第55話:私の恋人は君だけ
ようやく、舞台が終わった。これで入賞しなければユウキとはここでお別れだ。
「みんなお疲れ様。良かったよ。照明、最後間が空いちゃったけど……」
「すみません……」
「俺も引き込まれてて咄嗟に指示できなかったから。大丈夫。いや、大丈夫では無いけど……でも、凄い舞台だった。出来ることなら客席で見たかったよ」
部長の
「今回は本当に、文句無い出来でした。うん。仮にここで落ちても、俺は悔いはない」
「んな演技悪いこと言わんといてよー」
そう言って部長の背中をパンっと叩いたのは副部長の
「まぁ、全国行ってもどのみち俺らは出られへんけどな」
と少し寂しそうに笑う副部長。全国高等学校演劇大会はまず地区大会から始まる。地区大会、県大会、ブロック大会、そして全国大会。私達は地区大会はもう通過している。今日立った舞台は県大会の会場だ。ここで上位に入賞すれば10月の県大会に進める。そこで上位に入賞して、ようやく全国大会。しかし、全国大会は今から約一年後。副部長の言う通り、三年生は出られない。例え主役だったとしてもだ。全国に行けても配役が変わらないように役者は一年生と二年生だけで構成されているが、私的にはここで落ちる気がする。多少ではあるが、落ちてほしいという気持ちがある。ユウキはもう二度と演じたくない。共に舞台を作り上げた仲間の前では口には出来ないが。
だけど同時に、もっと広い舞台で多くの人にユウキの想いをぶつけたいという気持ちもある。複雑な気持ちだ。
採点基準は役者の演技だけではない。演出も含まれている。私のアドリブのせいで生まれてしまった最後の不自然な間は、素人から見ても明らかなミスだと分かるだろう。あの間がどう評価に影響するのか。
今日この後演じるのは全国常連の強豪校ばかりだ。あんな初歩的なミスは犯さないだろう。
別に、入賞させたくなくて、裏方のミスを生むためにアドリブをぶっ込んだわけではない。先輩達の想いを
——いや、多少、素の私の感情も入ってしまっていたかもしれないが。
「海菜、お疲れ様」
「ゆりちゃん泣いてたよ」
「……うるさい」
「海菜、ちゃんと演技してた?」
「ほぼ素だったよな」
百合香達と一緒にやって来た兄と鈴歌さんが苦笑いする。流美さんまで居る。
「姉さん、仕事は?」
「今からダッシュするよ。お仕事頑張ってねのハグする?」
「しない」
「じゃあちるにゃん」
「はよ行け。遅刻すんぞ」
「あーん……冷たい……。じゃあうみにゃん」
「駄目です」
百合香に頭を抱き寄せられる。柔らかい低反発クッションに頭が包まれる。この感触は約一週間ぶりだ。
頭を動かさずに目を閉じてその感触を堪能していると、頭を引っ叩かれた。理不尽だ。自分から抱き寄せたくせに。
「じゃあ小春ちゃん」
「そ、そんな恐れ多いことできません!」
百合香の後ろに隠れる小春ちゃん。しょんぼりと俯いてしまう流美さん。仕方ないなと苦笑いして鈴歌さんが彼女を抱き寄せた。
「先生ぇ……弟達が冷たい……」
「はいはい。頑張ってねー」
「流美さん、そろそろ行きますよ」
マネージャーと思われる女性が迎えに来ると流美さんは渋々鈴歌さんから離れ、数歩歩く度にこちらを振り返りながら会場を去って行った。
「……キャラ濃いな。星野のお兄さん」
森くんが、去って行った流美さんの背中を見て呟く。部員達が『お前が言うのか』と言わんばかりの視線を彼に向けるが彼は気付かない。
流美さんが芸能人であることを望は隠している。ごく一部だけの秘密だ。演劇部内で知るのは幼馴染である私と満ちゃんと、それから同じ中学出身の酒井先輩のみ。あと、百合香、小春ちゃん、夏美ちゃんも知っているが、森くんにはまだ話していない。
「ところで、閉会式までまだまだ長いけど、みんなどうするの?」
「みんなで適当にランチしに行ってくるぜ」
「私は閉会式まで居るよ。高校演劇好きだし」
「じゃあ僕も残ろうかな。一緒にランチしに行ったら奢らされそうな気がするから」
「……勘がいいっすね。流石王子のお兄さん」
鈴歌さんと兄以外は帰るようだ。
「百合香も帰る?」
「えぇ。夏美ちゃん達とランチして帰るわ」
「そう。ならはい」
カバンから家の合鍵を取り出して百合香に渡す。周りがざわついた。
「家の鍵、預けておくね。父さんは休みだけど、時間帯によっては居ないかも知れないから一応。リビングの小さい方の机の上にでも置いておいて」
「……分かった。……じゃあ、また後で」
「また後でね」
「あ、財前さん達が戻って来たら外で待ってるって伝えておいて」
「はーい」
演劇部の中には彼女のファンがちらほらと居る。それと、先ほどから他校の生徒や他の客からも注目されている。これで少しは
『……いいなぁ。私も望くんに合鍵もらいたい』
『借りただけよ』
『はる、勝手に作んなよ?』
『流石にそれはない』
『菊ちゃんはやりかねん』
『無いって。人をストーカー扱いしないでくれ』
遠ざかっていく会話を聞いて苦笑いする望。
ふと、北条さんと財前さんが舞台から見て右側の扉が入ってくるのが見えた。
「あら、皆様は?」
「もう行ったよ。外で待ってるって」
「そうですか。では、わたくし達も失礼いたしますわね。参りましょう。舞華」
「はい。……あ、遊先輩」
背を向けてから、思い出したように振り返る北条さん。名前を呼ばれた酒井先輩は「は、はい!」と少し緊張したような返事をして姿勢を正す。北条さんはふっと笑って
「カッコ良かったですよ」
と一言そう言い残して、財前さんを連れて去っていく。褒められた先輩はしばらく固まってから両手で顔を覆って、深いため息とともに「好き……」と漏らした。
「先輩が恋する乙女の顔してる……」
「キモいな」
「月ちゃん酷い! 俺一応先輩!」
「一年先に生まれただけだろ」
「月ちゃん三月生まれ、俺六月生まれだから一年と九ヶ月な」
「細けぇこと言うなよ」
『まもなく、開演15分前です』
アナウンスが流れると、騒いでいた二人も静かになり舞台の方を向いた。
「……やば。緊張で吐きそうやわ。河合くん、なんか喋っといて」
「……しりとりでもするか。鳥の名前縛りで」
「勝てへんやんそんなん」
「リュウキュウツバメ」
「やるんかい! メ、メ……メジロしかおらんやろそんなん……」
「……しまった。"ろ"から始まる鳥はいないんだ…」
「……終わってもうたやん。自分の得意なジャンルで縛っておきながらなんなん。アホなん?」
「……すまん」
再び静かになる。どうやら部長達も相当緊張しているらしい。私は別にさほど緊張はしていない。もう終わったことだ。私はやり切った。あとは結果を待つだけだ。
午後6時過ぎ。全高校の劇が終わり結果が発表された。ブロック大会に進めるのは優秀賞と最優秀賞を取った3校のみ。今日の6校だけでなく、昨日と一昨日も含めた18校から選ばれる。
青商は——
「優良賞、青山商業高校」
優良賞。つまり、ブロック大会には進めない。大会はここで終わりだ。
「ごめんなさい……私があの時咄嗟に証明の切り替え出来なかったから……」
「……みんなやり切ったよ。自分を責めるな」
二年生ももう、全国へはいけない。来年は舞台に立たずに裏方に回るのだろう。私は、そんな先輩達の想いを知りながら、ここで落ちることを願ってしまった。
良いのだろうか。これで。これで終わらせて良いのだろうか。もっと、沢山の人に……
「……ねぇ部長、文化祭でこの脚本使いませんか? せっかく良い舞台なのに、ここで終わりなんてもったいないですよ」
気付けばそう口にしていた。あれほど、ユウキを演じたくないと願っていたはずなのに。出し切ったはずなのに。ユウキはまだ叫び足りないらしい。
「そうだな……俺は構わない。みんなは?」
「いいんじゃね。そしたら俺らも客席から見れるし」
文化祭は10月9日から二日日間行われる。前日の8日は体育祭で、文化祭一日目は展覧会。クラス毎に学校で展示や出店を開く。体育館での有志発表もある。演劇部の一二年生は例年、そこで劇をやっている。二日目は学年毎の合唱コンクールと、合間に文化部のパフォーマンス。こっちは三年生がメインだ。大体はこの舞台を最後に引退する。
「……部長、わがまま言っていいですか」
「ん?」
「……二日目に持っていくことは出来ませんか」
一日目は見たい人しか来ない。けど、二日目は全校生徒と教師が全員集合している前で演じることになる。多くの人に想いをぶつけたいなら、二日目にやるべきだ。
「……俺はそうしたいよ。より多くの人に見てほしい。ただ、そうなると三年生の舞台を一日目に持っていくことになるけど……」
「生徒会に頼んでみればええやん。今年は舞台二つやらせてー! って。入れ替えはどうしても無理やった時にしよ」
「……承諾してくれるかなぁ」
「大丈夫です。交渉は私に任せてください。私が言い出したことですから」
「……王子、生徒会の誰かの弱みでも握ってんの?」
「やだなぁ。脅したりしないよ」
部員達から訝しげな目で見られる。心外だ。
「ちゃんと交渉しますって。任せてください」
生徒会の人達とは全員面識がある。まぁ、なんとかなるだろう。
「ただいま」
家に帰ると、玄関に百合香の靴があった。隣に並ぶ父の靴を端に寄せ、自分の靴を隣に並べる。
「ただいまー」
リビングに向かいながらもう一度声をかけると、風呂場の方から父の声が返ってきた。百合香の声はリビングから。
「お帰りなさい。どうだった?」
「ふふ。駄目だった。慰めて」
「全然落ち込んでるように見えないのだけど」
「落ち込んでるよ。めちゃくちゃ」
「……じゃあはい」
ため息をつきながら両手を広げる彼女の胸に飛び込む。少し湿った髪が首をくすぐった。風呂上がりのいい匂いがする。
「……お疲れ様。海菜」
「……うん。疲れた。あれやって。『お風呂にする? ご飯にする? それともわ「絶対やらない」
食い気味に断られてしまった。
「お風呂は今お父様が入ってるから。ご飯食べて」
「百合香をつまみ食いしてからでいい?」
「……駄目。早く食べて」
「じゃあ遠慮なく」
「ご飯を! もー!」
「あはは。ごめん」
「もう……。今日は私が作ったの。持っていくから待ってて」
席に着いて待っていると、親子丼と、野菜たっぷりの白濁したスープが運ばれてきた。テーブルの上にはほうれん草のおひたしが置いてある。
「どうぞ」
「いただきます」
まずはスープに口をつける。白味噌と出汁の優しい味が染みる。
「……美味しい」
呟くと、彼女は「よかった」とホッと息をついた。親子丼も、おひたしも、文句ない味だ。
「……じゃあ、私は先に部屋で待ってるわね」
「ダッシュで行くね」
「急がなくていいから。……また後で」
と言われたが、さっさと食事と風呂を済ませて彼女を追いかける。エアコンの効いた部屋に入ると彼女は「急がなくて良いって言った」と、布団から半分だけ顔を出して私を睨んだ。
「ふふ。爪切るから待ってね」
パチン……
パチン……と、爪を切る音が部屋に響く。
「……ねぇ、もうあの脚本を使うことはないの?」
「ううん。文化祭でまたやるかもしれない」
「……そう。……それはあなたが望んだの?」
「うん。私が提案した」
「……そうなのね。じゃあ、頑張ってね」
「うん。ありがとう」
パチン……
パチン……
「……ねぇ」
「何?」
「……よく、役者が恋人役をやった役者に本当に恋をしたって話を聞くけど……あなたはそういうこと無い?」
布団の中から不安そうに可愛らしい問いかけを投げられ、思わず笑ってしまう。
「ふ……ふふ……君、本当可愛いね」
「笑わないでよ。……私のことナナって呼ぶくらい入り込んでたもの。心配にもなるわよ……」
「ふふ。大丈夫だよ。私は鈴木海菜、君の恋人だよ」
パチン……
パチン……。
爪を整え終わった。
「終わったよ。百合香」
部屋の電気を消し、彼女の隣に寝転がって抱き寄せる。
「今日は、不安にならないようにたくさん愛してあげるね」
耳元でそう囁いてやると、彼女はびくりと身体を跳ねさせた。
「……お、お手柔らかにね」
「ふふ。……ごめん、無理」
私は鈴木海菜。彼女は小桜百合香、彼女は私の愛しい恋人。この先私は舞台の上で様々な人の恋人役を演じるかもしれない。しかしきっと、この私——鈴木海菜が愛するのは彼女だけだ。そこだけは絶対に役に影響されたりはしないと言い切れるほどに、彼女を愛している。
それを全身で伝えていると、気付けば夜が明けていた。
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