5.
いつものようにバス送迎組を見送ったあと、お迎え組を園庭まで連れて行く。迎えは園庭にて、保護者に一人ずつ引き渡すのが園の方法だ。すんなり別れていくクラスもあれば、少し時間の掛かるクラスもある。今の我がクラスは当然、後者だ。連絡帳がメインなものの、保護者との会話も欠かせない。幸絵は誰とつるむでもなく一人狼の佇まいだったが、保護者にももちろん動揺はある。親の安定なしに子どもの安心は得られない。「虐待かもしれないと思ったのに見逃した」苦悩と後悔は、いくつかの連絡帳に書き込まれていた。
「それで、今日はちょっとけがをしてしまって」
公輝を母親に渡しながら、報告をする。
「すみません、また暴れましたか?」
「そうではなくて、実は」
「かおるこちゃんにかまれた!」
公輝が報告した途端、母親は分かりやすく表情を強張らせた。公輝はまるで証拠を示すかのように制服とシャツの袖をたくし上げる。ただそこに、予想していた痕は残っていなかった。あるのは、あの時貼りつけた絆創膏だけだ。
「あれ? ママ、はがして」
驚いた様子で、公輝は母親に絆創膏を剥がしてもらう。しかしもうどこにもあの痕はない。でもあれほど鮮やかに刻まれた噛み跡が、こんな短時間で消えるわけはない。やはり、集団ヒステリーが見せた反応だったのか。
「良かった、きれいに治ったね」
すかさずフォローした私に、公輝は気を取り直した様子で「うん!」と笑う。
「詳細は、連絡帳に書いてます。ご確認ください」
連絡帳にはクラスで集団ヒステリーと思われる反応が発生したことや、公輝が薫子に噛まれたと話したことを書いている。集団ヒステリーについても説明しておいたから、ストレス反応だと理解してくれるだろう。既に痕が消えているのは、今見たとおりだ。
「じゃあ公輝くん、また明日ね」
ベレー帽を被り直して振り向いた公輝が、私を見て固まる。正確には、私の後ろか。表情が途端に青ざめ、強張るのが分かった。
「さようならのハイタッチは?」
無理やりいつもどおりの展開に持ち込んでみるが、公輝は頭を横に振る。
「しない、かおるこちゃんがこわいから、しない」
怯えたように返して、母親の後ろに隠れた。母親もすっかり青ざめて、縋るような視線を私に向ける。でも私が同じ動揺を返せば、ここでまた集団ヒステリーが起きかねない。必死に、いつもの笑顔を作った。
「大丈夫ですよ。まだショックが残ってて、動揺してるんだと思います。おうちでも様子を見てあげてください。登園は、本人がいやがったら無理をさせないようにお願いします」
園医に仰いだ指示どおりの内容を伝え、別れる。そのあとも一人ずつ子ども達を引き渡しながら、保護者に簡単な説明をしていく。ただ子ども達は明らかに「何か」に怯えて、私とあまりハイタッチをしたがらなかった。
――だってかおるこちゃんが、ずっとみんなをにらんでるんだもん。きょうもいっつもみたいに、せんせいのそばにいたよ。
うちのクラスで一番言葉の流暢な
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