第53話 慈愛と愛情の違い。
夢を見ていた。
それは子供の頃の夢だった。
お母様は本当に綺麗で、お父様はいつでも優しかった。
お父様もお母様もお仕事が忙しく一人で過ごすことも多かったけれど、小さな私は寂しさは感じなかった。
両親も使用人達も無限の愛情をたっぷりと注いでくれていたから。
そう。
私はヨレンテ家のたった一人の跡取り娘として慈しみ育てられていたのだ。
(でも全てが変わったわ)
ーーお母様が流行病で亡くなってから。
私はもう13歳になってはいたが、今よりもずっと幼く純粋だった。
お母様が亡くなり喪が明けてすぐに継母とルアーナが家族として屋敷に来たことも、お父様が母を亡くした私を慰めるためだと信じて疑わなかったのだ。
新しい母と妹を作ってくれたお父様に感謝すらしていた。
(愚かだわ。全てヨレンテを乗っ取ろうと画策していたのよね)
かわいそうな過去のエリアナ。
何も知らないままに6年後には殺されてしまうのだ。
「フィリィ」
そよ風が木々を揺らすざわめきと優しく名を呼ぶ声がする。
私は瞼を開けた。
柔らかな木漏れ日を背にしたレオンの姿が目に入る。
「こんなところでうたた寝すると風邪引くよ?」
「あ。レオン……」
あぁそうだ。
ルアーナを送り出した後、気疲れてしまってベランダの寝椅子に横になった……ところまでは覚えている。
いつの間にやら、眠ってしまっていたようだ。
レオンがブランケット(侍女がかけてくれていたようだ)をそっと掛け直した。
「いい天気だし、昼寝したくなる気持ちもわかるけどね。油断してはダメだよ。きみは病み上がりなんだから気をつけないとね」
(忘れるところだったわ……)
そうだ。
つい二ヶ月前に
魂は入れ替わってしまったけれど、体はフェリシアだ。まだまだ回復途中だった。
私は身を起こし、
「レオン、ありがとう。オヴィリオさんはどうなったの?」
「うん。まぁうまい具合に行きそうだよ。現物を押さえられたんだ。密輸の件は逃れようがないからね、認めたよ」
サイドテーブルに置いてある水差しからグラスに水を注ぐと、レオンは私に飲むように勧めた。
ちょうど喉が乾いていたのだ。
(レオンは私が何が欲しいか、わかってくれるのね)
幼い頃に愛されていた記憶を思い出し心が温かくなる。
「エリアナ様の殺害も認めた?」
「そっちはねぇ……。難しいかな。確実にやってるんだろうけど、証拠がないんだよね。オヴィリオもその辺よくわかってる」
確かめようにもエリアナの体は土の下だ。
今頃は土に還りつつあるだろう。
掘り返したところで、カディスには解析する技術はない。
「ハウスパーティの客の中で、当日、目撃した人もいるらしいの。私たちに好意的だったから協力してもらってはどうかしら」
「うん。後で部下を遣わせよう。それよりも……」
レオンは空いていた椅子を引き寄せて、浅く腰掛け背伸びをした。
整った横顔に疲労の影が見える。
「ちょっとだけゆっくりしたいかな。王都を出てからずっと働きっぱなしだろ。さすがに疲れたよ」
王都からマンティーノスまで馬車で十日。
気軽に訪れることのできる距離ではない。
普段から何かと忙しいレオンがど田舎のマンティーノスにいるということ自体が奇跡と言ってもいいのかもしれない。
半分、私のワガママで強行したこの旅だ。罪悪感で胸が痛い。
「ごめんなさい。私のせいね」
「んー? 謝らなくてもいいよ。どっちみち任務もあったからね。フィリィのおかげでマンティーノスに堂々と入り込めたし」とレオンはあくびをする。
「それに想定外だったけど、婚約者のことが理解できた。来て良かったよ」
マンティーノスに来てからほんの少しだが、お互いに抱えた秘密を打ち明けることができた。
私とレオンの距離が縮まった気がする。
「ねぇレオン」
私は手を伸ばし、レオンの頬に触れる。
「マンティーノスのことが落ち着いたら婚約は解消になるのかな?」
この婚約は政略的なものだ。
サグント侯爵家とルーゴ伯爵家の絆のため、そしてそれぞれの目的を果たすための婚約だ。
私はマンティーノスを取り戻し、家族に復讐すること。
レオンはオヴィリオの調査とマンティーノスの支配を目論む貴族達への牽制。
(目的が叶ってしまったらどうなるんだろう?)
これまでは別れるものだと思っていた。
お互いにメリットがないから。
でも、今は。
この関係を崩してしまうのは惜しいと思ってしまう自分がいる。
決して惹かれてはいけないのに。
「フィリィは僕と別れたいの?」
「私は……わからない」
レオンに対する高揚感が心にある。
でもそれが何かはわからない。
なにせエリアナもフェリシアも恋愛経験値が低い。田舎で育った分、王都の令嬢よりもはるかに低いのだ。
レオンと別れた後に自分がどうするか、どうすればいいのかも正直わからない。
(結婚相手を決めるのも誰かに頼らないといけないだろうし)
自分で探すのも厳しいだろう。
自らの鑑定眼ほど当てにならないものはないということは身に染みている。
ホアキンのようなどうしようもない男に引っかからないとは限らないのだ(というか可能性は高い気がする)
「フィリィ。僕はね、サグント侯爵家を継ぐ以上必ず結婚しなくてはいけないんだ。いずれ誰かとね」
結婚し子孫を残すのは貴族の義務だ。
名門貴族の嫡子なら尚更だ。
(それは私も一緒ね……)
取り戻したヨレンテを次世代に受け継がなければ、努力は無駄になる。
レオンは頬に触れている私の手に唇を寄せた。
「結婚するならば相手はきみがいいよ」
「私がいい?」
「うん。どこかのよく知らないお嬢さんと無理矢理結婚させられるくらいなら、フィリィ、僕は馴染みのあるきみと結婚したい」
元々フェリシアとレオンは幼馴染だ。ルーゴ伯爵家も名門である。
マンティーノスの件を除いてもちょうどいい相手だ。
だが……。
「私はフェリシアではないわ」
エリアナだ。
フェリシアの体にエリアナが憑依したのだ。
元来の優しく気弱な可愛いフェリシアはいない。
ーーレオンはそのことを知っている。
「それでも私を選ぶの?」
「うん。僕はきみを選ぶ。以前のフェリシアだとしたら未練なく切ったんだろうけどね。今はきみのことを知ってしまったからね。もう手放したくないかな」
それは、同情? 愛情?
それとも好奇心?
「フィリィもマンティーノスの女伯爵となった後、いずれ誰かと結婚しなくちゃいけないだろ? また相手を探すのも大変だよ。僕にしておいたらいいさ」
「レオン。それって……」
「プロポーズかもね」とレオンは微笑んだ。
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