第37話:幸せラッシュ

 日曜日。今日は初めて海菜が家に来る。

 だからなのか、母はずっとそわそわしている。私以上に緊張しているようだ。

 マンションのエントランスのインターフォンが鳴る。私が確認して「来た」と言うと、母はあわあわと慌ててソファに座って本を読むふりをし始めた。

 インターフォンに出て、マンションの入り口を開けてやる。

 しばらくして、家の方のインターフォンが鳴った。ドアを開けてやると、「おはよう」と私服姿の彼女が笑う。相変わらず黒と白を基調としたモノトーンコーデで、化粧っ気はなく、女性だと言われても疑ってしまうくらいかっこいい。

 手には紙袋をぶら下げていた。"バー ・モヒート"と書かれている。海菜の母親が経営しているというバーと同じ名前だ。中から瓶が顔をのぞかせている。


「おじゃまします」


「どうぞ」


 リビングを通り、「こんにちは」とソファで本を読んでいる母に声をかける。「いらっしゃい」と、母は海菜の方を見ずに応えた。


「お母さん、本置いて」


「…はい」


 私が注意すると、母は素直に本を置いて海菜と向き合った。


「…この間はごめんなさい。家に押しかけたりして」


「この間…あぁ、百合香がプチ家出した時ですね。大丈夫ですよ。改めまして、百合香さんとお付き合いさせていただいております。鈴木海菜です。これ、お近づきの印に」


 そう言って海菜は母に紙袋を渡した。中にはピンク色のワイン瓶。


「母が経営するバーのものです。ロゼワインがお好きだと聞いたのでもらってきました」


「わざわざ…ありがとう」


「いえ」


「…その」


「はい」


「…娘のこと、よろしくね」


 ぷいっとそっぽを向きながら、母は呟くようにそう言った。海菜はその言葉を聞いて目に涙を浮かべながら「ありがとうございます」と震える声でお礼を言った。





「はぁー…緊張したぁ…」


 部屋で二人きりになるなり、彼女は私にもたれかかって、私の肩でため息をつく。「お疲れ様」と頭をぽんぽんと撫でると「君もね」と撫で返してくれた。


「…そういえば、はるちゃん達はどうなったのかしら」


「昨日、望に呼び出されて満ちゃんと二人で相談に乗ってたんだけど…第一声が『俺、どうしたらいい?』でさ…めちゃくちゃパニクってて」


 ふふふ…と彼女は私の肩でぶるぶると震えながら昨日の星野くんの様子を語ってくれた。


「妹みたいな存在だと思ってた子から恋愛対象として意識されてることに気付いて戸惑ってるみたい」


「…逆に今まで気付いてなかったのが凄いわよね」


「望は自分に向けられる好意には鈍いからなぁ。他人のには鋭いのに。そもそもあんまり恋愛に興味が無いってのもあるだろうけどね」


「それで?はるちゃんとどうなりたいって?」


「『彼女が俺を好きだって言ってくれるのは嬉しいし、その好意に応えたい。でも、応えられるかどうか分からない。そんな半端な気持ちで付き合っても良いのかな』って」


「恋愛対象としてはみていないってこと?」


「うん。キスしたいとか、そういう気持ちはないんだって。そもそもそういう感情があまり無いらしい。彼女がしたいって言ったら出来る?って聞いたら赤くなってたけど」


「…なら大丈夫じゃないかしら」


 と話していると二人のスマホが同時に鳴る。

 私、海菜、はるちゃん、星野くん、満ちゃん、夏美ちゃん、森くん、財前さん、北条さん、福田くんの10人が入っているグループLINKに、はるちゃんからメッセージがきていた。

『付き合うことになりました!』という一言。続けて星野くんがぺこりと頭を下げる犬のスタンプ。

 そして、おめでとういうメッセージのラッシュに紛れて『俺も日向さんと付き合うことになった』と森くんのメッセージがしれっと流れた。『勝手に暴露すんなし!』と夏美ちゃん。

 そんな中、『ちなみに俺も報告が』と福田くん。えっ?何?誰と?とLINKが荒れるが、続いた言葉が『先日、姪が産まれました。双子です』だった。そして、手を繋いで眠る赤ちゃん二人の写真が送られてきた。『お前の話じゃないんかい』と森くんからツッコミが入る。

 すると『ちなみに我が家も先月産まれました』と北条さんが鳥の雛の写真を送ってくる。これはボケなのだろうか。ツッコむべきなのだろうかと悩んでいると海菜が『実は私の行きつけの猫カフェも…』と数匹の子猫の写真を送る。『ツッコミが追いつかないからやめろ』と森くん。


「…収集つかなくなるじゃない」


「あはは。ごめんごめん。なんかそういう流れかなって思って。ふふ。幸せラッシュだねぇ」


 優しい声で呟く海菜。


「…あなたは幸せ?」


 問うと彼女は「聞くまでもないでしょ?」と私の頭を愛おしそうに撫でる。そして首にキスを落とし、身体をぶつけてしまわないようにゆっくりと私を床に押し倒すと、ふっと笑って顔を近づける。見つめ合ったまま、触れ合うだけの軽いキスを一回だけしてまたふっと笑った。

 それだけじゃ足りなくて、私から顔を近づけると顔を逸らされてしまう。

 耳や首にキスをして誘うが、こちらを向いてはくれない。

 強引にこちらを向かせて唇を奪う。硬く閉じられた唇をはむはむと甘噛みしていると、段々と結び目が緩んできた。舌で突くと、どうぞと迎え入れてくれるが、いざお邪魔すると不意に頭を引き寄せられた。


「—!」


 なすすべもなく彼女の舌に蹂躙されてしまい、息を切らす私を見て彼女はいつものように憎たらしい笑みを浮かべた。


「…ふふ。が楽しみだね?百合香」


 真っ赤に染まっているであろう熱い顔を彼女の肩に埋めて隠す。「百合香のエッチ」と楽しそうに私の耳元で囁く彼女。見なくても憎たらしい顔をしているのが分かる。

 明日は。私は一体どうなってしまうのだろうか。

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