36.
おそるおそる確かめたテレビやラジオでは、あの声は聞こえなかった。面と向かって話すと聞こえるのだろうか。あとは、電話か。ちょうどいい用事がある。住職にあの御守をどうすればいいのか、聞いておきたかった。
ネットで光有寺を検索し、出てきたホームページを確かめる。白と紫を基調としたシンプルなホームページは、見る限り普通の寺院のものだ。祈祷の項目や住職の挨拶のどこにも、霊に関する相談を受け入れていることは書いていなかった。
あんな風に、困った人が門を叩いた時にだけ対応しているのかもしれない。俄然湧いた信頼に調子良さを感じつつ、コピーした電話番号を張りつけて通話を選んだ。
繋がらない。
何度かかけ直しても繋がらない通話に、ネットで改めて探し直す。でも、どのサイトを見ても番号に違いはなかった。
留守だろうか。それならいいが、なんとなくいやな予感がする。
温もった携帯に迷っていると、遠くで消防車のサイレンが響いた。一台、二台か。続いて救急車のサイレンが重なる。どこだろう。
窓際へ駆け寄り、カーテンを開けて窓を大きく引く。吹き込む風に髪を掻き上げ、雲一つない晴天に立ち上る鈍色の煙を見た。
あの向きは、まさか。
窓とカーテンを慌ただしく閉め、玄関へ急ぐ。違うならそれでいい、心配し過ぎだと笑えば済む話だ。
スニーカーをつっかけ部屋を出て、立ち上る煙へ向かって走る。どうか違いますように。どうか、もうこれ以上の犠牲は。
近づくほどに不安は募り、祈りながらも泣きそうになる。短く荒い息を刻みながら、点滅を始めた横断歩道を駆け抜ける。少しずつ人通りの増えた道を歩く影を縫い、自転車に怯えつつ寺を目指した。
向かい風に煙の臭いが交じる頃、寺の近くへと辿り着く。でもこれ以上は近づけないし、近づく必要もない。人だかりの向こうで、光有寺が燃えていた。
「あの、突然申し訳ありません。ご住職は、ご無事でしょうか」
隣で心配そうに窺っていた老人に声を掛けると、いやあ、と首を傾げた。
「私も今来たところなんで、よく分からないんですわ。火傷で救急車で運ばれていったみたいなんですけどね(死んだら、また新しい住職を探さにゃならんわ)」
声が水の中で聞く音のように揺らいで、はっとする。そういえば、そうだった。ぐるりと見回した周囲から溢れ出す声の洪水に、呆然とする。
(よけろよ、見えないだろ)(何が原因? 燃え移ったりして)(すげえ、あいつらに教えてやらねえと)(こんなとこで火事なんて、なんてことしてくれるの)(うわ、ほんとの火事なんて初めて見た)(死んだの? こえー)
しばらく待っても一向に聞こえてこない住職への労りに、唇を噛み締める。カーディガンのポケットに手を突っ込んで、中身の割れた御守を取り出す。きっと、最後に守ってくれたのだろう。
(なんか好きになれない住職さんだったわねえ)(税金泥棒が燃えていい気味だろ)
胸を突く心の声に御守を再びポケットへ戻し、目を閉じて無事を祈る。煙の臭いに背を向け、また走った。
汗だくの肌と涙を洗い流したあと、キッチンへ向かう。
あの心の声は、やっぱり本物なのだろうか。副園長も高橋先生も、本当に私のことを。
不意に胸を占めた疑惑に、顔をさすり上げて溜め息をついた。
だめだ、今は考えるべき時じゃない。ここで挫ければ、誰も助けられなくなる。私はどうなってもいいから。
――君が死ねば、あの子達の魂は決して救われることはない。
浮かんだ園長の言葉に視線を落とし、冷蔵庫を開く。しょーくんの頭が入っていた冷蔵庫だ。美祈子か薫子が運んできて、園長が片付けて、種村が死んだ。御守が割れ、園長に見せて家に帰ったら、住職ごと寺が燃えた。しょーくんの死ぬ一時間前に襲われたが、私にはしょーくんのことを考える余裕なんてなかった。
……これも、今はやめよう。全て終わってからでいい。
一息ついて焼きそばの麺と豚肉、野菜室からキャベツともやしを取り出す。暴飲暴食、飲酒喫煙をせず規則正しい生活、だ。
キャベツを二枚むしり取ったところで、手が止まる。少し迷ったあと、意を決して携帯を手に取った。
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