第4話
2
警察庁の発表によれば、年間の行方不明者の届出受理数は八万件に及ぶ。最多である原因は認知症を含む疾病関係であり年々増加しているが、今回の行方不明者の中でそういった者はおらず、加えて先月は、東京都内だけで十人以上が失踪した。
千代原から渡された資料には、主婦や大学生、受験直前の高校生、会社員の名前があったが、共通点は今のところ見付かっていない。強いて言えば、十六歳以上の男女というだけだ。東京に住んでいる者が大半だが、埼玉や神奈川が住所の者もいる。
全員が、吸血鬼と関わりがあったわけではない。
ましてや、咬傷がある状態で遺体で見付かったわけでも。
しかし前例がある以上、INAPOは警戒し、可能性を考えなければならなかった。
誰かが犠牲になる前に行動する──それは、悪ではないのだから。
翌日夕方。
家での用事を済ませたヒバリは、友人と四人で予定通りカラオケに来ていた。
入学時、学籍番号順の席が近かった縁で仲良くなって以来、定期試験の情報交換からレポートの分担、昼食の時間まで共有してそれなりに強固で信頼出来る関係を結んだメンバーだった。内一人がドラマの主題歌を歌う中、リモコンに入力を終えたらしい男子──
「ヒバリ元気?」
こちらに寄越されたリモコンに、手を軽く振って断る。曲がサビに差し掛かって声が通らず、貴一はジェスチャーで体調が悪いのか、と訊いてきた。
「大丈夫!」負けじとヒバリも答える。
貴一は物静かな性格で、人の変化によく気が付く青年だった。珍しいことに占いで生計を立てているので、その観察眼が
貴一は盛り上がる残り二人の男女を横目に見ると、ヒバリと自身を隔てる机に肘を乗せて、顔を近付けた。そして、「カウンセリング今日だった?」と訊いた。
ヒバリは、小さく頷いた。
ヒバリの父は、十四歳の頃に失踪している。行方不明者だ。八万人の内の一人で、そして、
不満があるわけではない。カウンセリングだって、受けた方が家族を安心させてあげられるだろうかとヒバリが思っているだけで、母──義理の──に言えばいつでも断れるのだ。崎森家の人達は良い人ばかりで、ちゃんと愛情を以てヒバリに接してくれている。高校生の弟とも、上手くやれている。
けれど──どうしても受け入れられない。そういう夜も、この世には存在している。
貴一はふうんと鼻を鳴らした。それが、彼が自分の気になっていることを気にしていない風に装うためのものということは勘付いたが、ヒバリもまた勘付いていないふりをした。友人とはそういうものだ。少なくとも、ヒバリにとっては。
「ヒバリ、これあげるよ」
貴一は身を起こすと、
「なにこれ」
「お客さんに渡してんの。ヒバリ、前に何回か来てくれたから」
お客さん──占い師としての彼の客のことだ。占い師のバイトをしている友人なんて初めてだったから、ヒバリは興味半分で数回顔を出したことがある。紙袋を開けてみると、中に
「手作り? めっちゃ
石もそうだが、糸の編み方も美しく、
「ありがと」
貴一が笑って「どういたしまして」と返したとき、今まで歌っていた友人が「なにそれー!」とヒバリの横に勢いよく座りストラップに目を輝かせた。
「あたしのは?」
「ほしかったらブースまで来てくださーい」
「えー! なにもう貴一まで冷たいじゃん! ねえ言ったっけ、ヒバリさぁ急にうちの居酒屋やめちゃったの! あたし超~ショックなのにこの子すっごいドライでー!」
「お別れ会やったでしょ」
「さーびーしーい~!」と友人に絡まれながら、ヒバリはリモコンを引き寄せた。
同日、INAPO東京支部。
二度目の電話だった。長いコール音の後にようやく出た相手に、シキョウは安堵に近い意味で息を吐いた。エアコンが壊れた仮眠室の気温は低く、あと少し冷え込んでいたら白い息が見えたかもしれない。
『シキョウ君?』
「……すまない、仕事の邪魔をしたか」
『構わないよ。出れなくてすまなかった、例の行方不明者のことでバタバタしていて』
相手──千代原の声には微かに焦燥のようなものが含まれ、いつもののんびりとしていて沁み込むような音色が薄らいでいた。本当に忙しいようだと判断したシキョウは、手短に済ませようと用意していた言葉を続けた。
「その行方不明事件の詳細が知りたい」
『ん? それは……』
口籠る千代原に、「吸血鬼事件の可能性も考慮しているのだろう」と二の矢を撃つ。
『じゃあ、INAPOに協力してもらうって形にするけど……どうかしたのかい?』
「……いや」
『君は何も話してくれないねぇ』千代原の苦笑が電話口越しに伝わる。
そのとき、扉越しに「おはようございまーす」というよく通る声が聞こえた。ヒバリがオフィスに来たのだろう。続いて、宮月の「ヒバリちゃん、今は夜やけど」という愉快そうな突っ込み。職員らも釣られたように微笑んだ気配を、シキョウの敏感な五感が捉えた。
いつの間にか、ヒバリはここに馴染んでいる。まだたったの数日なのに。物怖じせず、失礼一歩手前だが絶対にその一線を越えない絶妙な遠慮のなさが好印象を与えているようだった。彼女がINAPOに来た背景も、彼女への理解を促したのだろう。
何も返さなくなったシキョウに、思うところがあったのだろうか。千代原は『わかったよ、シキョウ君』と短く言った。
『ちゃんと宮月さんに話を通すから、それまでは待ってくれ』
「ああ……助かる」
『代わりってわけではないんだけれど、どうしてそんなに焦っているのか、教えてもらってもいいかな?』
暗い部屋の向こうで、ヒバリ達の会話が聞こえる。シキョウは扉から視線を引き剝がし、棚の上にある小さな祭壇を視界に入れた。
「……自分への疑いを、晴らしたいだけだ。私だけの力で」
千代原は、それ以上訊かなかった。彼の、こういった話を深追いしないでいてくれるところが、シキョウには心地好かった。
扉の向こうで宮月が何かを言って、どっと笑い声が聞こえた。
『じゃあ、後で詳細を伝えるから』
「頼む」
相手が切ったのを受けて、電話を切る。ふうと息を吐こうとした、そのときだった。
「シキョウさん!」
バンと勢いよく扉が開かれて、廊下の光が突然仮眠室に入りシキョウは思わず目を強く
「……ノックをしろ」
「あ、すみません。シキョウさん紅芋タルト食べますか?」
「べに……?」
「
「いや私は……」
「そうですか? 食べないんなら私が
へらっと笑って包装された菓子を引っ込めたヒバリに、シキョウはむっとする。
「要らないとは言っていない。卑しい奴だな君は」
シキョウが断ったとき食い気味に礼を言ったわりには、ヒバリはあっさり紅芋タルトを手放し、シキョウにやった。それから「目ぇ悪くなりますよ」と部屋の灯りをつけて、仮眠室を出ていった。始業時間まではまだ間がある。シキョウは、吸血鬼は目が悪くなることはないと言う間すらなかったことに数秒呆けて、ベッドに腰かけた。
プラスチックの包装の中に入ったタルトは、その名の通り紅色をしていた。テレビの紹介でも度々見かけるメジャーな土産だったが、食べるのは初めてだ。口に含んで少しだけ
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