其の二 水着
花の荷物持ちが必要だろうという理由をつけて、俺は花の家に勝手に上がり込んだ。花が荷造りをしている間、畳の部屋で大の字で寝そべり、扇風機を独り占めする。近くから、花の婆ちゃんと母ちゃんの遺影が見つめているが、まあこれ位は許してくれるに違いない。
寺で見た、宗二の遺影を思い出した。明るい表情でにかっと笑っている写真だったので、これ俺じゃないの? と母さんに聞いたら、これでいいのと言われたやつだ。
そう、今日は宗二の七回忌だった。
遺体が見つからなかった為失踪扱いになってはいたが、失踪時は九歳。もう、とうに亡くなったと見做されている。失踪から失踪宣告を行なうまでには七年が必要だが、七年もの間供養されないのは不憫でならないと、行方不明になったその日を命日として毎年こうして法事を行なっている。
宗二は、裏山の中腹にある公園でかくれんぼをしていた俺と花の前からこつ然と消えてしまった。こんなど田舎でよそ者が入り込んだらすぐに分かるし、当時周りに子供を攫う様な大人なんていなかった。そもそも、その場に俺達以外誰もいなかったのは、俺も花も周りもよく知っていた。だから、裏山から続く山の向こうのどこかに入り込んで、迷って出られなくなってしまったのだろう。
数日に及ぶ捜索の後、警察はそう判断した。
父さんも母さんも半狂乱になり、地元の青年団と共にその後も何度も何度も山へ入った。だが、宗二は見つからなかった。そして一月程経ったある日、比較的裏山に近い場所の木に、熊の爪痕が発見された。それと同時に、何かを引き摺った様な痕も。
そこで、とうとう希望が
正直、俺はその頃のことはあんまり覚えていない。だけど、いつも花が隣にいたことだけはよく覚えていた。花だって、具合がちっともよくならない母ちゃんのことが心配だったに違いないだろうに、しょっちゅううちに泊まっては、俺の布団の中で手を握って一緒に寝てくれた。
暫くは夢の中に住んでいた様な俺だったが、熊の爪痕が見つかった日を境に、現実に向き合った。それは霧が晴れたかの様な鮮やかな感覚だったのを、今でもはっきりと思い出す。
ああ、宗二はもういないのだ、熊に食われて死んでしまったのだと、すとんと理解した。
夏休み明けも不登校だった俺がその日を境に登校を再開すると、大して数の多くない級友達は、腫れ物を触るかの様な態度で接してきた。これまで身近で子供が死んだ例がなかったので、彼らもどう対応していいか分からなかったのだと、今なら思う。だが、その時は理由が分からなくて、やがて自分から距離を置く様になった。
「太一、お待たせ」
大きなリュックと学校用のスポーツバッグをパンパンにした花が、ヨタヨタしながら部屋に入ってきた。
「花、水着入れた?」
「え? 水着? 入れてないけど」
「裏の川で泳ごうぜ」
「だって私、泳げないし」
「あそこの浅さは知ってるだろ。こんなに暑いしさ、どうせ夕方まで誰も帰ってこないし」
俺の家のすぐ裏には、山の麓に沿って川が流れている。流れは非常に穏やかで、とても浅い。川底に座ってお喋り出来る程度の深さだ。山の上の方で雨が降ると、急に水かさが増して危険になる時もあるが、昨日も今日も雨雲ひとつない。
「……笑わない?」
花が上目遣いで俺を見た。ゴボウ……だけど、ちょっと可愛いなんて思ってしまったのは内緒だ。
「どこに笑うんだよ」
「いやあのね、日焼けの跡が大分可笑しくなってて」
「笑わねえよ別に」
「絶対だよ?」
そんなことを気にしてたのか。え、それって、俺のことをちょっと意識してないか? え? まじで?
少しソワソワしてしまったが、これは絶対に悟られたくない。努力して何でもない表情を作っていると、花がまた自室に向かっていった。
多分、このソワソワの原因は、さっき花が言っていた他の女子が俺のことをいいと言っていると言っていたことに由来する。どうせ恋愛をするなら、大学とかで東京に出て、そこでもう少し垢抜けた女子としたいなんて何となく夢想していたから、まさか自分がそんな色恋沙汰に関わりが出てくるなど思ってもみなかったのだ。
でもまあ、畑中は花によくしていないみたいだから、即アウト決定だ。
「あ、花!」
大の字のまま大声で花に呼びかけると、花の部屋の方から返事が聞こえた。
「なにー?」
「スクール水着以外な!」
「え⁉ 何その指定!」
「分かったな!」
「ええええっ」
そう言いながらも、花はきっと、スクール水着以外を探してきてくれる筈だ。別に、花の水着姿を見たい訳じゃない。ただその、実際にあの胸はどれくらいのサイズなんだろうかというこれまでの疑問に対する答えを、ちょっと間近で見たいだけだ。それには、スクール水着の胸にデカデカと縫い付けられた名前は、邪魔過ぎる存在なのだ。
「お待たせー」
水着らしき物を小さな布バッグに詰めてきた花は、それをすでにギュウギュウのリュックに詰め込んだ。当たり前の様に、重そうなリュックを背負おうと手に持つ。こいつは、本当にいつもこうだ。もっと俺を頼ればいいのに。
俺は、リュックを無言で奪った。結構、いやかなりずっしりとくる重さだ。
「え、いいよ自分で持つし」
「俺はこの為に来たんだよ。いいから貸せ」
「……ありがと、太一」
嬉しそうに笑う花は、何だろう、今日は特別可愛く見えたのは、きっとさっきの話の所為に違いなかった。
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