第38話 運命の一戦

「じゃあ、トレーナーっ! 行ってくるねっ!」


 マナロに遅れて闘技場に続く階段に向かったピノラは、どこか真剣な表情で闘技場へと降り立った。

 先に闘技場の中央に立ったマナロは、銀色に輝く頭髪をかき上げながらピノラを睨み付けている。

 その様子は、先ほどまでの会話に応じてくれていた雰囲気とは大きく異なる。

 鋭い視線に込められた闘志が、訓練士トレーナー専用席にいる俺にまでびりびりと伝わってくるかのようだ。

 だがそんな戦いに集中しようとしているであろうマナロの後ろで、プレシオーネがやかましくがなりたてているのが見える。



「よぉし、マナロっ! 解っているな!? お前の役目は、訓練士トレーナーである僕の名声を高める事だ! 何が何でも、下民の訓練士トレーナー獣闘士ビスタに負けるなどあってはならんからなぁ!!」



 召使いと思しき人物たちに日傘を持たせながら、プレシオーネは豪華そうな椅子に腰を下ろした。

 足を組み、そばにいる召使と思しき人物から飲み物を受け取る。

 何かしらの液体が入っているであろうゴブレットを片手に叫ぶ姿は、およそ印象の良いものでは無い。

 だが、プレシオーネの横暴はこれだけに止まらなかった。



「お前がもし情けない結果なんぞ残そうものなら、今夜の飯はおろか、帰る家さえも無いと思え! 役立たずの獣闘士ビスタなんて、すぐに登録を抹消してやるぞ! お前の代わりになる獣人族など、いくらでもいるんだからなぁ! 解ったかぁぁっ!?」



 まるで狂人のような笑みを浮かべながら叫ぶマナロ。

 俺はそのあまりの内容に耳を疑った。

 その歪んだ口から発せられた言葉は、同じ協会に認定を受けた訓練士トレーナーとして怒りを覚える程のものだ。

 食事を与えない?

 負けたら登録を抹消する?

 それはもはや、獣闘士ビスタとして戦う獣人族に対する虐待だ。

 そんな事をすれば、市民から批難の的になるのは火を見るよりも明らかな事である。

 さらに今、この闘技場には闘技会グラディアの協会関係者が来ているのだ。

 彼らの前でそんな事を口ばしれば、訓練士トレーナーとしての認定を取り消されてもおかしくはないというのに。


 あまりに常識はずれな言葉を吐き出すプレシオーネに対し、観客席からはブーイングすら起こらない。

 そんな雰囲気もまるで意に介さぬかのように高笑いをするプレシオーネを一瞥し、マナロは闘技場の中央でため息を吐いた。



「まったく……うるさい主人だ。そんな事、言われなくても解ってるって」



 まるで今の暴言がいつもの事であるかのように、闘技場に立つマナロは静かに言葉を漏らした。

 背面にいるプレシオーネには聞こえていないようだが、ピノラや俺にはしっかりと聞こえた。

 度重なる不遇な扱いに不安を覚えたのか、ピノラは恐る恐る口を開く。



「マ、マナロさんっ……マナロさんの訓練士トレーナーさん、いつもあんな事を言うの…………!?」



 自身の訓練士トレーナーである人物に暴言を吐かれる様を、ピノラはまるで信じられない様子だ。

 これから死闘を繰り広げる相手であるにも関わらず、ピノラはマナロに心配の声を掛けていた。

 しかし、それを問いたい気持ちは俺も同じである。

 何故マナロは、プレシオーネのような横暴極まりない訓練士トレーナーの元にいるのだろうか。

 狼獣人ワーウルフ族である彼女は身体能力に優れており、なにも獣闘士グラディオビスタでなくとも他に生きていく術はいくらでもあるはずだ。

 更に狼獣人ワーウルフ族は主従の関係に厳格なはず……プレシオーネのような人物を、自ら進んで主人と見立てるとは思えない。


 ピノラに問いかけられたマナロは、その眼光をより一層鋭くしながら答えた。



「黙りな、兎獣人ラビリアン。お前には関係の無い事だよ。愛情ばかりを注がれて生きているお前なんかに、あたしの境遇なんて分かりっこないさ」



 マナロの表情が、まるで苦痛に耐えているかのように歪む。

 ピノラの赤い瞳と対をなすかのように青く光る瞳が、見据える俺の視線と交差した。


 あの瞳は……俺は見覚えがある。

 あれはかつて、俺が初めてピノラに出会った時の瞳と同じだ。

 絶望と悲壮に浸り、生きる目的を見失いそうになっていた頃の。

 マナロ、何故君はそんな冷たい瞳をしているんだ。

 そもそも、本来群れで行動する事の多い狼獣人ワーウルフ族が、たった一人で獣闘士グラディオビスタとして参戦している事自体がおかしな話だ。

 彼女の言う『境遇』が、どれほど凄惨で悲しいものなのか。

 それは、俺がきいてやることはできないだろうか。

 戦う前だと言うのに、俺は対戦相手であるマナロの心配をしてしまっていた。


 これでは、いけない。

 俺はこれ以上考えないよう、大声でピノラに向かって叫んだ。



「ピノラっ! マナロの話は、この勝負が終わってからだ! 決勝で勝ったあと、俺も一緒に聞いてやる! だから今は、獣闘士ビスタとして全力で戦うんだ!!」


「ふふ……『勝ったあと』か。お前ら、そんな簡単にあたしに勝てると思ってるなら、思い上がりもいいところだよ……!」



 ゆっくりと腰を落とし姿勢を低くしたマナロは、半身になりながら笑顔を浮かべる。

 が、俺はどこか違和感を覚える。


 俺の叫びに、ピノラが返事をしなかった。

 よく見るとピノラは、余裕の笑みを浮かべるマナロに対して真っ直ぐに顔を向けて睨み付けているではないか。

 アダマント製のプレートに覆われた手を握りしめ、マナロの顔を一点に見つめている。

 何だ?

 もしかして、ピノラは怒っているのか……?

 一体、何に────────


 その時、壇上に立つ進行役の男が勢いよく腕を振り下ろすと、客席の最上段にある巨大な鐘が打ち鳴らされた。

 試合開始の合図である。



「かかって来な、兎獣人ラビリアン! ……観客どもの目の前で、お前をギタギタにしてやる!!」



 色素の少ない青色の瞳をぎらつかせながら、マナロは肉食獣人特有の鋭い牙が生えた口を剥いて見せた。

 銀色に輝く体毛は、炎天下の陽光を美しく反射させる。

 他の獣人種族よりもやや長い腕で地面を掴むような、四つん這いの姿勢でピノラを威嚇した。


 狼獣人ワーウルフ族は元々、交戦的な性格の者が多い。

 領域テリトリーによる支配を重んじる文化が色濃く残っており、その影響で多種族との混血を免れてきた歴史を持つ種族である。

 それははるか昔、人間族と獣人族との間で大規模な戦争があった時代に於いても変わる事なく、他の獣人族たちが狼獣人ワーウルフ族へ共闘を持ちかけようと集落に訪れると、残らず追い出されてしまうほどだったと聞く。

 人間族と獣人族が同じ街で暮らすようになって久しい昨今であっても、街中で狼獣人ワーウルフ族を見かける事は滅多にないのはこの為だ。

 例え平和な時代になったとしても、慣れ合うことを善しとしない。


 一方で、狼獣人ワーウルフ族は主人と見定めた者には忠誠を尽くす。

 このマナロも、何かしらの理由があってロガンツァ家に仕えている身なのだろう。

 それは金か、はたまた衣食住か。

 もしかしたら……彼女の交戦的な性格を利用して、戦いの場を与えることで主従を維持しているのかも、などと妄想をしていた俺だったが、すぐに目の前で行われる決勝戦に集中すべく小さく首を横に振った。

 

 マナロが言い放った挑発に、客席は沸き立つ。

 獣闘士ビスタの戦いでは、互いの口上も魅力のひとつだ。



「むぅぅぅっ……マナロさぁぁぁんっ!」



 戦いを盛り上げるものであれば、戦闘中の掛け合いも協会は禁じてはいない。

 あからさまなアピールに対し、兎獣人ラビリアンであるピノラはどう返すのか。

 そんな期待を込めた視線がピノラの集中している。

 先ほどから明らかに怒った表情を浮かべているピノラが、ついに叫び声を上げた。



「ピノラには、ピノラっていう名前があるんだよっ!? ちゃんと名前で呼んでっ!!」


「あ、あぁ!?」 



 ……何とも場違いな返答。

 会場からは、張り詰めた空気が一気に和んだようにどっと笑いが起きた。

 最も近くで聞いていた俺は、ピノラのあまりに可愛らしい返答に吹き出しそうになってしまった。

 なるほど、さっきからピノラが怒った顔をしていたのは、名前ではなく『兎獣人ラビリアン』とばかり呼ばれていたからか。

 やる気満々の挑発を笑いに変えられてしまい、マナロはわなわなと震え怒りを露わにする。



「て、てンめぇぇ……! ナメてんのか、このメスウサギがぁっ!! お前の名前なんて知るかぁっ! とっととかかってきやがれ!」


「むぅぅ……! 試合が終わったら、ちゃんと呼んでねっ!? 約束だよーーっ!!」



 膨れっ面になりながらも、ピノラは膝を曲げて屈む。

 そして次の瞬間、闘技場内の壁に向かって飛び跳ねた。

 凄まじい衝撃音が壁際から響いたと思ったのも束の間、着地と同時に壁を蹴ったピノラは数瞬後には反対側の壁まで到達している。

 は、速い…………!

 アダマント製の武具になったことで重量が鉄製の時よりも5割増しになっているはずだったが……ピノラの動きは、4日前の3回戦までのものと殆ど変わらないか、むしろ増速しているようにさえ見える。

 鋼鉄製の試作品よりも装甲厚が薄くスリムになった事で、動きやすくなった結果だろう。



「いいぞ、ピノラ! 武具の具合はバッチリだ!!」



 文字通り目にも留まらぬ早さで飛び交うピノラを見て、俺は両拳を握りしめて叫んだ。

 アダマント製の武具をぶっつけ本番で使用することに不安があったのは事実。

 だが、この試合開始直後の様子を見る限りでは、さしたるデメリットなどは見当たらない。

 懸念があるとすれば……先ほどから、古代の石材で作られている闘技場の壁に小さなヒビが入っている事だろうか。

 ピノラが着地をした箇所の壁面が、その強すぎる衝撃を受け止めきれずに削れてしまっているのが見える。

 ピノラの脚力にアダマント武具の頑強さが加わると、これほどまでの威力になるのか……。

 このサンティカの闘技場は、はるか古代から存在する文化的にも貴重な建造物である。

 後で多方面から怒られる可能性もあるが……その辺は訓練士トレーナーである俺が謝ることにしよう。


 闘技場内の壁を蹴って跳ぶピノラを見て、マナロは目を細めた。



「…………なるほどな、これが獅子獣人ライオネルのラーナや、熊獣人ベアクロスのリダを打ち負かした戦術か。確かにこれでは、目で追いかけるのは無理ってもんだな。連中がやられちまうのも頷ける」



 轟音を立てながら飛び交うピノラの影、その中央では、マナロが四つん這いのまま待ち構えている。

 全身の毛を逆立てて臨戦体制を維持している彼女は、武具をほとんど装備していない。

 女性らしく突き出た胸を守るための僅かな金属板プレートのほか、動きやすさを重視したであろう腰部のスカート状の腰板コイルのみで、他は足にはめた革鎧レザー、そして爪を保護する武具だけだ。

 熊獣人ベアクロス族のリダ選手程ではないが、ピノラと比べればやはり体格差があるため重装備による迎撃を警戒していたのだが、これなら一撃を入れられれば十分に倒せるだろう。


 そう、倒せるはずだ。

 だが……待ち構えるマナロは、にやりと笑みを浮かべている。

 おかしい、あの余裕は何だ……!?

 彼女の不穏な表情を見て、俺は息を呑む。


 直後、最高速となったピノラが、マナロの左後方から突撃するのが見えた。



「たああぁぁぁぁぁああーーーーっっ!!!!」



 空中で身体を反転させ、蹴りの姿勢に入るピノラ。


 マズい

 猛烈に嫌な予感がする


 俺は専用席から身を乗り出し、力の限り叫んだ。



「ピ、ピノラっ! 気をつけろおおぉっ!!」


「ふぇっ!?」



 俺が叫び声を上げるとほぼ同時に、マナロが振り向く。



「────────ハハハッ! そこかぁぁぁぁッッ!!!!」



 凶悪な笑みを浮かべたマナロは瞬時に向きを変え、飛び込んできたピノラを正面に捉えた。

 まるでピノラが向かってくる方向が既に解っていたかのような、瞬間的な対応。

 完全に捕捉したピノラの軌道を読み、凄まじい速度で横へ一歩避ける。

 同時に、目標を外れたピノラに対しすれ違いざまにアッパーを叩き込んだのだった。



「うああああああっ!?」


「ピ、ピノラぁぁぁぁぁっ!?」



 金属が弾けるような鋭い音が響く。

 空中で打撃を受けバランスを崩したピノラは、着地のタイミングをずらされたことで猛烈な速度のまま闘技場の地面へと投げ出された。



「あうっ…………!!」



 客席から驚嘆の声が漏れる。

 地面で背中を打ち、ごろごろと地面を転がっていくピノラ。

 闘技場の隅まで転がると、ようやく止まる。

 大きなどよめきが沸き起こる会場内。

 純白の耳や尻尾の毛を土で汚しながらも、すぐさまピノラは立ち上がった。


 その様子を見ていた俺は、驚きのあまり指示すら出せずにいた。



「そ、そんな馬鹿な……ピノラの高速攻撃が、避けられた……!?」



 愕然とした。

 避けられただけではない。

 迎撃された。

 最高速度で飛び込んでいったピノラの軌道を読み、さらには打撃まで加えてきたのだ。

 先ほど響き渡った金属音は、マナロの爪がピノラの武具を直撃した時のものだろう。



「ち…………硬ぇ武具だな。厄介なもんを装備しやがって。おかげで爪が一本欠けちまったじゃねえか……!」



 追撃をかけるでもなく、闘技場の中央でピノラを睨みつけているマナロは、眉間に皺を寄せた。

 見れば、彼女が打撃に使用した右腕の爪が1本、先端が割れてしまっている。

 恐らくピノラが腕に装備したアダマント製の武具で防御したため、破損したのだろう。

 だが、そんな自身の指先を見て尚、マナロは余裕の笑みを浮かべている。

 短くなった爪を舐める仕草を見た俺は、背筋に冷たいものが通るような感覚を覚えた。


 それは会場にいる観客たちも同じようだった。



「お、おい、ウソだろ……ピノラちゃんの攻撃が、避けられたぞ…………」


「避けただけじゃねえ! あいつ、あの早さで突っ込んだピノラちゃんに反撃までしたぞ!?」


「そんな……い、今まで誰も避けられなかった早さだぞ!? 完全に後ろを見てたのに、どうして……!?」



 ざわざわとした客席からの声を聞き、俺は全く同じ不安を抱いていた。

 ピノラの攻撃は、間違いなく最高速度に達していた。

 そしてマナロは今まで戦ってきた獣闘士ビスタたちと同様に、ピノラの動きを目で追うことはできていなかった。

 その証拠に、ピノラが後方から最後のひと蹴りとともに突撃するまで、マナロはあさっての方向を向いていたのだ。

 なのに、ピノラが突撃のため最後に壁を蹴った直後────────

 マナロは瞬時にピノラのいる方向へと向き直り、反撃してみせた。



「あぅぅ………………」



 起き上がったピノラは、ふらつきながらもマナロの方を向く。



「ピ、ピノラっ! 大丈夫かあっ!?」


「うん、だいじょぶだよ、トレーナー……だいじょうぶ……!」



 俺の叫びに応えたピノラの声を聞き、俺はほっと胸を撫で下ろした。

 土まみれにはなっているが、見たところ幸いにも外傷は無さそうだ。

 追撃を警戒してマナロから距離を取っているが、その足取りも普段と変わらない。

 だが、いつも天真爛漫な笑顔を浮かべている彼女が……怯えたような、不安そうな顔をして立ってる。



「ふふふ……さっきまでの元気はどうしたんだい? 兎獣人ラビリアン!!」



 ピノラの表情を読み取ったのか、マナロは見せつけるように舌なめずりをして見せた。

 まずい。

 ピノラの不安に乗じて、プレッシャーをかけるつもりだ。

 こんな状況で精神的に優位に立たれてしまうのは避けなければ。


 だが最前列で見ていた俺にも、マナロが一体どんな手段でピノラの攻撃を察知したのかが読めなかった。

 訓練士トレーナーとして、ピノラに何かアドバイスをしなければいけないのに。

 考えろ、考えるんだ。

 なぜ防がれた?

 優勝候補の獣闘士ビスタさえも退けてきた、ピノラの新たな戦術が何故……!?


 吹き出る汗。

 湿る掌。

 だがそこに、客席から叫び声が届いた。

 



「アレンっ! 『音』と『ニオイ』だ! 嗅覚と聴覚に優れた狼獣人ワーウルフ族のマナロは、お嬢ちゃんの着地音と匂いを感知して、どこにいるかを把握しているんだ!!」

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