第5話 女神がいる

 腰元を隠すほどに長く伸びたつややかな銀髪に、すき通るような白い肌。


 宝石と見紛うほどにすんだ青い瞳。


 物理法則を完全に無視した淡い青色の羽衣を身にまとっている。


 身長は女性の平均より少し高いくらいだろうか。


 どうやら目の前の女性は、本当に女神らしい。


 その証拠に彼女は、身体からほのかに光を発している……気がする。


 今の俺には、呆然ぼうぜんと立ち尽くす以外にできることはない。


 開いた口がふさがらないとは、まさにこの事だ。


 すると、女神は彼女の後ろにある柔らかそうな椅子に腰掛け、小さなテーブルをはさんだところにあるもう一つの椅子を手で示して、俺も座るように促した。


 おとなしく女神にしたがって座る。



「近所にある普通の小学校、普通の中学校を卒業し、高校こそはと一念発起していわゆる進学校に入学したものの、にび色の高校生活を送っていた星川慧さん!


 入学して一年と少しが過ぎた頃、二つ下の妹が海外留学したいと言い始めたけれど、親は『行かしてやりたいが、金がない』の一点張りで、そんな妹を何だか応援してあげたくなって勢いで学校を辞めた、妹思いの星川慧さん!


 ……なのだけれど、


 その目に生気が宿っていたのは最初の三日だけで、それからはずっと惰性だせいで働き、色々な理由を付けてしばしばバイトを休もうとし、バイト先が禁忌きんきの方角にあると言って休もうとした時には、時間帯責任者が家まで乗り込んできたこともある星川慧さん!」



 俺の名前が出てくる度にテーブルを両手でたたきながら、女神はそう言う。


「なっ、なんなんですかいきなり! どうして俺の過去をそんなに知ってるんです」


「女神ですから。人間の過去や近い未来、前世くらいならすぐに分かるのですよ」


「女神ってそんな能力もあるんですか。すごいんですね、ニラ・ファームさんって」


「ミ、ラ、で、す! ミラ・ファートム! 慧さんには特別に私の事をミラと呼ぶことを許可しましょう。……私も罪悪感がないわけではないですから」


「ミラ。これなら言い間違えることは無さそうです。それで、最後にボソッと言った罪悪感ってなんです」


「罪悪感というのはですね、相手に対して悪いことをしたなという加害者の心理を表す言葉であってですね、それ以外にも社会的、道徳的……」


「それは俺も知っています。聞きたいのは、なぜミラが罪悪感を感じているのか、ということです」


「えっ!? そっ、それはあれだからですよ。……あ! そう、慧さんに貴重なお時間を割いていただいているからですよ」


「そうでしたか。それなら、別に気になさらないでください」


 俺は今この上なく混乱しているので、そんなことに腹を立てている余裕はない。


 優先すべきは、状況整理だ。


「それではミラ、あなたはなぜ俺をここに呼んだのでしょうか」


 そう尋ねると、ミラの表情は一気に深刻なものに変わる。


 彼女は、そのまま伏し目がちになって口を開く。


「現在私が担当する世界、慧さんから見れば『異世界』は大変な状況にあります。率直に申しあげますと、慧さんにはその世界へ転移していただいて、その世界の……”救世主”になって欲しいのです」


 異世界、救世主、妙に俺の琴線に触れてくる。


 異世界転移というのは、簡単に言うと、身体や記憶はそのままに別の世界に転移することができるというものだ。


 そして転移の際には、最強の神器や常軌を逸した特殊なスキルなんかを特典として与えられる。


 転移先の世界ではそれを駆使して魔王をらくらく討伐するのだ。


 更にその後は、救世主としての名声を手に入れて、チヤホヤされながら悠々自適に暮らせるとかいう夢みたいな話だ。


 アニメやラノベ、漫画なんかで無双している主人公を見ると、実に爽快な気分を味わえる。


 神器や特殊なスキルがあれば、世界を一つ救うのなんて朝飯前だ。


 世界を救ったあとは、英雄として何一つ不自由のない余生を満喫できる。


 スローライフを送るという選択もあるだろう。


 そんな異世界での日々が、楽しくないはずがない。


 この好機をみすみす逃すことができようか。


 もちろん、できないに決まっている。


 ――答えはイエスだ。イエスに決まっている!


「そうでしたか。よしっ! そんなにお願いされては仕方がないですね。俺が何とかしましょう」


「本当ですか!? ありがとうございます! それでは、さっそく本題に。初めは簡単な手続きからです。こちらの規約をよくお読みのうえ、同意してください」


 嬉々ききとしてミラがそう言うと、俺の目の前に突としてタブレット端末くらいの大きさのディスプレイが現れる。


 本当に何でもありなんだなと感心していると、その画面に長々とした規約が映し出される。


「えっと、なになに……」




     ※


『異世界転生及び異世界転移に係わる規約』


 この異世界転生及び異世界転移に係わる規約(以下本規約といいます。)は、神界が提供するすべての異世界転生サービス及び異世界転移サービス(以下本サービスといいます。)に適用されます。本サービスの利用には、利用者の本規約への同意を前提とします。必ず、最後までお読みください。


第1章 本サービスの利用条件


第1条 期間

 異世界に滞在することのできる期間は、その世界に生を受けてから天寿を全うするまでとします。天寿を全うする以前に他殺や不慮の事故等によって命を落とした場合は、利用者の希望に応じて、蘇生保証(第2章、第3条)が適用されます。尚、本サービスの特典(第2章、第2条)として「不老不死」、「不死」等の特殊スキルを獲得した場合はこの限りではありません。


第2条 本サービスのキャンセル

 神界は、利用者に対して一定の…………(後略)


     ※




 規約などという想像だにしていなかったものの出現に少しだけ興がさめたが、いつもように、人差し指を画面の下から上に思い切り滑らせて規約を読み飛ばす。


 この手の規約を最後まで読む人などいるのだろうか。かなり疑問である。


 ようやく長たらしい規約の下端に達すると、画面にショッキングピンクの枠で強調されたいやに大きな「同意します」のボタンが、安っぽいアニメーションで現れてきた。


 そばには、ずいぶんと小さな「同意しません」のボタンがある。


 小さいうえに不透明度もおさえられていて、さらに灰地に白抜きとはかなり見にくい。


「もし、ここで同意しないを選択するとどうなるんで……」


「ご同意ください」


「はい」


 不気味な笑みを浮かべるミラに気圧けおされ、「同意します」のボタンを勢いよくタップする。


 これも、女神の力なのだろうか。


 まあ、いずれにせよ同意しないつもりはなかったのだし、同意でよいだろう。

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