第15話 卵割り修行

 マルシェの様なほろ付きの小さな店が並ぶ市場に辿り着くと、レオンが私達を手招きして呼んだ。


 市場は人だらけで、レオンとホルガーが高身長なので何とかなったが、私だけだと確実に埋もれる。これはホルガーの手を離した瞬間、迷子必須だ。


 レオンがいる場所までホルガーの広い背中の後ろに隠れながら進むと、そこは粉物屋の前だった。大きな麻袋に入った粉が、地面に敷かれた敷物の上に並べられている。どうやら、布袋の中に秤で測った粉を入れて販売している様だ。空の布袋が、カウンターの上に積み上げられていた。


 レオンが顎に手をやりながら、品揃えを眺めている。


「卵を固めるなら、やはりこういった粉が入っているんじゃないかと思ってな」


 その質問に対しての答えを持っていなかった私は、即決した。


「とりあえず、少量を片っ端から買っていきましょう!」


 私の行き当りばったりな言葉に、ホルガーが冷静な意見を述べる。


「片っ端から買って試すのはいいと思うけど、同じ物が重複しない様に記録をした方がいいんじゃないか?」


 すると、レオンが意外そうな顔をしてホルガーに言った。


「ぽやっとしてそうな割に、案外まともな意見を言うんだな」


 大体において失礼な発言が多いレオンが、例外なく失礼な発言をした。ホルガーのこめかみが一瞬ぴくりと微かに動いたが、先程のいさかいで懲りたのか、ホルガーはそれ以上レオンに対し噛み付くのはめた様だ。


「……じゃあ、俺が記録係をするよ」


 折角買って出たのにそれを否定する理由はない。私はホルガーを見てうんうん頷いてみせた。


「ホルガーは字が綺麗だしまとめるのが得意だものね、適任だわ!」


 すると、ホルガーの顔に優しげな笑みが浮かんだ。うん、やはりホルガーには笑顔が一番似合う。


「そう? ナタに褒められると嬉しいな」

「あら、別にお世辞じゃないからね?」

「ああ、知ってる。ナタはお世辞は言わないもんな」


 にこにことホルガーが言うと、レオンが私を見てからかう様に言った。


「ナタのそれは、言わないんじゃなくて言えないんじゃないのか?」

「うるさいわね」


 レオン、大正解。そう、私はお世辞を言うのが大の苦手なのだ。


 他の令嬢の誕生会にお呼ばれしても、気の利いたひと言を伝えることが出来ず、無愛想だと思われて次第と疎遠になる、をこれまで幾度となく色んな令嬢と繰り返していた。皆、私が王太子の婚約者だったから気を使って呼んではくれたが、実際に行くと「来たのか」という顔で見られることが多々あったので、その内多忙を理由に行かなくなったという悲しい過去だ。


 つまり、私には友達がいない。私が王都から去っても、誰一人手紙のひとつも寄越さないのは、そういった理由からだ。


 私は唯一の友でもあるホルガーの手をぎゅっと握ると、懇願した。


「ホルガー、頼りにしてるから!」

「ナタ……!」


 ホルガーの端正な顔が、ぽっと赤くなった。ホルガーは、褒められるとすぐこうなる。よく出来た友であり従兄弟のホルガー。マヨネーズ開発は、こいつがいなければ成り立たない。言葉を出し惜しみしている場合ではなかった。ちなみにホルガーに関しては、思ったことを言っているだけだから簡単だ。


 すると、レオンが面白くなさそうな顔で私に言ってきた。


「おい、俺は?」

「勿論頼りにしています! 道具と場所の提供者様!」

「おい」

「あ、あと撹拌かくはん担当としてもとても頼りにしてるから!」

「お前な……」


 暫くむすっとしていたレオンだったが、私は真剣に言っている。精一杯これが嘘ではないと分かってもらえるようレオンを真っ直ぐに見据えてうんうんと頷いている内に、レオンの表情が崩れた。


「――ははっ! 変な奴!」


 破顔一笑。こんな笑い方をされたら、殆どの令嬢はそのギャップに目を奪われてしまうのではないだろうか。そう思える程、可愛い笑顔だった。やはり鼻毛が出ていないのはいい。眼福眼福、と私は心の中で呟いた。



 小さな袋に詰められた小麦粉、砂糖、塩、あとは片栗粉を台所の調理台に並べると、私達はひとつずつ試してみることにした。


「えーと、じゃあまずは小麦粉からいこうか」


 ホルガーは記録係ということで、紙とペンを持って立っている。私は卵を割る係だ。先程レオンにやらせてみたところ、見事に手の中で握り潰した。握力があり過ぎる所為だ、とは本人の台詞だったが、握力の問題ではなく力加減の問題だと思う。


 だがそれを指摘したところで、またレオンの機嫌を損ねるだけだ。


 ということで、卵割りは私がやることになった。


 私がカンカン、ぱかっとボウルに卵を二個分割り入れると、レオンが意外そうな顔で言った。


「お前、卵割りの修行でも積んだのか?」

「はい? どういうこと?」


 レオンもちょいちょい訳が分からない奴だ。私が横に立っているレオンを見上げると、レオンは私の手に持つ卵の殻を指差した。


「だって、お前は一応公爵令嬢だろ? 台所なんて立たないのが普通だと思ってたんだが、もしかしたら后教育の一環で卵割りの修行でもあるのかと思ってな」

「あるかっつーの」

「え?」


 レオンが左右をきょろきょろと見回した。公爵令嬢がツッコミを入れるなど、思ってもいないらしい。というか一応ってなんだ、一応って。少し後ろから私達の様子を見学しているホルガーをちらっと見ると、にっこり笑顔が返ってきた。こいつは私のこういう言い方にも動じない。さすが長年鍛えられているだけはある。


「とにかく、さすがに卵割り修行なんてしてないわよ」

「じゃあ初めてでそれなのか?」

「……ま、まあね! 頭の中でずっと練習していたのよ! あは!」


 イメトレをずっと繰り返していたと思い込ませれば、きっとレオンも納得するだろう。私はきっぱりと言い切ることで、レオンからの追撃を阻止した。レオンは納得のいっていなそうな表情を浮かべていたが、それ以上は聞いてこなかった。よし。


 公爵令嬢に生まれてからは、一度たりと卵なんぞ割ったことはない。だけど、私の前世の記憶が教えてくれたのだ。卵の殻の割り方の手加減を。塩梅を。


 最後に割ったのは十六年以上前だというのに、身体に染み付いた記憶というのは素晴らしいものがある。


 卵と私の思い出、それはトーストとの思い出でもある。食パンの上にマヨネーズを薄く引き、さらに耳のきわにマヨネーズで結界を作る。そして割り入れるは新鮮な生卵だ。それをトースターで焼いた時のあの香りと味。あ、あれで思い出した。多分、マヨネーズには塩も入っている。


 ああ、マヨネーズが完成した暁には、まずはあれから始めよう。私は垂れかかっていた涎を、周りに聞こえないように啜った。


「じゃあ、泡立て器で混ぜていくぞ」

「頑張って! レオン!」


 明らかに慣れていない手つきでボウルと泡立て器を構えたレオンの初回の撹拌は、ビシャッと卵をボウルから吹っ飛ばしたところから始まった。


「ああっナタ!」


 ホルガーが慌てて駆け寄る。レオンが、しまった、という顔で私を見た。


 ……先は長い。


 私の顔面に命中した卵を舌でぺろりと舐めながら、さて泡立て器の使い方をどうマスターさせようか、と考えあぐねたのだった。


 しかし美味いな、この卵。

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