第69話 一堂に会す

 アルフレッドは、思わず言葉を失った。が、すぐ立ち直ると、昨日王城で自分に食って掛かった男二人に向かって尋ねた。


「どうしてお前達がここにいるんだ!」


 叱責しっせきする様な口調にも、二人は昨日の様子とは打って変わって冷静そのものだ。


「どうしてと仰られましても、今日急遽きゅうきょ訪問されたいとのご意向がございましたので一緒に参っただけですが、それが何か」


 しれっと言うのは、延々と閉じ込められて以降明らかに自分と距離を置くようになった元老院の重鎮じゅうちん、スチュワート卿ゴードンだ。


 アルフレッドは、今度はその横にいる元婚約者の想い人とアルフレッドが推測している優男に向かって、噛み付くように尋ねた。こいつは憎い。アルフレッドが手に入れられずにいたナタの心を手に入れているのが、悔しくて仕方なかった。


 何が何でも、こいつからナタを引き剥がさねば気が済まない。アルフレッドのその思いは、最早もはや恋慕等ではなく、ただの執着と成り果てていた。


「ホルガー! お前はどうなんだ! 国政にも関わらないお前が、他国の人間と知り合う筈がないだろう!」


 アルフレッドの剣幕にも臆さず、ホルガーは柔和な笑みを浮かべたままゆったりと応える。


「私はこの方の友人なので」

「は!? 友人だと!?」


 すると、ひとり騒がしいアルフレッドに向かい、宰相が止めに入った。


「王太子殿下、来賓の前ですよ」

「あっ……」


 宰相にたしなめられ、アルフレッドの興奮がすぐさまにしぼんでいく。黒髪の男に向かい、アルフレッドは頭を下げた。


「……お見苦しいところをお見せし、大変申し訳ございません。この者達とは昨日少々いさかいがあったもので、つい大人げない態度を取ってしまいました」

「――そうか、それは大変だったな」


 こちらは敬語なのに、そっちはタメ口か、とアルフレッドは内心苛立ったが、相手の訪問の目的が分からない以上、下手にこちらの手の内は見せられない。心の中で歯ぎしりをすると、怒りを押し殺しながら笑顔で客達を席に案内した。


 黒髪の国賓は、金髪と同じ軍服だが、こちらは銀糸ではなく金糸の刺繍ししゅうが施されており、飾緒しょくしょもより豪華なものだ。胸にはウルカーンの紋章であるたかえがかれており、それを身につけることが出来るのは、ウルカーンの王族血縁者のみ。


 執事達により茶が淹れられると、黒髪の男はカップに口を付けた後、アルフレッドの隣の空席を見つつ尋ねた。


「失礼だが、婚約者の方は? 支度に間に合う様、時間を置いたのだが」


 アルフレッドはギクリとすると、宰相に目配せをする。宰相は、溜息未満の小さな鼻息を吹くと、立ち上がり王の間の外へと小走りで去って行った。


 アルフレッドが、作った笑顔のままウルカーンの二人に向かって言う。


「申し訳ございません、女性というのはどうしてもこちらが思っているよりも時間のかかる生き物の様でして」

「まあ、得てしてそういうものではあるな」


 納得したようなしていないような声色で、男が返した。宰相がナタを連れて戻ってくるまでは、この場をアルフレッドひとりでもたせなければいけない。なのでアルフレッドはあれこれと会話を振ってはみたが、返ってくるのは興味なさげな返答ばかりだ。一体何をしに来たのだ、何故こいつらは自国の王太子を助けず、しれっとした顔でウルカーン側に着席しているのかと、アルフレッドはつい憎々しげにゴードンとホルガーを睨みつけた。


 すると、開かれたままの王の間の扉の向こうから、宰相が入ってきた。ようやく来たか、とアルフレッドはほっと心を撫で下ろす。友好のゆの字もない一切会話が弾まない会談は、社交にまだ十分に慣れていないアルフレッドにとって、苦痛でしかなかった。


 宰相に遅れて、ナタが王の間に入ってきた。淡黄色の月明かりの様なドレスを可憐に身にまとうその姿は、まるでおとぎの世界の妖精の様だ。いつも笑みの浮かばない大きな緑色の瞳が、席を立ち椅子を引いて待つアルフレッドを正面から見据える。何かを耐えている様にきつく結ばれた唇が、彼女の清廉せいれんさをより際立たせていた。


「綺麗だよ、ナタ」


 これまで一度も言ったことのない台詞を、アルフレッドはこの後自分のものに完全になるであろう女性に向かってささやく。それを言われた時の、あり得ないものを見るかの様な怯えた目つきに、アルフレッドは快感を覚えた。


 ナタは何も答えず着席したので、それと共にアルフレッドは椅子を押した。こういうことすら、今まで彼女にはやってこなかった。嫌われていると思っていたからだ。だが、好かれていたのなら、こうして優しくすればすぐにまた自分の元に気持ちは戻ってくると、アルフレッドは信じて疑わなかった。


 アルフレッドは、着席後まだ顔を上げずにうつむいているナタに向かって、出来るだけ優しい声色で話しかける。これは、主人であるアルフレッドが指示をするまでは来賓をジロジロと見るのは失礼であるというこの国の作法にのっとった行動である。これがアンジェリカだと、多分まだ興味津々で相手を見てしまう。やはりここはナタで正解だったと、アルフレッドは満足した。


「これは、ナタ・スチュワートと申します。ナタ、顔を上げてご挨拶を」

「――はい」


 ナタの長いまつげが、目の下に美しい影を落としている。それがまた、アルフレッドの支配欲をそそるのだ。


 ナタが、反対側に座る男達を見た。大きな瞳が、更に大きく見開かれる。自分の父親と従兄弟が反対側に座っているのだ、それは驚くだろう。ナタの視線が、金髪の軍人、更に黒髪の王族に注がれる。


 その瞬間を、アルフレッドは見逃さなかった。


 いつもアルフレッドを見る時は一切笑わない目が、ほんの少しではあるが優しげにゆるんだことに。


 忌々いまいましいが、相手が国賓であるからであろう、とアルフレッドは怒りを抑え込むと、反対側の席の男達に向かってナタを紹介することにした。


「ナタ、お前からもご挨拶を」


 すると、黒髪の王族が冷ややかな目をしながら言った。


「何のご冗談かな? 貴方の婚約者は赤髪の御令嬢だっただろう?」


 その声色は、明らかに憤怒ふんどを含むものだった。


「実は、この者は以前の私の婚約者でしたが」

「そんなことは知っている!」


 アルフレッドの言葉を、黒髪の王族が遮る。


「その後色々とこちらにも事情がございまして、彼女とは復縁したのです。ただし、すでに仰る通り赤髪のアンジェリカ嬢と婚約をしております関係上、正妻とはいきませんが」


 こちらにはこちらの都合がある、他国は口を挟むな。そう言ったつもりだった。


 すると、黒髪の王族は、アルフレッドを思い切り睨みつけながら言うではないか。


「俺は、婚約者を同伴させろ、と言ったんだよ。お前の脳みそは空っぽか?」

「なっ……!」


 いくら大国の王族とはいえ、他国の王太子に対して言っていい内容ではない。そう判断したアルフレッドは、立ち上がり威嚇いかくする様にテーブルをバン! と手で叩いた。


「いくらなんでも、あまりなお言葉でございましょう!」


 すると、ゆら、と黒髪の王族も立ち上がった。恐ろしい形相で、自分よりも背の低いアルフレッドを見下ろす。


「いいか、鼻毛」

「は、鼻毛!?」


 クス、と隣の金髪の軍人が笑った。アルフレッドの矜持きょうじがズタズタにされ、これまで抑えようとしていたものが、弾け飛ぶ。


「貴様! 小国を馬鹿にしてるのか!!」

「馬鹿にしてるのはどっちだ?」

「……は?」


 黒髪の王族が、テーブルの周りをツカツカと回ってくる。アルフレッドは、焦りを隠せず思わず斜め向かいのゴードンを見たが、奴は腕組みをしてニヤついているだけだ。


 慌てて宰相を見ると、なんといない。いつの間に。


「な、何をする気だ!?」

「なあに、お前に教えてやろうかと思ってな」


 黒髪の王族は、軽い口調にも関わらず、その目は一切笑っていなかった。


 アルフレッドはどうすることもできず、ただその場に立ち尽くすしか出来なかった。


 すると、黒髪の王族は、アルフレッドのいる場所よりも手前で止まったではないか。


 ナタの椅子の後ろで。


 そして、ナタに手を差し出した。そしてあろうことか、ナタがその手を取ったではないか。


「お前!?」

「これとかお前とか随分と好きに呼んでいたがな、鼻毛王子」


 ナタが、立ち上がって黒髪の王族、大国ウルカーンの王位継承権第一位の王太子であるレオン・ホークスに寄り添うと、レオンはナタの肩を大切なものを扱うかの様にそっと抱き寄せた。


 アルフレッドは、信じ難い光景を、只々ただただ呆然と眺めるしか出来なかった。


「ナタは俺と婚約するところだったのを、お前が文字通り攫っていったんだよ。どう責任取るつもりだ? あ?」


 レオンが、凄んだ。

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