命、というものを感じる瞬間

島尾

命、というものを感じる瞬間

 魚を釣った。


 夜に釣った。


 夜行性であるガシラは、昼でも釣れないことはないが夜のほうがよく釣れる。

 そうネットに書いてあったが、N港ではほとんど釣れなかった。N港ではむしろ朝昼のほうがよく釣れる。


 諦めて、今度はT港を訪れた。ここは常夜灯が眩しく、海面をよく照らしていた。


 ネットをよくよく見たら、夜の常夜灯の下に集まるプランクトンを追い求めて夜行性の魚が食欲旺盛になると書いてあった。地形的にT港は夜釣りに向いた港のようで、その証拠に釣り人が他に二人いた。N港は0人だった。


 https://kakuyomu.jp/users/shimaoshimao/news/16816700428998288181 は、T港で釣ったガシラだ。


 家でさばいてみたら、驚いた。卵を抱えていたのだ。


 刹那、悲しみが湧き上がるのを覚えた。


 卵の一つ一つは極めて小さな粒でありながら、しかし卵巣にギュッと詰まっていた。私が釣り上げなかったら、きっとこれらは孵化し、いくつかはバケモノガシラに成長しただろう。

 私はその可能性を消した。命の前段階を、流しの生ゴミ捨て場に捨てた。




 人間の卵子を卵巣から取り除いて、ゴミ箱に捨てるのはどうだろうか? 私は男なので精子なら非常に容易く躊躇なくできると経験しているが、女の人はどうなのだろうか。ここで、卵巣から卵子を取る手間は考えない。そういう作業的なのは置いておいて、倫理的な側面に着目している。ちなみに私個人は、精子を命のもとだからといって悲壮感に苛まれながらゴミ箱に捨てるなんてことはない。何の躊躇いもなくゴミとして捨てる。これは個人的なことである。


 さて、話をガシラに戻そう。


 私はやはり一抹の悲しさを拭えない。その理由はおそらくガシラが死亡したからかもしれない。


 ここで、話を人間の女に移そう。


 闇会社から委託を受けた便利屋の人間がいたとする。その内容は無差別に女を捕え、下腹部を切り裂いて卵巣を抜き取り、地面に放り捨て、女を死亡させる業務だ。

 仮に便利屋が私自身だとしよう。私はそこまで極悪人ではないから、この仕事は苦痛の極みだろう。女は地獄の底で叫ぶような悲鳴を上げて死亡し、卵子の入った卵巣はアスファルトの上で干からび、彼女の子どもは永遠に生まれない。



 後者は、悲しみというよりは罪悪感と神経麻痺が襲うだろう。その後、重度の精神疾患を負い、心身は再起不能に陥るだろう。

 では前者は?


 私は悲しみを覚えた。


 そのとき考えたことがある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る