イヴの遺言 ③

『うん。ウチでみんなでご馳走やケーキを食べたり、歌を歌ったりするの。みんなっていっても、あと招待してるのはわたしの親友だけだし、ケーキはわたしが作るのよ』


「……えっ? 絢乃さんの手作りケーキ……ですか」


 彼女の話を聞いてみれば、やっぱりごく一般的な家庭でのクリスマスパーティーと変わらないようだった。それに、彼女の手作りケーキを頂けるというのも、スイーツ男子の僕にはものすごく魅力的だった。


『そうなの! 張り切って、美味しいケーキを焼くから! 桐島さん、甘いもの好きでしょ? だからぜひ食べてもらいたくて』


「憶えてて下さったんですね、僕がスイーツ男子だってこと。――もちろん出席させて頂きます! ケーキ、楽しみにしてますね」


『うん、期待に応えられるように頑張るね! お疲れのところゴメンなさい。それじゃ、また連絡します。おやすみなさい』


「はい、おやすみなさい」


 電話を終えた僕は、夢見心地だった。

 絢乃さんと知り合った夜、立派なゲートから先には入れなかった篠沢邸。あの豪邸に、僕が招待された……。しかも、想いを寄せる絢乃さんご自身から!


 クリスマスパーティーとはいえ、ホームパーティーなのだからスーツを着て行く必要はなさそうだった。が、普段着で行くというわけにもいかないだろう。


「ちょっと待て! 着るものどうしよう……」


 自分で言うのも情けない話だが、僕は私服のセンスも、物選びのセンスもイマイチよくない。

 こと物選びについては、学生時代に付き合っていた彼女の誕生日にとんでもないものをプレゼントして、彼女をドン引きさせたことがあったのだが、それはともかく。

 絢乃さんのお家ということは、当然〈篠沢グループ〉代表のお宅でもあるということだ。ドレスコードはないにしても、服装で恥をかくわけにはいかなかった。

 というわけで、少々不本意ではあるが、僕はある人物を助っ人として頼ることにした。


****


「――なぁ兄貴、この格好ってちょっと派手じゃねえかな?」


 クリスマスイヴ当日の夕方。僕は自分の部屋を出る前に、実家からわざわざ服選びに来てくれた兄に(わざわざ、というほど離れてもいないのだが)、これで何回目だとツッコまれそうなくらいしつこく念を押して訊いていた。


「お前、マジしつこい。クリスマスだろ? パーティーだろ? ならこれくらいの色着てってちょうどいいんだって。お前の服地味すぎ」


「そう……かなぁ……?」


 兄が僕のために選んでくれた服は、淡いオレンジのカラーシャツにアイボリーの二ット、そして黒の綿パンだった。

 これらの服は僕の部屋に元々置いてあったものではなく、兄がこの日のために買ってきてくれた。僕のセンスなら、このチョイスはあり得なかった。

 アルバイトをいくつも掛け持ちして働くフリーターであり、将来自分の店を出すために貯金もしていた兄にはかなりの負担だったことだろう。兄には申し訳なかったと今でも思っている。


「お前だって、絢乃ちゃん……だっけ? そのコにカッコいい自分を見てもらいたいと思ってるだろ? 駐車場に停まってる新車のシルバーのマークXだって、そのために買ったんだろ?」


「う…………。そりゃあ……まぁ」


 兄には、僕の彼女への想いがバレバレだった。面と向かってその話をした憶えはなかったはずなのだが……。さすがは恋愛に関しては百戦錬磨の兄である。


「せっかく招待して頂いたんだし、失礼があっちゃいけないしな」


 でも、一応は建前でこう答えておいた。絢乃さんへの純粋な恋を、兄にイジられるのはゴメンだったからだ。


「お前は素直じゃねぇなあ……。ま、いいや。せっかくの招待だし、楽しんでこいよ」


「うん。じゃあ行ってくる。――兄貴、今日は来てくれてありがとな。ムリ言ってゴメン」


「いいってことよ。二人っきりの兄弟じゃん?」


 面倒くさいところもあるが、やっぱり僕はこの兄を嫌いになれない。尊敬の念も抱いているし、頭が上がらないし、ついつい頼ってしまう。

 僕と絢乃さんが付き合えることになったのも、兄のおかげだった。……ただ、調子に乗られるとまた面倒くさいので、あえて本人には言わないが。


 僕はアパートの外階段を下りると、紺色のダッフルコートの襟を掻き合わせて近くの駐車場へ向かった。

 その日は雪が降るかもしれないと、天気予報でも言われていた。曇り空の下、凍えるような寒さの中で、自然と足取りも速くなっていた。

 買ったばかりのマークXも、この日絢乃さんに見てもらいたかった。これが僕の決意の証だと。

 まさか本当に雪が降るとは思っていなかったので、スタッドレスタイヤには変えていなかったが、念のためタイヤチェーンはトランクに積んであった。

 

 僕はリモコンでロックを外し、深呼吸をしてからハンドルを握った。


****


 ――篠沢邸のゲートは、いつ見ても立派で圧倒される。この家の一員となった今でも、僕はまだ萎縮してしまう。

 高さも幅も、いわゆる〝門〟というカテゴリーに収まりきれないくらい大きい。

 そのレンガ造りのゲートの一画に「篠沢」と彫られた高級感漂う表札と、カメラ付きのインターフォンが取り付けられている。

 一旦車外に出た僕は、緊張で震える右手の人差し指で呼び鈴のボタンを押した。


『――はい、どなた様でございましょう?』


 応答してくれたのは絢乃さんでも加奈子さんでもない、ちょっと年配の女性の声だった。その丁寧な口調からして、住み込みの家政婦さんだろうか。

 今思えば、あの声は間違いなく家政婦の安田やすだ史子ふみこさんの声だった。


「あの……、こんばんは。僕は篠沢商事の社員で、桐島といいます。こちらの絢乃お嬢さまからご招待を頂きまして」


 誰からの招待かなんて、言う必要はなかった気もするが。とりあえず、怪しい者ではないと証明したかったのかもしれない。


『お嬢さまが……。少々お待ち下さいませ』


 その一言の後、しばらく待っていると、突如声の主が変わった。


『桐島さん! よく来てくれたわね。どうぞ、上がって。――車は、車庫のどこに停めてもらっても構わないから』


「えっ、絢乃さん!?」


 何てことだ、絢乃さん自らインターフォンに出て下さるなんて! しかも、訪問者が僕だと分かったので、わざわざ家政婦さんに代わってもらったらしい。

「お言葉に甘えて」と答えた僕の声は、完全に舞い上がっていた。


****


 ――篠沢邸の車庫は、敷地の広さに比例して大きい。普通乗用車なら軽く七,八台は停められそうな広さで、そこにはすでに三台の車が停まっていた。


「へえ……、停まってる車は意外と庶民的なんだなぁ」


 一台はあの寺田さんが運転を任されているであろう黒塗りの高級車センチュリーだったが、あとの二台は源一会長が運転されていたであろう紺色のレクサスのセダン(ちなみに右ハンドルだった)と、多分家政婦さんの持ち車であろう白のコンパクトカーだった。

 

 僕は一番お屋敷に近い一画にマークXを停め、玄関を目指したのだが……。広い敷地の中で少し迷ってしまい、玄関まで辿り着くのに五分近くかかってしまった。


「――桐島さん! いらっしゃい!」


 僕を笑顔で出迎えて下さった絢乃さんに、僕ははにかみながら、それでも少し緊張しながら招待して頂いたお礼を言った。

 彼女は僕に「そんなに固くならないで」と苦笑いしつつ、スリッパに履き替えた僕をパーティー会場であるリビングへ案内して下さった。


 ……絢乃さん、ムリに明るく振る舞ってるな。――僕の目には、彼女の明るさがかえって痛々しく映った。

 源一会長の体調は、この頃にはすっかり弱っていた。会社内で時たまお見かけするだけだった僕ですら見ていてつらかったのに、その人の子供である彼女がそんな父親の姿を見て心を痛めていなかったはずがない。父親を心から尊敬していた、優しい彼女ならなおさらそうだったろう。

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