禁断の恋、始動 ②
――その二日後、加奈子さんと共に取締役会に
彼女は美人でスタイルもいいので、何を着てもステキだ。そして……可愛い。僕がこの日初めて目にしたスーツ姿も大人っぽくビシッと決まっていて、本当にキャリアウーマンさながらだった。
当日は土曜日。絢乃さんの学校は三学期が公立校よりも早めに始まっていたはずだが、当面は忌引きになっているのだと彼女は言った。僕は休日出勤だったので、この日の分の休日手当をもらえたことは言うまでもない。ウチの会社は、そういうところはキッチリしているのだ。
そして、僕はこの日は事実上、秘書室での初仕事でもあった。まだ正式に籍が移ったわけではなかったが、絢乃さんのために働けるのなら休日出勤もドンと来いだった。たとえ「絢乃さんのイヌだ」と
「――おはようございます。桐島です。お迎えに上がりました」
僕は彼女のスーツ姿を目にした途端、どう褒めていいのかうまい言葉が見つからなかった。
元々、女性の扱いがそれほど得意ではない。どう褒めれば女性が喜ぶのかよく分からなかったうえに、ボキャブラリーも乏しいときている。
どうでもいいが、僕は大学時代は心理学専攻だったのだが……。女性の心理だけは、なかなか掴みどころがないというか。こういうことは兄の方が得意かもしれない。
「おはよう、桐島さん。今日はよろしく。……あ、今日〝から〟かな」
はにかみながら挨拶を返して下さった彼女の、なんて可愛かったことか!
「そうなるといいですね。……いえ、きっとなりますよ」
僕はそれに見惚れていたことをごまかすために、笑顔でそう言った。が、それは僕自身の心からの望みでもあった。
車内では、絢乃さん以上に加奈子さんのはしゃぎっぷりがすごかった。
この車に絢乃さんを乗せるのはこの時が初めてだったので、彼女はとても喜んでいた。なので、彼女がはしゃぐのは分かるのだが。加奈子さんもまるで子供に戻ったようで、それもまた可愛らしかった。
****
――それから三十分ほどで、僕たちは篠沢商事のビルに到着した。
地下駐車場で絢乃さんたちを降ろすと、僕の仕事は一旦そこで終わり。
「僕は会議には参加できませんので、とりあえずどこか近くで時間を潰してますね。会議が終わり次第、またご連絡頂ければお宅までお送りします」
僕は一般社員なので、残念ながら取締役会に加わることができなかった。なので会議が終わるまでどこかで時間を潰し、会議終了の連絡をもらえばまた戻ってきて二人を送り届けようと思っていたのだが。
加奈子さんに「帰りはお抱え運転手を呼ぶから、もう帰っていい」と言われ、僕は内心ガッカリしていた。
帰りも一緒になって、会議の結果どうなったかを彼女本人の口から聞きたかったし、彼女の服装へのコメントもまだしていなかったのだ。
それでも僕は、「ゆっくり休みなさい」という義母の言葉に従った。会議の結果は後から絢乃さんが知らせてくれると信じていたからだ。
「……分かりました。では、僕はこれで失礼します。絢乃さんが無事に会長に就任されることをお祈りしてますね」
二人がエレベーターに乗り込むのを見届けてから、僕は自分の車に戻り、本社ビルを後にした。その後の時間の潰し方を考えながら――。
****
――代々木のアパートに戻り、カジュアルな私服に着替えてからはTVを観たり、自分で淹れたコーヒーを飲みながらスマホでゲームに興じたりして時間を潰していた。
絢乃さんから電話がかかってきたのは正午少し前、ちょうど昼食にカップうどんを食べようと思い、ヤカンでお湯を沸かし直していた頃だった。
「――はい、桐島です。お疲れさまです」
僕は通話ボタンをタップすると、スマホを持ったまま慌ててガスコンロの火を消しにキッチンへ戻った。
『桐島さん、朝はありがとう』
開口一番の彼女のセリフに、僕は首を傾げた。この日の送迎(行きだけだったから〝送〟だけか)は前々から決まっていたことだったので、わざわざお礼を言ってもらうようなことではなかったはずなのだが。
そして、心なしか彼女の声がオドオドしてるように聞こえた。
「どうしました? 会議で何かありました?」
もしや、何か問題にブチ当たって会長に就任できなくなったのでは!? 僕は一瞬ヒヤッとした。が、次の瞬間電話から聞こえてきたのは、実に女の子らしくて可愛らしい質問だった。
『ううん、そういうワケじゃないんだけど。あの……、今日のわたしの服装とかメイクとか、どうだったかな……と思って……』
……なるほど、彼女も気になっていたのだ。この日の自分のコーディネートに対する、僕からの評価が。
その頃にはすでに、僕は薄々彼女の僕に対する恋心には気づき始めていた。そりゃあ、好きな男からどんな風に見られているかは、どんな女性も気になるだろう。
『あっ、別に感想を催促してるとか、そんなんじゃないの! だからあんまり気難しく考えないでほしいんだけど……』
そうして慌ててごまかそうとするところも、また微笑ましかった。彼女は僕が困っているとでも思ったのだろうか?
「……ああ、そういえばお伝えしてませんでしたっけ。ステキでしたよ。特に、大きなリボンのついたブラウスが可愛らしくて、絢乃さんによくお似合いでした。お化粧もなさってたんですよね。ちゃんと〝トップレディー〟らしく見えましたよ」
口下手ながら、これは僕が精一杯頑張った褒め言葉だった。朝のうちに言えればもっとよかったのだろうが……。
彼女はお礼を言ってくれたが、案の定「どうして朝のうちに言ってくれなかったの?」とおかんむりの様子だった。
「すみません。なんか照れ臭くて……。僕自身、こういうシチュエーションにはあまり慣れてなかったもので」
これは紛れもない事実だったが、今思えば何とも聞き苦しい言い訳である。兄ならもっとうまく褒めることができただろうに。
彼女は長い沈黙の後に「そう」としか言ってくれなかった。半ば呆れていたのかもしれない。
会議の結果については、他に彼女の
どうも、途中までは雲行きが怪しかったらしいのだが、義父の同期で友人でもあった村上社長が絢乃さん側について下さったことで一気に形勢が逆転したのだとか。
「そうですか! おめでとうございます! 就任発表はいつですか?」
『明後日の株主総会で、正式に発表されることになったわ。というワケで、貴方もその日から秘書室の一員よ』
つまり、その日から僕にも正式に会長付秘書というポストが与えられる。――それまで宙ぶらりんだった僕のポジションが、この時キチンと定まったのだ。
「いよいよですね……。僕、全力であなたをお支えします! よろしくお願いします、絢乃会長!」
『ええ。一緒に頑張りましょう! よろしくね!』
――世間と、彼女に反発する親族たちを相手とする僕と彼女の戦いが、ここから本格的に始まった。
きっと彼女はこの先、世間から色々な意味で注目されるだろう。マスコミやメディアからの取材も殺到するだろうし、ネットニュースやTVのコメンテーターからは辛辣な意見を言われることもあるだろう。
そして何より、反対勢力からは嫌がらせを受けるだろうことも容易に予測できた。
まだ十代の彼女ひとりを盾にしたくない。盾なら俺がなってやる! 俺が彼女を守らないで、誰が守るんだ!? ――僕はこの時、俄然燃えていた。
****
――二日後。インターフォンで「今出るわ」と言った絢乃さんと義母を待っていた僕は、数分後に現れた彼女のいで立ちにハッとさせられた。
見覚えのある黒いウールのコートの裾から見えたのは、ダークグレーの膝丈のプリーツスカート。通学用のバッグを提げ、黒のハイソックスと黒のローファーを履いていることから、コートの中がスーツではないことが分かった。
「――おはよう、桐島さん」
僕に挨拶をしながら、車に乗り込むためにコートを脱ぎ始めた彼女は、赤茶色のブレザーの胸元に赤いリボンがついた学校の制服姿。
淡いピンク色のブラウスが何とも女子校らしいが、ボトムスにチェックではなく、赤いラインが一本だけ入ったシンプルなスカートを合わせているのが清楚で品がある。さすが名門校。
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