そして始まる
退院した私は、ナーザント家で数日過ごした。
すぐにでも学院に戻りたかったけれど、まずはオーフェの神官に私の治療をしてもらう必要があったからだ。
タナール神官長はさすがに遠方で無理ということで、帝都にいるダーレス・レミトル神官が派遣されてきた。
レミトルは、二度もニギリアの神気にとりこまれかけたにもかかわらず、変わらない私にびっくりしたらしい。将来は神官にならないかと何度も口説いて、帰っていった。
「アリサさま、お見舞いの方がいらっしゃいました」
執事のバーナードの声がして、アンが急ピッチで私の髪を結いあげる。
病気見舞いに来てもらったのに、完全に礼装して出迎えるのは少しおかしい気がするけれど。
何せ、見舞客がマクゼガルド家なのだ。
しかも、公爵まで来ているらしい。
ベッドに臥せっている状態ではないのだから、おめかしして出迎えしないと、ナーザント家の恥になってしまう。
「一緒に行こうか。アリサ」
部屋を出ると、レイノルドが廊下で待っていてくれた。
「はい。お義兄さま」
レイノルドも週末で屋敷に戻ってきている。
彼を『
そのせいかどうかはわからないけれど、こころなしか、レイノルドの表情が前より明るく、やわらかい。
レイノルドは、私と家族になることで、たくさんの何かを乗り越えられると言っていた。ひょっとしたら、彼は何かを乗り越えたってことなのかもしれない。
私とレイノルドは、客間に向かう。
「レミトル神官にずいぶん口説かれたそうだね」
「はい。どこまで本気なのかはわかりませんけれど」
オーフェの神官になろうと思ったことはなかったので、正直驚いた。
「ナーザント家の養女になる前なら、確実に有無を言わさず神殿に連れていかれましたよ。それほどまでに、アリサはオーフェに愛されている」
レイノルドが苦笑する。
「暗黒神の気を深く取り込んでなお、それを跳ね返すのは『聖女』の名にふさわしいと、レミトル神官は熱弁していましたから」
「正直、紙一重だったのですけれどね」
そんなにすごいことではない。
ニギリアの『記憶』を拒絶できたのは、ルークのおかげだ。
「悪意はないでしょうが、神殿に行けば、アリサは広告塔にされるでしょう。ほぼ独学で『奇跡』を使ったりもしてますしね。何よりアリサは綺麗ですから」
さすがに綺麗とか言われると、恥ずかしい。
血もつながってないのに、ひいき目ってあるんだ。
「これくらいで赤面してはいけませんよ。社交界に出たら、たくさんの男性があなたをほめたたえるでしょうから」
にこりと、レイノルドが微笑む。
美辞麗句を受け流せるようになれって意味だったのかな?
「もっとも、羽虫が寄ってくる隙はないでしょうけれどね」
「羽虫?」
なんのことだろうと思っているうちに、私たちは客間についた。
ノックをして、部屋に入ると、マクゼガルド公爵とルーク、エリザベスの姿があった。
義父であるナーザント侯爵もいる。
長テーブルを囲むように座っていて、養女になった日の食事会を思わせた。グレイはいないけれど。
さすがに緊張する。そもそも、どうして公爵が来たのかわからない。
「お見舞い、ありがとうございます」
少しぎこちない仕草で、淑女の礼をする。
「やあ、元気そうだね。安心したよ」
にこやかに公爵が笑む。
その隣に座っているルークがいつになく緊張しているように見える。
エリザベスは私を見て、いたずらっぽくウインクした。
「アリサ、こちらに座りなさい」
ナーザント侯爵が私を自分の隣に招く。
私はぎくしゃくしながら、侯爵の隣に腰かけた。
お見舞いと言うには、なんか堅苦しい感じだ。
「実はね、アリサ。マクゼガルド公爵が、アリサをルークさまの嫁に欲しいとおっしゃっている」
「え?」
侯爵の言葉にさすがに驚いた。
目を見開いてルークの方を見ると、なぜだか、ムッとしたような顔をされた。
「なぜそんなに驚く?」
「お兄さま」
エリザベスがルークの袖を引く。
「お兄さまが性急なのですわ。両想いになったら、すぐに婚約なんて、さすがのアリサも予想外だと思います」
「しかし」
ルークは反論をしたいみたいだ。
「こうなることは、予想していました」
コホンと、私の隣に腰を下ろしたレイノルドが口を開く。
「ナーザント侯爵家の
「お義兄さま」
さすがにそれは身びいきがすぎるのではないだろうか。
「どうする、アリサ? すぐに答えられないなら、それでもいいが」
ナーザント侯爵はやさしく問いかける。
普通に考えたら、公爵家から望まれたのなら、拒否権はないはずだ。それでも、
まるで、実の娘のように愛しんでいるのがわかって、胸が熱くなった。
「あの。マクゼガルド家としては、ルークさまの相手が私でよろしいのでしょうか? 確かに今はナーザント家の養女ですけれど、もともとは平民で、孤児です」
私は公爵に向き直る。
ルークは私のことを好きだと、身分の差も気にするなと言ってくれた。
その言葉に嘘はないだろう。だけど、家族もそうだとは限らない。
「うちの息子は、親の言うことのきかない、不良息子でね」
公爵が苦笑する。
「滅多に家に帰らない、見合いは全てすっぽかす。だが仕事はきちんとする分、叱りにくくてたちが悪い」
そういえば、エリザベスがルークのことを出来の良い不良って言っていた。
親としては怒りたくても怒りにくい子供だったのかもしれない。
「そんな息子が変わったのは君のおかげだ。それにエリザベスも随分と明るくなった」
「そうよ。アリサがいなかったら、きっと私は殿下との婚約を破棄していたわ」
「それは、ないです」
私は首を振る。
エリザベスはともかく、グレイはエリザベスのことが大好きだから、私が中にはいらなくても、いつか結ばれていたとは思う。
「アリサに断られたら、俺は誰とも結婚しない」
「ルークさま」
まっすぐに見つめられて、胸がドキリとはねた。
「そんなわけで、うちのドラ息子をまっとうにしてくれるのは君しかいないのだよ」
にやにやと公爵が口の端を上げる。
「でも」
「正直に言えば、問題が全くないとは言わないが、君の実力や人柄を私も気に入っている。病み上がりの時に持ちかける話ではないのは分かっているが、君にマクゼガルド家以外から『良き縁談』が持ち上がったらまずい。そもそも私は、うちの養女にしようと思っていたのに、ナーザント家に先を越されたのだから」
「失礼ながら、アリサはもう私の娘ですから、そのようなことをおっしゃられても困ります」
侯爵、義父は、公爵をにらんだ。
「ナーザント侯爵、お父さまは、出遅れたことでお母さまに叱られたのです。許してくださいな」
エリザベスがくすくす笑う。
「実は、使役精霊をつける段階でそのつもりだったのだが、ナーザント家の方が動きが速くてね」
公爵が肩をすくめた。
「母が、アリサを一目で気に入ったのです。私が止めなければ、養女では済まなかったと思いますよ」
レイノルドが苦笑いをする。
養女では済まないってどういう意味だろう。
「出自のことはもう気にしないでいい。アリサはもうナーザント家の人間だから。あとはお前がどうしたいかだよ?」
優しく義父は私を見る。
「私は、ルークさまとずっと一緒にいたいです」
自分に公爵夫人が務まるかとか、ルークに相応しいのかは、まったくわからないけれど。
ルークのそばにいたいということは間違いなくて。
「それでは、婚約成立ということで構わないかな?」
「はい」
公爵に尋ねられ、私は頷いた。
ナーザント家の屋敷には、マクゼガルド家ほどではないけれど、美しい庭園がある。
義父と公爵がお茶をする間、『続きは若い者で』という雰囲気で、私とルークは庭園の散歩をしてくるように言われた。私としては、ちょっとエリザベスと話したかったのは内緒だけど。
まだお屋敷に数えるほどの日数しかいない私より、何回か社交場の理由で屋敷を訪れているルークの方が実は詳しいという状態なので、どっちが案内しているのかわからない感じだ。
ルークに手を握られている状態で胸がドキドキする。
「突然のことで驚きました」
この世界ではよくあることなのかもしれないけれど、お付き合いっぽいこともあまりしていないのに、婚約まで話がいくとは思っていなかった。
「離さないって言っただろう?」
ルークが微笑む。
「もうすぐお前が社交界にデビューするって聞いたからな。絶対に待てないと思った」
庭園のコスモスの花が風に揺れる。
白いコスモスの花ことばは確か『美麗』。
ルークにとっても似合う。
「アリサは無自覚な人たらしだから。気が付くと
「そんなことは」
そもそも、私の方が圧倒的にライバルは多いと思う。
ルークと結婚したい令嬢はそれこそダース単位でいるはずだ。
「そもそも早いうちに手を打たないと、身近なところも危ないし」
「身近なところ?」
なんの話だろうと首をかしげる。
「なんでもない。俺は、嫉妬深い男だから」
甘い笑みを浮かべるルークは、氷の貴公子と言うより、まるで氷砂糖のようで。
「覚悟しろよ、アリサ」
気が付くとルークの手が伸びて、抱きしめられる。
「ルークさまこそ、覚悟してくださいね。私のほうが嫉妬深いですから」
その胸に顔をうずめて、私は呟く。
優しい風が私たちをなでていった。《了》
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長い間お読みいただきましてありがとうございます。
ルーク視点のSS等の更新の予定はありますが、ひとまず終わりといたします。
婚約者編もいずれ書きたいのですが、もう少し先になると思います。
2023/2/24
秋月忍
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