第37話 合言葉はマヨネーズ

 元老院絡みで、王国騎士団がナタを警戒しているのでは、というホルガーの言葉に、レオンが深く一回頷いた。


「今ナタを動かすのは、危険過ぎるな」

「わ、私は何も知らないわよ!?  会っても大して話なんかしなかったし!」


 父からは、政治の話は一切聞かされたことはない。会っても話すのは、元気か? とかその程度だった。


 ホルガーが、腕組みをして考え込む様に言った。


「まあそうだろうな。王都にいる時だって、叔父様と頻繁ひんぱんにナタの定期報告で会話をしていたのは俺の方だからな」

「……はい?」


 今、なんて言った? 私がホルガーを驚愕の表情で見ると、ホルガーがにこやかに笑った。


「安心して、ナタ。別に、叔父様に言われていたからナタに会いに行ってた訳じゃない。ナタに頻繁に会いに行ってたから、叔父様から定期報告をする様に言われただけだから」


 安心して、の意味がよく分からなかったが、となると、父は私がアルフレッドに対し不満を持っていたことも、皆知っていたということか?


「あんのたぬき親父め……」

「え? ナタ、どうしたんだ?」


 全部知ってて、婚約破棄されても肩ポンで済ました父親のあの無表情さに、さすがに私も腹が立ってきた。と同時に、やはりこれが異常事態なのだ、という実感も湧いてきた。


「ど、どうしよう……お父様、無事なのかしら……」


 あのしたたか親父の異常事態に、私は段々と焦りを隠せなくなってきてしまった。そんな私の手をホルガーは優しく握ると、にこっと笑って言った。


「安心して。ナタはここでマヨネーズを完成させることだけを考えていればいい」

「え?」

「レオン、ナタに絶対手を出すなよ」


 ホルガーが、笑顔で軽く睨みつけながらレオンに言う。


「善処するさ」


 レオンもニヤリと笑顔で返した。え? ちょっとこの流れが分からない。私が二人を交互に見ると。


「ナタ、俺が行ってくる」

「……え?」


 ホルガーが王都に行ってしまう? 私をここに置いて?


 私が何も言えずその場に立ち尽くしていると、ホルガーの眉が垂れ下がった。


「ナタ、そんな顔をしないで」

「そ、そんな顔?」


 元々、マヨネーズが完成したら、ホルガーは私から解放してあげるつもりだった。


 もうずっと、ずっと私の傍にいてくれたホルガー。もういい加減自由にしてあげないと、このままずっと縛り付けていていい筈がない。


 分かっている。分かっている。ここは、頼んだホルガー! さすがは我が従兄弟だ! いってこい、と送り出すべきなことは。


 ホルガーが、ポケットからハンカチを出すと、私の目の下に当てた。


「ナタがそんなに心配してくれるなんて、俺は幸せ者だな」

「ううう……っ」


 心配も勿論ある。でもそれ以上に、ホルガーと離れることに異様な程の喪失感を覚えてしまったのだ。


 私は、これまでひとりで頑張って生きてきた気になっていた。だが、それは間違いだったのだ。私は、ずっとホルガーに支えられて寄りかかって生きてきたのだ。自分がこんなにもホルガーに依存してたなんて、ちっとも気付かなかった。私は、阿呆だ。


 こんなのじゃ駄目だ。こんなのじゃ、ずっと私を献身的に支え続けてくれたホルガーにも失礼だ。自分中心に物事を考えて、それでもマヨネーズ求道者か。


 私は唇をぎゅっと噛みしめると、手のひらで涙をぐいっと拭いた。


「か、必ず連絡を寄越しなさいよ!」

「ああ、必ず」


 ホルガーが微笑む。レオンは、そんな私達の様子をやれやれといった表情で眺めていた。シュタインに至っては、無表情で微動だにしない。本当に生きているのだろうか。


「すぐに帰っては来られないかもしれないけど、そうしたら毎日手紙を書くから」

「絶対だからね!」

「うん、約束する」


 ホルガーが、私に一歩近付いてきて屈み込む。私の顔を間近から覗き込み、にこっと笑った。


「研究内容の記録は、ナタに任せたから」

「……ゔんっ」


 もう、涙が止まらなかった。ああやだやだ、あれだけもう泣かないと決めていたのに、すぐにこれだ。


「ははっそんなに泣かれると行き辛くなっちゃうからさ」

「ゔゔゔゔっ」

「いってくるね、ナタは頑張って続けて」


 ホルガーはそう言うと、私のまぶたの上にキスをした。え?


 顔を離したホルガーが、少し照れくさそうに笑っている。そして、レオンを見て言った。


「さあ、レオン。ナタを連れて行ってくれ」

「――ああ。くれぐれも気を付けろよ」

「まあ自分の街に帰るだけだ、大したことはないと思いたいよ」


 レオンが拳を突き出す。ホルガーが、首を傾げてからフワ、と笑うと、同じ様に拳を突き出し、軽く合わせた。


 レオンがふてぶてしい顔でにやりと笑う。


「俺達は同志だ。忘れるな、ホルガー」


 ホルガーは、相変わらずの温和な笑みを浮かべている。


「勿論。あ、抜け駆けは絶対禁止だからな」


 くは、とレオンが小さく笑う。


「そう思うなら、早く戻ってこい」


 ホルガーも、くすくすと笑った。


「はは、やる気出た」


 いまいちよく分からなかった私は、二人のそのやり取りを眺めていることしか出来なかったが、それでもこの二人の間には確かに友情が通っているのは理解出来た。


 だから、私も笑顔になった。すると、レオンが口の端に笑みを浮かべたまま、私にも拳を突き出した。


「ほら、ナタもやるか? 令嬢だとか、お前にゃ関係ないだろ」


 ホルガーも拳を突き出す。


「ナタはナタだからね」


 私は一瞬躊躇したが、そういえば私は異端令嬢だった。拳を突き出したって、別にそれが令嬢の振る舞いとしては間違ってたって、構いはしないのだ。


 それを受け入れてくれた二人だから。


 私は拳を二人の拳に当てると、出来るだけ元気に聞こえる声で言った。


「二人とも、合言葉は分かるわね!?」

「当然だな」

「ナタのいつもの掛け声だもんなあ」


 私は二人を交互に見て、声を張り上げた。


「じゃあいくわよ! せーのっ!」

「「「マヨネーズ!」」」


 高らかな私達の声が、まだ涼しい朝の空に鳴り響いたのだった。

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