総務課最後の仕事 ②
「……ゴメン、取り乱しちゃって」
僕に声を荒らげてしまったと反省した先輩は、ハッと我に返って僕に頭を下げた。
「いえ。僕の方こそ、センシティブな問題に首突っ込んじゃったみたいですみませんでした」
悪いのは先輩ではなく、僕の方だった。いくら学生時代の先輩が相手とはいえ、他人のプライバシーに踏み込むのはご法度だ。
「――じゃあ、私は今日早退するから。会長のご様子も気になるし、せめてこういう時くらいは側についてて差し上げたいから。……これが秘書として最後の仕事になるかもしれないし」
「……はい。お疲れさまでした」
時刻は午後一時前。先輩は一旦秘書室に寄り、広田室長に早退の旨を告げてから篠沢邸に向かったという。
僕が絢乃さんに、源一会長の容態を訊ねたのはその前日だった。末期ガン患者の病状は刻一刻と変わるらしい。彼女は一体、どんな想いでお父さまが弱っていくのを見ていたのだろう……。
まだ午後の業務が始まるまでは少々の時間があった。僕は内ポケットからスマホを取り出し、彼女に電話をかけた。
彼女だって、僕からの連絡を待っているかもしれないし……、と自分に言い訳をして。
『――はい。桐島さん?』
前日と変わりなく、今にも泣き出しそうな声に、僕の胸は締め付けられた。
「はい、僕です。――お父さまのご様子はいかがですか?」
『うん……、あんまり変わらないみたい。昨日からほとんど意識が戻ってなくて、ずっと眠ったままみたいな状態で。……主治医の先生も、このまま意識が戻らなければ年明けには……っておっしゃってた』
「そうですか……」
必死に泣くのをこらえていたのだろう。時々鼻をすすっていた彼女に、僕の目もつられて潤みそうになった。
健気だ。健気すぎる。こんな時くらい、僕に泣き言を言ってくれても構わなかったのに……。まだ彼氏になったわけでもなかったのに、こんなことを思った僕は厚かましかっただろうか? 今思えば、「お前何サマだよ」という感じではある。
「……絢乃さんは、大丈夫ですか?」
『わたし……? どうして?』
「僕が今心配なのは、絢乃さんの心の方です。そんなに気丈に振る舞ってらっしゃっても、僕には分かりますよ。あなたが必死に泣くのをガマンして、ムリをしてらっしゃることくらい」
『…………それは、だって』
「それも何となくですけど分かります。お母さまのためですよね? 自分が泣いたら、自分よりおつらいはずのお母さまが泣けなくなる。そうお思いなんじゃないですか?」
彼女は心がキレイで、すごく優しい人だ。それに、自分にも他人にも厳しい。僕が言ったことは、多分当たっていたと思う。
『……貴方の言ったとおりだと思う。わたし、無意識にママに気を遣ってるのかも。――でも、今は泣かない』
「どうしてですか?」
僕は首を傾げた。というか、「今は」というのはどういうことだろうか?
『泣くのは今じゃないから。パパが旅立った時に、思いっきり泣きたいから。だからその時までは、涙を取っておきたいの』
「はぁ」
まるで昭和のアイドルの歌のようなことを彼女は言ったが、気持ちは何となく分かったので僕は頷いた。
それは彼女の持ち前の芯の強さからなのか、単に強がっていただけなのかは僕には分からなかったが、もしかしたら彼女なりのプライドだったのかもしれない。
「……分かりました。ただ、泣き言をおっしゃりたい時には、遠慮なさらずにいつでもお電話下さいね。僕も明日で仕事納めなので、できるだけお付き合いしますから」
『うん。わざわざ心配して、電話くれてありがと。もし……、もしパパにまた何かあったら知らせるわ』
「はい。じゃ、失礼します」
僕は通話を終えるとスマホの電源を切った。すでに午後一時を回っていたが、すぐに仕事に戻る気にはなれなかった。
絢乃さんが今、ご自身の中の悲しみと必死に闘っていらっしゃるのだ。――そう思うだけで、あんな傍若無人な上司の言いなりになっていたことがだんだん馬鹿らしく思えてきた。
どうせもうすぐ異動するのだから、もう僕に怖いものなんてなかった。何を言われたところで、同期の久保には申し訳ないが、構う知ったこっちゃなかった。
****
――
『――桐島さん。……父が、ついさっき息を引き取りました』
僕が通話ボタンをタップすると、彼女は涙声で僕にそう告げた。
よっぽどショックが大きかったのだろう。普段はお父さまのことを「パパ」と呼んでいた彼女が、改まって「父」と言っていた。
「そう……ですか」
でも、彼女が大泣きすることはなく、僕は二の句を継げずにいた。
『ホントは貴方に真っ先に電話して、思いっきり泣こうと思ってたんだけど……。先に里歩に電話して大泣きしたから、ちょっと落ち着いた……かな』
「……そうなんですね」
少し吹っ切れたように、彼女の声が微妙に明るくなったので僕は安心した。いちばん悲しい時、つらい時、真っ先に電話して思いっきり泣ける相手がいるのはいいことだ。そういう意味で、彼女はいい親友に恵まれたと思う。
ただ、みっともないことに、僕は里歩さんにちょっとばかり嫉妬してもいた。絢乃さんがいちばん弱い部分を見せられる相手が、僕ではなかったことに対して。
「……あの、絢乃さん。お父さまの葬儀は、僕たち総務課が取り仕切ることに決まりました。僕にとっては、これが総務課での最後の仕事になります」
僕はそこからガラリと口調を仕事モードに切り替えた。残酷だったかもしれないが、大事なことなので彼女に告げなければならなかった。
彼女はすでに、次期会長の最有力候補になっていたのだから。
『そうよね……。貴方、もうすぐ転属するって言ってたものね』
「はい」
『ママが村上さんに連絡を入れてるから、会社からも貴方に連絡が行くと思うけど。一応わたしからも伝えておこうと思って。――今夜のお
会社から連絡が来るのなら、わざわざ彼女から伝えてもらう必要性はないのだが。彼女はご自身の意思で僕に知らせることにしたようだった。それは義務ではなく、僕への信頼からだろう。
「分かりました。誠心誠意務めさせて頂きます。絢乃さん、今はおつらいでしょうけど、僕にできることなら力になりますから。何でもおっしゃって下さい。……わざわざご連絡頂いてありがとうございました」
『うん。わたしの方こそありがとう。それじゃ、明日、よろしくお願いします』
彼女は自分から電話を切ることはほとんどなく、僕が切ることの方が多かった。この時も、僕が「失礼します」と一言添えてから終話ボタンをタップした。
「――は~~~~、エラいことになったな……」
僕はおひとりさま用のコタツの天板にスマホを投げ出し、ゴロンと寝転がって天を仰いだ。
まだ正月三が日だったが、正月の浮かれ気分はすっかりどこかに吹き飛んでしまった。自分の勤め先のボスが亡くなり、自分の所属部署がその葬儀を取り仕切ることが決まっていた。きっとすぐに会社から連絡が来て、緊急会議だから出てこいと言われるだろう。
当然、正月休みも返上することになるだろうと分かっていたので、別に腹は立たなかった。むしろ、絢乃さんのためなら喜んで休暇くらい返上してやろうじゃないかと思っていた。
――案の定、それから一時間も経たないうちに、「これから緊急会議だから出社するように」と島谷課長から電話がかかってきた。
****
翌日の源一会長の葬儀は、都内にある大きな
その日は朝から寒く、クリスマスイヴ以来の雪が降りそうな日だった。
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