第89話 婚約破棄なさい。

 私は息を整え、あえて不遜に恐れを知らない風を装う。



「妃殿下のおっしゃる通りですわ。私は庶子ですが、御神の采配のお陰で幸運をつかむことができました。ですので、この生では自分の心に忠実に行動すると決めております」



 背筋を伸ばし胸を張る。

 心臓の鼓動が身体中に響き渡った。



「私の出自がどうであれ、欲しいものは必ず手に入れるつもりです。もちろん妃殿下にも遠慮致しません」

「……面白い子ね」



 妃殿下は突然、ケラケラと声を立てて笑った。


 カディス最高位の身分にある貴婦人が大きな口を開けて笑うだなんて!!

 本来ならば「はしたない」と避けねばならないことだ。


 だけど。



(これでわかったわ)



 妃殿下も王太后様と同類なのだーーーーと言うことに。


 体裁などは気にしない。

 損得、そして自らの道筋通りに物事を進めたがる根っからの政治家なのだ。


 であるならば。

 物怖じしない大胆さは好まれる。一度懐に入ってしまった方がいいかもしれない。



「王妃殿下。先ほどの侮蔑に対しての謝罪は求めませんのでご安心ください」

王妃に謝罪を求めるつもりなの?!」



「王太后様が可愛がるはずね」と妃殿下は息を吐いた。


「計算高い所も欲深いことを隠さないのも、悪くないわよ? さすが王太后様の子飼いね。気に入ったわ」

「恐れ入ります」



 よかった。

 敵に回すことはなさそうだ。


 王妃殿下は胸元から扇子を取り出し、少し暑いわねと自らを扇いだ。



「フェリシア、あなたが最も欲しいものはマンティーノスかしら?」


「はい。第一の望みはそうです。ヨレンテの血を継ぐ唯一の後継者として治めたいと考えております」


「マンティーノスは魅力的なところだものね」


「左様です。殿下の仰せの通りカディスのどの領よりも豊かで美しい最高の領ですわ」



 農業生産量が落ちているとはいえ、まだまだマンティーノスの石高は馬鹿にはできない。

 外港も備えており、隣国への輸出も可能だ。


 そして何より。

 私の故郷なのだ。

 あのオークの古木も糸杉の大木も。全て……私のものだ。



「……ですので、マンティーノスもウェステ伯爵位も譲る気はありません。必ず継承してみせます」


「ふふふ、えらく強気じゃないの」


「セバスティアン・ヨレンテの子孫ですから。強気は伝統です。それに……」



 私はヨレンテの印章と指輪を妃殿下の前に置いた。



「陛下も私を認めてくださるはずです」


「ヨレンテの盟約」と妃殿下はつぶやくとかすかに眉を歪め、


「盟約は絶対よ。……確かにマンティーノスに関しては認めるしかないでしょうね。他はどうなの。あなたには別の望みもあるでしょう。フェリシア」


「別?」


「あなた、レオン・マッサーナと婚約をしたらしいわね。マンティーノスも手にした上でサグントとも関係を結ぶ……ずいぶん強欲じゃないかしら」


「強欲? まさかとは思いますが、妃殿下は私にレオンとの婚約を破棄しろと仰せですか??」



 ーーーーやはり、きた。


 マンティーノス領の産業は斜陽気味ではあるが、まだ領としては健在だ。

 その領の唯一の相続人が、筆頭貴族の権勢家であるサグント侯爵家に縁付こうとしている意味……。


 つまりはサグントの勢力が増強するということだ。

 絶妙な匙加減で保たれている権力が崩れてしまう可能性もある。

 王家としては到底許し難いという事なのだろう。



「その通りよ」



 妃殿下は扇子でコツリと机を叩いた。



「婚約破棄をしたとしても、妙齢の女性を放っておくなんてしないわ。代案も考えているのよ。レオンの代わりと言っては何だけど、末息子のソシオの結婚相手が未だ決まっていないの。今年アカデミーに入学したばかりでとても若いから今すぐに結婚はできないけれど、あなたにとって悪い相手ではないと思うわ」



 第三王子との婚約。

 これも予想通りだ。

 私の答えももちろん「いいえ」だ。



「せっかくのお申し出ですが、お断りします。マンティーノスはオヴィリオの悪政により疲弊しておりますので、数年は領運営に専念したいと考えております。そうなりますと、とても王子妃としての役目を果たすことはできません」



 ただこれだけで王家の申し出を破談に出来るほどは動機として強くはない。

 もう一つ、決定的な理由がいる。



(心が痛くなるし、憂鬱になるけど……)



 昨夜のあの時からわずか半日。

 体はまだ痛むし、心も軋む。


 けれど、目的のためならば。使えるものは使うのだ。例え自分を傷つけても。


 私は両手を頬に当て、ほんの少しばかり隣のレオンに目を向けると、思わせぶりに逸らした。



「それに王家に嫁ぐには……。その……。私には王子妃になる資格がすでにございません」


「は??」



 妃殿下はしばし絶句し、



「あなた、まさかっ!!」



 大声をあげ、レオンを睨む。

 対してレオンは涼しげにしたり顔だ。



(よかった。レオンに意図が通ってるわ) 



 さぁいい感じで動いてよ?

 大切な未来の夫君?

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