殿下に春が来ましたが、王子とバレたら即フラれます ~初恋王子はこの国捨ててる悪役令嬢を溺愛&懐柔するのに忙しい~

遊惰ゆき

1章 ノア王子の初恋

第1話 隠されていた侯爵家令嬢【ノア】

 王立学園の本部棟3階には、王族と高位貴族だけが利用できる豪奢なサロンがある。その名もサロンドロヮだ。18人がけのダイニングテーブルが佇む食事空間と、重厚なソファが並ぶくつろぎ空間に分けられた、広々とした部屋である。


 今日もまた昼休憩に、サロンドロヮのメンバーが集まっている。下は高位の伯爵家、上は王族、王太子となることが殆ど確定的な第一王子だ。学園に制服はなく、みな昼の準礼装なので、豪奢なサロンによく似合う華やかさである。



 今、食事が終わって、みんなでソファに座り食後のお茶を楽しんでいるところだ。



「もうすぐ春休みですわね」

「待ち遠しいわぁ」

「あら、わたくしは寂しいわ。殿下とお会いできなくなってしまいますもの」


 ちょっとしたおしゃべりの中でも、王子様へ秋波を送って牽制し合うのが、サロンドロヮの令嬢たちである。




「ああ、私も少し寂しく思っている」

 第一王子ノアは微笑みを返して、令嬢たちを赤面させた。

 髪は白銀、眼は金色、凛々しい美貌をした青年だ。来月で19歳、来年度から5回生である。


 ただ、彼が続けた言葉は、

「それにしても、マグレイルド令息が卒業してしまったというのに、入学式にサロンドロヮの新顔はなし……本当に、なんだか寂しいな。コリガン令息が卒業してしまった時も、なにかぽっかり穴が空いたかのように感じたものだったが」

 だった。




「そうですわねえ、特別優秀なお二方でしたもの」

 ローラン公爵家長女のアリスが、おっとりと話を受けた。

 髪は桃色から白銀へ変わるグラデーション、眼は濃いピンク、今年18歳へ上がって成人となる、来年度から4回生の愛らしい淑女だ。



「……うん? どうかした? エミィ」

 ワイリー公爵家三男のアレックスが、顔色の悪い人に気づいて話しかけた。

 髪も瞳も紫、今年19歳になる、ノア王子と同学年の美青年だ。



「そ、それが……お姉さまが入学するかもしれなくて……!」

 髪は黒、まるく大きな目に浮かぶ瞳は澄んだ青、いとけない美貌や少女っぽい細い身体がいかにも庇護欲をかきたてるような雰囲気の乙女は、そう答えた。




「え?」

「ん?」

「は?」

「お姉さま?」


 サロンドロヮのみんなは怪訝そうに、首を傾げたり、訊き返したりした。




 黒髪の乙女はエマ・マグレイルド、今年18歳・来年度より4回生の侯爵家令嬢である。つい先日卒業した彼女の兄ジェームズ・マグレイルドは、今年の夏に21になる20歳だ。


 この兄と妹の間にもう一人いたとは、この場の誰も知らなかったのである。


 サロンドロヮは王族と高位貴族の子女の集まりであり、全員もれなく8歳から、王子様を囲むお茶会や午餐会への参加をはじめ、今日に至るまで交流を深めてきた。

 それなのに、今日になって誰も知らない兄弟が出て来るなど、全く青天の霹靂だ。




「大丈夫、私が必ず守るから……」

 エマの隣に居る、ファレル公爵家長男エドワードが、彼女の肩をやさしく抱いた。

 彼の髪はなかなか派手だ。毛先へ行くにつれ緑が濃くなるアッシュブラウンとグリーンのグラデーションに、ピンクのインナーカラーが入ったような髪色である。しかし魔力の配分のためにこうなっているのであって、望んで染めたわけではない。瞳は深緑、歳は今年で19、ノアやアレックスと同学年だ。




 そうして、エマとエドワードが睦まじく寄り添っているのを見て、サロンドロヮのメンバーはますます怪訝そうな顔をした。




「えーっ、エドは知ってたんだ? なんで今まで出てこなかったんだ? 全然知らなかったぞ、マグレイルドにもう一人いただなんて!」

 みんなが言いたかったことを、ベンサム侯爵家長男のエイブが言った。

 真紅の髪に赤と黄緑の混じる瞳、サロンドロヮの中で最も筋骨隆々とした、今年18歳になる青年だ。




「それはまあ、ご婚約者なのだから、当然ご存知だったのでしょ」

 コールス侯爵家次女のペネロペが言った。

 アッシュブラウンと桜色のミックスヘア、瞳は赤に近いピンクだ。美人だがツリ目がちなので、甘く愛らしい雰囲気のアリス・エマと並ぶと、きつく厳しい印象になる。




「エマ嬢は、お姉さまにいじめられているの?」

「こわい方?」

「そんな方が来年度からいらっしゃるの? いやッ、こわーい!」


 令嬢たちが囁き合う。




 王立学園は、学校というよりは国家資格取得施設に近い機関で、下は15歳からだが在籍可能な年齢に上限はない。王族と貴族子女は入学必須だが、大多数の学生は上流階級の平民だ。


 科によってはほぼ実習と試験と実技だけで卒業可能であるため、18歳で入学すること自体は、特段珍しいことではない。


 しかし、王族が15歳から20歳の6年限で学士号と術士号を取得するため、年齢の近い貴族子女は飛び級したり入学を遅らせたりしてでも、サロンドロヮに居られる時間を多く持とうとするのが普通だ。


 ジェームズ20歳・エマ17歳の間の年齢で、かつ侯爵家令嬢であるだけで王子妃候補の有力株になれるだろう女子が、今に至るまで誰にも存在を知られていなかったというのは、相当おかしなことなのである。


 本人によっぽどの問題があるとしか思えない。

 サロンドロヮのメンバーの印象は、そう一致していた。




「待って、みなさま! ……もしかしたら、ご病気だったのかもしれないわ」

 アリスが小さく言った。


「いや、元気が過ぎるくらいだと思っているが」

 エドワードが苦々しげに答えた。



「ふむ」

 ノア王子は首を傾げて、

「確かマグレイルド侯爵は再婚していただろう。ジェームズに遠慮していたが、彼が卒業したので出して来た、というところじゃないか?」



「えっ、そ、……」

 エマは身を乗り出すようにして言ったが、その後の言葉がどうも喉元で引っかかるらしく、

「そ、えっと、そっ……」


 エドワードは悔しそうに首を横に振りながら、彼女の肩を抱いて、

「エミィに姉の話は酷です。ひどくいじめられているんですから」



「まあ。そうなの?」

 アリス公女は悲しそうに言った。


「お姉さまは本当に、……いえ、家族ですもの、こんな陰口みたいなことはしたくないっ……でも、わたくし、不安で……」

 エマは泣き出した。


「そんなにひどいのか!?」

 ベンサムは眉を吊り上げた。



「それはもう、家族に限らぬ他人にもひどい態度だからね! 手紙に返事も書かない、約束はすっぽかす、出て来たと思ったら冗談みたいなけばけばしい格好で、自分が大幅に遅れてきたくせにさ、それまで僕の相手をしてくれたエミィに手を上げて……ありえない。本当にありえない!」

 エドワードは憤慨した。



「えー、そんなやばいお姉さんがいたのかあ……」

 アレックスは引いている。


「それで、お茶会や午餐会でもお見かけしたことがなかったのかしら? エミィはエドとファレル公爵家を継ぐわけだけれど、お姉さまの方は婚約者がいらっしゃらないなら、わたくしたちと顔を合わせているはずだけど」

 ペネロペは言った。


「そうですわねえ、わたくしもお見かけしたことがありません……失礼ながら、エミィにお姉さまがいたことも、今知ったくらいですし……」

 アリス公女は言った。




 年に2,3度開催される王宮のお茶会・午餐会、及びサロンドロヮに皆勤している婚約者のない女子は、要するに全員王子妃候補だ。その中でも最有力なのが、侯爵家令嬢たるペネロペと、公女たるアリスの二人である。


 ただ、マグレイルド侯爵家から婚約者のない女子が来れば、この二人の対決が三つ巴に変わる可能性も高い。




「そうだな、私も知らなかった……忘れているだけかもしれないが」

 ノアは眉間を寄せ、

「病気でもなければ普通出席するべきだが」



「あっ……姉が申し訳ありません……」エマは肩をすぼめた。



「私も縁続きになる者として、義姉になる者の失礼をお詫びいたします」

 エドワードもノアに頭を下げて、

「しかし本当に、いつもギョッとするほど病的な出で立ちなんです。重要な場でだけちゃんとした格好ができるのなら、まだいいのですが……」



「お姉さまには無理ね……」

 エマは残念そうに首を横に振り、

「あの髪型、あのお化粧、あの傾向のドレスでないと、癇癪を起こしてしまうんです……」



「それは逆に気になるな、どんな格好なの?」

 アレックスは訊いた。



 エドワードはものすごく嫌そうに、

「猫の耳みたいな感じの髪型をして、赤とか黒とか青でまぶたを覆うようなどぎつい化粧、胸元や背中を開け過ぎている原色のドレス……」



 みんなは大笑いし、しばらくエマの姉の話で盛り上がった。

 そうして、エマが今までに受け続けたいじめの話を聞けば、みな消沈してしまった。


「まあ、どうせ相手は1回生で、2,3年で卒業しようとするなら試験漬けだろうから、関わり合いにはならないさ。今まで通り、なるべく話題に出さないようにしよう。エミィを傷つけたくないしね」

 エドワードはそう言った。





・ ・ ・





 春休みに入ってノアは、およそ二ヶ月後の茶会の出席者リストを渡されて、エマ・マグレイルドの姉のことを思い出した。来年度から入学するなら、リストに載っているのではないか。そうして確認するも載っていなかった。



「マグレイルド侯爵家にはジェームズとエマの他にもうひとり居たと思うのだが、なぜ彼女は来ないんだ?」

 ノアはストレートな質問を侍従に投げた。



 王太子となることがほぼ確定している第一王子の侍従といったら、宮内庁にあたる機関のなかでも高位である。現職は伯爵家長男だ。といっても40代も後半、20代前半の長女と長男を持っている、スペンス卿である。

 同家は代々王家の近侍として仕える忠臣、貴族籍の家系図や相関図も、もちろん頭の中に入れている。



「ああ、ライラ嬢ですか?」

 スペンス卿は意外そうな顔をして、

「うむ、まあ、ご家庭で色々あるのだと思いますが……表向きには病弱だからということになっていたかと」


「実際病弱なのか?」


「どうでしょうなあ、私もごくごく小さな頃の彼女を見たきりで……奥様がお亡くなりになったのがいつでしたかね、確か10年くらい前だったと思いますが」



「あ、姉の方がマグレイルドの子なのか」

 ノアは驚いて、

「亡くなったのはもう少し前なんじゃないか? 8歳から王宮での茶会がはじまるのに、私は会ったことがない。卿はいつ彼女に会ったんだ?」



「えーっとどこでしたかねえ……少なくとも王都ですよ。そして、どこだろう……どこかの園遊会だったと思いますが、5歳前後の子供を連れて行けるとなれば、それなりの気軽な集まりだったのでしょう。お兄ちゃんに手をつないでもらってねえ、かわいくてまあ……」

 スペンス卿はほうっとため息を吐いた。



「ふむ」

 ノアは怪訝そうな目をリストに落として、

「なんといった? その、姉の名前は」



「ライラ嬢です」

「マグレイルドの姫らしい名前だな」

「ええ、我が国の闇魔法の最高峰ですからねえ」

「ジェームズは危うげもなく、闘技会を6連覇して卒業だしな。大した血筋だ。彼と2学年離れていて助かったよ」

「またまた、ご謙遜を!」



「いやいや」

 ノアは苦笑いしたが、ふと表情を消して、

「となるとエマ嬢は、マグレイルドの血を引いていないんじゃないか? 現侯爵は入婿だったはずだ」



「ええ。エマ嬢はですから、髪を黒染めしているんでしょうな」

「ふむ……『ご家庭で色々』か。私の記憶では、ファレル公子は最初からエマ嬢のパートナーだったと思うのだが……まだエマが未成年で婚約式をしていないとはいえ、まさか……?」



「……」

 スペンス卿は気まずそうな笑いを浮かべて、

「マグレイルド令息はお茶会・午餐会ともに皆勤ですよね!」



「ああ、しかし今回から外れている。現侯爵はあくまでも繋ぎで、嫡流である自分が早めに継がないといけないので、しばらく領地へ引っ込むと言っていた……失敗したな、もう少し早くライラ嬢のことを知っていれば、卒業式で色々訊けたのに。あたりさわりのない話をして別れてしまった」



 ノアは残念そうな顔をしたが、


「ま、そう長く待たなくていいのが幸いだ。入学式までの我慢だからな」


 と続けた。







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