第10話

 裕一は瑞穂の誕生日の時と同じように、彼が住んでいる街にある小高い山の頂上に、レジャーシートを敷いて座っていた。レジャーシートを敷いた場所はあの日と全く同じ場所であった。平日であったせいかあの日と比べると人々の数は随分少なかった。瑞穂と瑠美は展望台の望遠鏡を交互に覗いていた。裕一は鞄から封筒を取り出した。封筒は期日指定の封筒であった。裕一は封筒の中から手紙を取り出した。



中学からの変わらぬ親友 裕一へ


 担当の医師から余命を告知された時、今度の僕の誕生日には僕はもうこの世界に存在していないんだ、という現実を突きつけられました。裕一の携帯に電話した日は僕がその告知をされた日だったんです。両親は1週間前に知らされたようでした。僕に告知するように決断したのは苦渋の選択だったと思います。

 僕は膵臓がん末期で、余命が長くても僕の誕生日まで届かない長さでした。告知された日僕は頭の中が真っ白になってしまいました。なにしろ開発した新製品が完成して、プレゼンも無事終わって、商品化が確実なものになりました。仕事のことだけでもこれからの人生がバラ色に思えていました。3人での微妙な関係から卒業しなければならないと、僕と横川さんは思うようになっていました。社会人になってから僕たちは、メールでやり取りすることが結構多くなってきました。3人の微妙な関係についても、メールで話し合うことが時々ありました。僕たちは二人でのデートに踏み切ることを決断したのです。僕も横川さんも以前から聴きに行きたいと思っていた無伴奏ヴァイオリン『パルティータ』のチケットを購入したのです。僕にとって仕事も私生活もバラ色に思えていました。それなのに告知された日僕の人生は、一瞬のうちに暗黒の人生になってしまいました。僕は絶望の深い淵に落ちてしまったのです。

 でもいま、三人の誕生日に行ったピクニックのことは、とても楽しい思い出になっています。年三回のピクニックを毎年とても楽しみにするようになっていました。3人で映画を観に行ったこと、ボーリングをしたこと、ディズニーランドへ行ったこと。どれ一つとして楽しくなかったという日はなかったです。横川さんも三人で出かけることを楽しんでいたようです。そうメールの中で時々書いていました。

 裕一が横川さんに密かに思いを寄せていたことは感じていました。横川さんも裕一のことは嫌いではないことは確かです。

 この手紙が君に届いた日。つまり僕の誕生日。もう僕は存在していないんですね。僕は余命を知らされて絶望の淵に落ち込んだ時、そこから抜け出せたのは、君たちが幸せになることを願える自分の気持ちだったのです。もし君たちが自然にそういう気持ちになったら僕は心から祝福します。このような気持ちになる自分を発見して驚きました。僕にとって奇跡でした。不幸のどん底にありながら人の幸せを祝福するなんて。死というものがこれほどまで不思議で、神秘的なものだとは思いませんでした。いままで死というものは僕にとって恐怖でしかありませんでした。その死を前にして人を祝福できるんです。この奇跡的な気持ちを僕に与えてくれたのは裕一だと思います。裕一との長年の付き合いのなかで、僕は教科書では決して学ぶことのできない重要なことをたくさん学んできました。そう、君から吸収できたたくさんの重要なことがあったから、今こうして死を前にして人を祝福することができるようになったのです。裕一、ありがとう、さようなら。


                          裕一の永遠の親友 修より


 封筒から便箋を取り出して開いた時、修の手書きの文字が目に入ってきた。修の手書きの文字を見るなり裕一の目から涙が溢れてきた。溢れた涙を通して入ってくる文字は歪んでいた。中学の時、修からよくノートを借りていたから修の文字は見慣れた文字であった。中学時代の文字に比べて、かなり大人の文字になっていたが修の文字であった。見慣れた修の文字が、次から次へと止めどもなく溢れてくる涙を通して、乾いた砂が水を吸い込むように裕一の心の中へ入っていった。手紙を読み終えた時、便箋についていた修の涙の染みに裕一の涙の粒が重なるように落ちた。裕一はもう堪えきれなくなり声を出して泣き始めた。裕一が泣き止むまで星の数ほどの修との思い出の映像が、電光石火のごとく裕一の脳裏をよぎっていった。

 涙で端の一部が濡れていた便箋はすっかり乾いていた。元の折り目に沿って便箋を畳んでから封筒に仕舞った。乾いた涙で睫毛が瞼にくっついて薄目になっていた瞼を大きく開いた。瞼にくっついていた睫毛が離れる時、瞼が微かに震えるのを感じた。大きく開かれた目に、展望台の方から太陽の眩しい白い光が飛び込んできた。大きく開いていた瞼をまた薄目にした。太陽の眩しい白い光を背景に人影が揺れ動いていた。裕一から見て左側の人影は長い髪が風に吹かれて揺れていた。髪の毛の隙間を太陽の白い光の粒が無数の色に変化して通り抜けていた。右側の人影は白い帽子が太陽の白い光を、四方八方に反射させていた。


「上野君、瑠美の作ったサンドイッチどうだった?」

左側の人影が言った。

「とても美味しかったです。ありがとうございます」

「上野君の誕生日の時は、わたしが作るからね。楽しみにして」

「今度、また単独のライブコンサートをやることになったんです。よかったら二人共来てください」

裕一は鞄からチラシとチケットを2枚ずつ取り出した。それぞれチラシの上にチケットを重ねてから、最初は瑞穂に手渡して、次に瑠美に手渡した。

「これからライブの練習があるので・・・」

瑞穂と瑠美は裕一の後ろ姿を黙ったまま見つめていた。裕一の姿が人並みの中に吸い込まれて見えなくなった時瑞穂が口を開いた。

「ライブコンサート、行くの?」

「もちろん」

「それじゃ開演30分前にロビーで待ち合わせしない?」

「いいわ」

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