第45話 昆蟲大戦(その4)

 

 ◇◇◇



 第五障壁が砕けて間もなく、城壁外では騎馬に乗った第一大隊が、黒門に向けて一斉に馬を駆けさせている



「撤退じゃあああ〜〜!!!! そこ、早よせんかい!!

 第六障壁は分厚いが、いつまで保てるかわからんぞ!!」


 両手から火炎弾を撃ちつつ声を張り上げて指示を出すのは、大隊長のゴルドーだ。



「まったく、キー坊も人使いが荒いわい!! こんな老いぼれに危ない任務ばかり寄越しおってい!!」



『ゴルドーさん? 聞こえていますよ?』



「だから言うておるんじゃろうが!!」



 ゴルドーの掌から怒気の篭った一撃が放たれ、数十体程の蟲を巻き込んで炸裂する。



『おやおや、それは失礼』



 壁上のキースから念話による連絡を待つまでもなく、ゴルドーは既に兵士たちの撤退を始めていた。



『もう少し保つかと思っていましたが、早かったですね』



「なんじゃい、ワシらの働きに不満でもあるんか?」



『いえいえ、今のは唯のボヤきですよ。蟲の勢いはほぼ止めたつもりだったので、第五障壁が砕けるのが少し早かったと思った次第です』



「ふん。大方はその前の四層で殺しきれんかった突進の勢いが初撃にでも乗っとったんじゃろうが」



『そうとも限りません。先程より早いペースで第六障壁が削られているとすれば、残されている時間はそう長くありませんよ? とにかく可能な限り急がせてください』



「そう急ぐない!!いまやっとるわ!!」



 二人は軽口を叩きあっているが、その眼は笑っていない


 第五障壁の前には死体の山が折り重なっていたので蟲の攻撃力は半減していたが、現在第六障壁を削っているのは死体を乗り越えて進んできた新手であり、必然的に障壁が破られるまで時間も早まっているはずなのだ。



 その予測が正しいことを物語るように、見る見るうちに第六障壁には小さなヒビができ始めていた。



 だが、ゴルドーはまだ退かない。自らが指揮官を務める第一大隊の撤退を横目に、未だ障壁に魔力を供給し続けている


 少しでも長く障壁を保つためである。




 部隊の長たる者は、部下の誰よりも先んじて敵に当たり、部下の誰よりも後に戦場を去るべきである。それはゴルドーが一兵卒の頃から描いていた理想の指揮官像であった。



 大隊長の座まで上り詰め、その考えが合理的でないと分かるようになってからも、彼が自分の信念を曲げることはない。



 そんな武骨なやり方を貫く叩き上げの爺を部下は慕っているし、彼が筆頭大隊長を務めている理由も、実力に加えてそうした人格者としての側面が備わっていることを評価されたからだった。



『ゴルドーさん、殿しんがりが退がり終えましたよ!! さあ、壁内に避難を!!』



「やっとか!! ヒヤヒヤさせおって……」



 キースの報せを受け、ゴルドーはほうと息を吐いてから馬の首を黒門へ向ける。


 が異様に大きくなっていることに彼が気がついたのは、その直後だった。




「こりゃあ……まずいのぉ」



 たらりと嫌な汗がゴルドーの頬を伝う



 そして後ろを振り返ることなく馬に鞭を入れ、彼は叫んだ




「黒門を閉めろおおお!!!!」




 ──ッズドドドドドドドドドドン!!!!




 刹那、第六障壁に向けてから次々に飛行型の蟲が激突する




 ──バキンッ!!!!


 


 急激な負荷上昇に耐えかねた魔法障壁は、ついに音を立てて砕け散った


 直後、障壁にもたれかかる様にして押しとどめられていた無数の蟲が、雪崩れの様に城壁へ向かって迫り来る




 ……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!





『──ッ黒門を閉じなさい!!』



 キースが慌てて指示を出すも、半扉を残す様にして開いていた黒門は重く、兵士達が総出で押し込んでも早々には閉じられない。





(これでは間に合わないッ!!)





 誰もがそう思った時、一人の初老の男性が門扉へ歩み寄った



「退がれ、儂がやる」



 大剣を背に携えた男──ギルドマスターことコーダ・レイが力を込めると、門扉は重い音を立てて動き出す



 閉じ行く門の隙間から、蟲の濁流に呑み込まれまいと必死の形相で馬を駆るゴルドーの姿が見えた



 門を押す力を少し緩めたコーダを見て、ゴルドーが叫ぶ



「よい!! 我に構わず閉じられよ!!」



 そう叫ぶと同時、ゴルドーは馬から飛び降りた


 彼は残った魔力をありったけ集約させると、その両手に特大の火炎弾を産み出した




「うわーっはっはっはぁ!!我こそはぁ!! 辺境最強の騎士団黒獅子の咆哮、第一大隊長の……ッ」



 蟲に向かって放つ間もなく、ゴルドーは蟲の濁流に呑み込まれる





「ッゴルドォーーなぁりぃいいい!!!!」





 ────ッカ!!────





 刹那、彼のいた場所は爆炎を吹き上げて大きく消し飛ぶ


 その爆心地には、既に彼の影さえ残っていなかった




 ◇◇◇




「……お見事」



 鋭い目つきでその一部始終を見届けたコーダが力一杯に扉を押し込むと、今度こそ黒門は完全に閉じられる



 数瞬の後、ズズンという重い音と衝撃が城壁中に轟いた





 ◇◇◇






 城壁内部の制御室で《黒門》と魔力を同調させていた騎士団長ガレフに、キースからの念話が入る



『……ッガレフ団長、今です!! 煉獄を!!』



 掠れた声に、彼の動揺が表れていた。


 第五障壁が破られたという連絡を受けてから、そう時間は経っていない。第六障壁は息子が予見していたよりも随分と早く砕けたらしい


 だが、現時点で自軍には殆ど被害らしい被害は出ていないということを、ガレフは直ぐに理解した




(キース、息子よ……お前はよくやった。あとは私がやる)



 ガレフは内心呟く


 ガレフには外の様子がいたわけではなかった。あくまでもキースとの念話を通じて断片的な情報を得ていたに過ぎない


 しかし《黒門》と意識を合わせていくにつれて、彼にはこの城塞都市に住む生命の存在を、段々と感じ取れるようになっていた



 ────



 蟲から逃げる様にして、城門へ雪崩れ込む第一大隊の兵士達



 城壁の薄い東側の壁の外で蟲の影に怯えながら、今もなお土嚢を運び続ける第二大隊の兵士達



 壁上で叫び声を上げつつ、投石を続ける第三大隊の兵士達



 空を覆い尽くさんばかりの蟲に向けて、対空砲火を続ける第四・第五大隊の兵士達



 教会で肩を寄せ合いながら互いに励ましあう住民達



 彼等を決して蟲に害させまいと警護にあたるフィリスの冒険者達



 そして────



 憎悪の籠った相貌で蟲を睨みつけながら、自らの名を呼ぶ愛しい息子



 今や、この街に残る全ての生命の存在をはっきりと感じ取ることができた。




 それらの存在を、彼は────




 それらの存在はにとって、ひどくに感じた






(…………腹が……減ったなぁ……)







 圧倒的空腹感、否、飢餓感とも呼べる程の、純粋な食欲が唐突に湧き上がる






(美味そうだなぁ……早く、喰いたいなぁ……)




「……ッ何を馬鹿な!! そんなこと、許す筈がなかろう!!」




 ガレフは首を振って、自らの中で蠢く不気味な声に向かって叫ぶ





( ……ッぐ、薄々感じてはいたが……やはりこの門、神聖とは対極にある存在の様だな)




 あり得ないほど猛烈なに襲われながら、彼は何とか正気を保っている




 これ程までに長い時間、深く黒門と魔力を、否、意識までをも同調したのは初めてのことだった



 この都市フィリスは、……《黒門》は、ずっとこの時を待っていたのだ。歴代の騎士団長によって少しずつ魔力をながら、300年もの長きに渡って血を求めていた。そして、その渇きはもう現界寸前のところまで来ていたのである。





 オオオオオ……




 黒門に施された獅子のシンボルから、うめき声のような音が鳴る




(ああ、今解き放ってやるぞ……だが、お前が喰うのは其方そちらではない)




 ガレフの意志に呼応する様に、《黒門》から蟲達に向かって放射状に細い影が伸びていった








(さあ、好きなだけ喰らうがいい────)















 ───「《煉獄》」────















 ガレフが唱えた瞬間


 黒門に張り付いていた蟲の影から、が一斉に湧き上がる



 それらは影から影へと乗り移るようにして放射状に広がり、瞬く間に群れ全体が炎の中に飲み込まれた





 ──ッギチギチギチギチギチギチギチキシャァァ!!!!




 脚元から湧き上がる焔に巻かれていく蟲達は、断末魔を上げながら多脚をバタつかせて踠き苦しんでいる。黒い炎は、まるでそれらをゆっくりと味わうかの様に焦がし、溶かし、喰らっていく




 ◇◇◇




 壁上から平野を見下ろすように陣取っていた第三大隊を始めとする騎士団の面々は、その圧倒的な光景を目にして言葉を失っていた。中には手から武器を落とす団員も居た



 壁下にはまだ、地上を埋め尽くしてもなお足りぬほどの蟲がギチギチとアゴを鳴らして蠢いている。しかし、壁を登ってくる蟲は一匹も居ない



 それもそのはずである


 壁に取り付く脚など──既にのだから




 グズグズと脚元から腐る様にして溶けていく蟲達を目にした者達は、臓腑を底から押し上げられる様な感覚に次々に嘔吐した。




 天使と悪魔の戦いに謳われている



 悪魔の用いた地獄の黒い炎──《煉獄》



 その炎は身を腐らせ、骨を溶かし、対象を燃やし尽くすまで決して消える事はないという



 いま自分達の目の前で広がる光景こそ、まさに煉獄そのものだった



 自分達が誇り、信頼し、騎士団の名の由来にさえなったこの門を



 彼等は既に恐れる事しかできなかった




「……これが、騎士団の戦い??」



 ポツリと誰かが口を開いた。



「黒門がこんなにも恐ろしい物だったなんて……」



 ザワザワと、兵士達の間に動揺が広がっていく



『静まりなさい!! まだ戦闘は終わっていませんよ!!』



 一喝でそのざわめきを止めたのは、若き指揮官の声だった



『騎士団総員、聞きなさい。黒門の発動は成りました。ですが、飛行型の蟲はまだ健在です。第四、第五大隊は、引き続き防空任務を継続。第ニ、第三大隊は煉獄……いや、黒い炎が消えるまではその場で待機。遠見台の者は継続して監視任務を続行し、現在の女王の所在と生存の有無の確認を急いで下さい』



 キースの念話による指示が出る。


 そうだ。まだ終わった訳ではない。少なくない数の飛行型の蟲が空を飛んでいるし、女王の生死は不明だ。


 団員達はその言葉に正気を取り戻す。


 今は勝利を祝う時でも、悪魔の影に怯える時でもないのだ。



 戦いはまだ終わっていない。




「副官殿、あの……。第一大隊は……」



 その指示に、傍らの兵士が疑問を投げかける。



 キースとてわかっている。彼等を最も信頼し、最も危険な任務を任せたのは彼だ。



 そして現状、この戦いでたった一人失われてしまった英雄が愛した大隊を、彼が忘れることなどない。ただ、かけるべき言葉を見つけられなかっただけである。



 彼は、指揮官として余りに若すぎた。




『第一大隊…………第一大隊は、補給と負傷兵の回復に努めなさい。ゴルドー大隊長の後任は……』




 彼が絞り出すようにして指示を出そうとしたその時




「これ!!待たんかいキー坊!!わしゃあ生きとるわい!!」



『後任は、ゴルドーさんが……ゴルドー……さん?』




 キースが振り向くと、そこには全身ヒビだらけの魔導鎧に身を包んだ、髭面の爺が汗だくになって仰向けに倒れていた。



 その傍らでは、黒いローブを纏った妖艶な女性がふわふわと唾広の帽子を使い風を送っている。




 キースの視界が霞む、まだ戦闘は終わっていないと言ったばかりだというのに、たった一人の兵士の安否に何故こうも一喜一憂してしまうのか。


 自分は騎士として、指揮官として向いていないとつくづく思う。



 だが、彼の涙腺はそんな羞恥や指揮官としての振る舞いなどに構いはしなかった。彼は、キースは泣いていた。



「……え。あれ? いや、おかしいですね……なんで、涙が……なんで、ゴルドーさんが……??」




 ゴルドーを救ったのは、この世界で唯一転移スキルを使用できる大魔女だった。蟲に呑み込まれる瞬間、彼女は転移を発動してゴルドーを壁上に逃したのだ



「あらあら?色男さん。この髭のお爺ちゃんが大好きなのね」



 ミレッタは、良いことをしたと満足気に微笑んでいた。



 ◇◇◇

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