第42話 昆蟲大戦(その1)
◇◇ 城塞都市フィリス 城壁 ──
慌ただしく城壁の上を駆け回る騎士達の喧騒の中、遠見台から南西の方角を静かに見つめているのは騎士団長副官のキースである。
その
「ゴルドーさん……頼みますよ」
群れ先端の前方約200m程の地点を、50騎の騎馬隊が駆けていた。ゴルドー隊長率いる第一大隊の精鋭である。
陽動は、現在のところ上手くいっている。騎馬隊は蟲に追われながらも耕作地の合間を抜けるように群れを誘い、進行方向を的確に黒門の方に向けていた。
耕作地の水を抜かなかったことが幸いして蟲は泥に脚を取られている。大群が通り過ぎた後には、後続に踏み潰された蟲の死骸が無数に転がっていた。しかしそれも、群れ全体から見ればたったの一握りでしかなかったが。
地形を利用した巧みな陽動により、群れの速度は十分に抑えられている。このままいけば駿馬を揃えた精鋭部隊が追いつかれるようなことはないだろう。だがもし誤って馬の足を泥に取られて群れに呑み込まれるようなことになれば、例え騎士団の歴戦の猛者とて生きて再び壁の中へ戻ることは不可能だ。数の暴力とは、それ程までに凄まじい。
蟲の一群はそれぞれが独立した個体でありながら、まるで一つの生き物のように統制された動きで騎馬隊を追いかけている。
耕作地を抜けた騎馬隊は程なく合流し、城壁へ向かって速度を上げた。この先は平地が続くため、下手に機動を変えれば追いつかれるかもしれないのだ。
最後の仕上げと言わんばかりに、速度を落とした一騎が群れに向けて炎の矢を放つ。大隊長のゴルドーである。
掌から伸びた赤い光が真っ直ぐに群れへと着弾すると、数十体程の蟲が炎に包まれて炭になり、一瞬で後続に呑み込まれていった。
その一撃に呼応するように、群れはその進行方向を定める。
その先にあるのはもちろん──《黒門》だ。
瞬間、群れ全体を舐めるように見ていたキースの眼が、ある一点へと吸い寄せられた。
「いた…………見つけましたよ」
彼が探していたのは、群れの中に生じる僅かな
死への恐怖など感じない蟲の群れの中で唯一、命の危険に対して身構える個体 ──
「特徴は覚えました。なるほど、わかりやすいお友達に囲まれていますね」
キースは発動させていた《遠目》を解くと遠目台から飛び降りる。全身に纏う魔導鎧の重さにも関わらず、その着地は綿毛のように軽やかである。
彼は司令室へと向かいつつ、壁外に整列した第二大隊を見遣る。壁の薄い地点にも土嚢や柵が設置されており、川という天然の障害を十分に利用したこの地形なら容易に抜かれることは無いだろう。
壁内の大広場には、既に防空を担う第四、第五大隊が整列し、壁上を覆う魔法障壁を張り始めている。
「準備は上々、あとは見てのお楽しみ……ってやつですか」
現状は、騎士団の思い描いた展開のとおりだ。キースの頬が自然と緩んだが、彼は自らの口元へそっと手を伸ばすと、フウと息を吐いて再び表情を引き締める。
「いけませんね、このままだと伝説に残るは《黒門》ばかりだ。《黒獅子》の名を歴史に刻むためには、
そう独白し、キースは更に足を早めるのであった。
◇◇◇
「状況はどうだ」
蟲襲来の報せを聞き壁上へ登った
「蟲の大群は現在、フィリス南西の方角から街に向け接近中。壁外で巡察の任務に就いていた第一大隊が予定通り黒門への陽動を遂行し、先程城内に戻りました」
キースは続けて、現在判明している敵の情報等について報告する。
「敵の規模ですが、確認できる限りは飛行型が約五千体、地上型は十万体といったところです。地上型には動きの速い魔物もおりますが、騎馬に追いつくような速度は出せないようです。この辺りは先遣隊が得ていた情報と一致しています。黒門の発動準備及び各大隊の配置も済んでおり、現時点で作戦の変更は必要ないと見積もっております」
騎士団長は頷いて続きを促した。
「うむ、では計画通り群れを十分に引きつけてから黒門を発動させよ。飛行型の対処も問題なさそうか?」
「飛行型は地上型のような甲殻を持っておらず、腹側は柔らかいのでそう時間をかけずに殲滅できると見ています。ただし、対空火網をすり抜けた個体が高々度から垂直降下を仕掛けてきた場合には、市街地への落下も考えられますので対応を考える必要があります」
「わかった。市民は複数箇所に一塊で避難させ、冒険者には撃ち漏らした飛行型の対処を任せよう」
「はっ、では冒険者組合に連絡を」
団長の指示は事前にキースが予想していた通りであったため、伝令に指示を出して直ぐに組合へと走らせる
「他にはあるか?」
「はい、群れの後方に女王と見られる個体を確認しました。フィン殿が予見していた通り、敵は
「うむ、やはり
「
「うむ。だが……」
「私も行きます」
ガレフが口を開くよりも早く、キースが意図を汲んでその言葉を切った。
「しかしキース……」
「騎士団の最大戦力は、
キースの言葉にガレフは押し黙る。
「心配御無用ですよ父上、それに万が一、煉獄で仕留め切らなければの話ですから。では、私は第三大隊と共に壁上の防備に回ります。指揮は《
キースはそう告げると、もうこれ以上語ることはないと言うようにガレフに背を向け、司令室を後にした。
残されたガレフは司令の椅子へ腰を落として深く息を吐くと重い口を開いた。
「煉獄が
ギラリと光るガレフの瞳には、キースにも負けぬ程の決意の炎が揺らめいていた。
◇◇◇
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