがいくつか来ていた。登録しているブランドショップからのDM、マネージャーから明日のスケジュールの再確認。そして、女のアイコンからメッセージが一件。
『最近会ってないね~今日って暇?』t
名前や写真を見ても思い出せないけれど、きっと以前やりとりをしたことのある女の一人だ。
「湊人君、今日ご飯どうする? 食べに行く?」
「あー……どうしよ」
この女に連絡取って、一緒に飯食ってそれからイロイロするのもありかもしれない。洋輔の提案を断ると、二人は「また明日」と言ってレッスン室を出ていく。女からメッセージに返信しようとしているのがバレたら航太に雷を落とされるから、早く出て行ってくれて助かった。俺は待ち合わせ場所をどこにしようか考えながら、荷物をまとめる。レッスンに使ったジャージとTシャツ、靴、空になったペットボトル。あとは……。
「あ……これ、返さないと」
折りたたまれた紙袋と風呂敷。それを見ていると、穂花サンの事を思い出してしまう。今、何を作っているのか、とか。それを振り払うようにこれから会おうとしている女の事を思い浮かべる。キッチリ引かれたアイラインと口紅、体をまとう香水の匂い。炭水化物や肉を「太るから嫌」と言って残す女たち。気づいたら俺は風呂敷をしわにならないようにそっとカバンに仕舞っていた。キャップをかぶり、サングラスをかける前に女に返信をする。
『ちょっと忙しい』
返信はすぐに来た。
『残念。また今度ね』
ずいぶんあっさりとした返事だった。きっと、すぐ違う男に声をかけているに違いない。俺と同じで、寂しくなった心と体を慰める相手なんてたくさんいる。……けど、あんなにホッとできる料理を作ることができるのは、穂花サンしかいないんだよなぁ。
「帰ろ」
レッスンスタジオの前に停まっていたタクシーに乗り、帰路につく。自宅に近づいていた時、ヘッドライトに照らされる見慣れた人物の姿がそこにあった。
「あ、ここで止めて」
俺は財布から多めのお金を出して慌てて車を降りる。穂花サンは俺が近づいていることに気づいていない。忍び足で近寄り、真後ろに立って……。
「わっ!!!」
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