第29話 初勝利の余韻

 2年の時を経て初勝利を収めた俺たちは喜びを噛み締めつつも、4日後の第2回戦に備えて帰宅しようとした


 のだが…………


 いつものように一般用の入場口エントランスから帰ろうとしたところ、待ち受けていた人々に取り囲まれる事態となってしまった。

 もともとピノラを応援してくれていた人々の他に、驚異的な戦術により圧倒的勝利を収めたピノラに魅せられた人々が詰めかけ、その全ての人々が『出待ち』していたのだ。

 何の警戒もせず入場口エントランスに出てしまったことで、あたりは騒然となった。



「おおおおっ! ピノラちゃんだっ! やっぱり今日もここから出てきたぞおおっ!!」

「ピノラちゃああああんっ! おめでとう! 初勝利おめでとおおおおっ!!」

「お、俺ッ……感動しちまったよぉぉっ! な、涙が止まらねええええっ!!」

「あの子がピノラちゃんか! いつも小さくて可愛いなぁって思ってたけど、あれで強ぇなんてたまらねぇなぁ!」

「ピノラたんっ! ピノラたんの好きな果実水を買ってきたから飲びゃああああ溢れたあああああ!」

「サっ、サンティカ商業誌の者ですっ! ちょっとだけお話しを……痛ッ! 痛ったたた!」

「ピノラちゃぁぁんっ! こっち向いてぇぇっ!!」



 関係者出入り口から俺たちが現れた瞬間、目の前は阿鼻叫喚の渦と化した。

 押し寄せる人の波に、初めは何とか対応していた俺たちも押し流されてしまう。



「ふぇぇぇっ!? ト、トレーナーっ!! ど、どうしようぅぅぅっ!?」


「み、皆さんっ! 応援ありが……げふッ!? ちょ、押さな……あだだだだッ!?」



 もはや会話もできるような状態ですらなく、次々と人が押し寄せてくる。

 後から聞いた話では、詰めかけた人々によって、何軒かの出店の屋台が破壊されてしまった程だったらしい。

 もはや収拾がつかないのではと絶望しかけたその時、闘技会グラディアの協会から派遣されたであろう警護役の人馬獣人ケンタウロス族たちが数名駆けつけ、密集した人々の間に押し入って来た。



「おわぁっ!? な、何だ何だぁ!?」


「きょ、協会の警護隊だっ! 危ねえ、避けろーっ!」


「押すな、押すなっての! いてててーっ!」



 押しかけた人々を飛び散らせるかのような大迫力で駆け込んできた人馬獣人ケンタウロス族の警護隊員たちは、落ち着いた表情で俺たちの前に陣取ると、少し身を傾けて手を差し伸べてきた。



「モルダン様! ピノラ様も! お手をこちらへ!」


「え!? は、はいっ!?」


「ふわぁぁぁっ! 人馬獣人ケンタウロス族さんだっ!」


「混雑を避けるため、このまま闘技場から出ます! 私の身体にお捕まりください! さあぁっ!!」



 手際良く群集との距離を確保してから俺たちを拾い上げると、そのまま背に乗せて走り出した。

 四つ足の巨体が駆け出すと、人だかりが割れて行く。

 石で作られた入場口エントランスを、硬い蹄が叩く音が甲高く響く。

 あっという間に後方へと流れて行く群集に向かって、ピノラは満面の笑みで手を振っている。

 俺は……そんなピノラを抱き抱えるようにしながら、教会警護の腕章を着けた人馬獣人ケンタウロス族の腕にしがみ付いていた。



「はぁぁ……た、助かりました、ありがとうございます……」


「モルダン様、ピノラ様……遅れてしまい申し訳ございません。協会からの指示で、今大会終了まで私どもが御身を警護致します。4日後の二回戦からは、闘技場の東側にございます直通入り口を利用して欲しいとの事です」


「わかりました、それより、すみません。背中に乗せてもらってしまって……」



 見れば、後方にも数名の人馬獣人ケンタウロス族の女性たちが続いている。

 俺たちは、警護隊の隊長と思われる大柄な人馬獣人ケンタウロス族の女性の背に乗ったまま帰路についていた。

 本来人馬獣人ケンタウロス族たちは、その背に他者を乗せる事を嫌うはずなのだが。



「あっ! そ、そういえば……あぅぅ……ごめんなさい……」



 ピノラのそのあたりは知っているようで、周囲を屈強な人馬獣人ケンタウロスたちに囲まれながら申し訳なさそうにしている。

 だが、俺たちを乗せた人馬獣人ケンタウロス族の女性は笑顔で答えてくれた。



「いいえ、どうかお気になさらないでください。私もピノラ様の戦いを拝見しておりましたが、あまりに感動してしまって……。思い出すだけでも、身体が熱くなります。そんなご両名を背に乗せられるなど、光栄の極みです!」



 専用入り口使用の許可、自宅と闘技場間の護衛に、更に人馬獣人ケンタウロスの背に乗って感謝までされるなんて。

 わずか1日で、こうまで立場が変わってしまうものだろうか。

 だがそれだけ、ピノラの上げた勝利は価値あるものだったという事だろう。


 結局、朝一番の試合だったにも関わらず、自宅に戻れたのは昼を過ぎた頃だった。

 自宅前を掃除していた隣人のミレーヌさんが『あらあら、今日はたくさんの人が一緒なのねぇ』と言って見上げてくる。

 慌てて状況を説明しようとしたのだが……警護隊の人馬獣人ケンタウロス族たちは、ミレーヌさんの顔を見るなり最敬礼を初めてしまった。

 それを見て、にこやかに微笑むミレーヌさん…………本当に何者なんだ。



「私たちは、このまま御自宅周辺を警備致します。幸い、この川の対岸には私たちの営所がございますので、何かございました場合は大声で呼んで頂くなどすればすぐに駆け付けましょう。では、失礼致しますっ!」



 そう言って橋を渡って戻って行く警護隊の人馬獣人ケンタウロス族を見送り、俺たちはようやく自宅に入る事ができた。

 重たそうな音を立てて、閉まる玄関扉。

 久しぶりに訪れた静寂とともに、俺とピノラはその場に座り込んでしまった。




「つ、疲れた…………」


「ピ、ピノラも……何だか闘技会グラディアの試合より、帰り道のほうが疲れちゃった……!」



 へなへなとしおれるように扉へもたれかかった俺は、ピノラを見る。

 ピノラも、ぺたんと座り込んだまま俺の顔を見ている。

 そうしているうちに、どちらともなく笑い出してしまった。


 生活に必要なものしか残っていない殺風景な家の中、2人の笑い声が響き渡る。



「ふ……はははははっ! ピノラ! 凄いじゃないか!! 初勝利だぞ、おめでとう!!」


「えへへへ……! うんっ! 凄く……すーっごく嬉しいっ! えへへへ!」


「いや、本当に凄かったよ……客席からの歓声、聞こえたか? あんなの、決勝戦だって…………のわっ!?」



 試合直後の感動を思い出し、話し始めようとした時……

 突然、座っていたピノラが俺に飛びついてきた。

 俺はバランスを崩し、後ろ手を着く。


 驚いて正面を見ると……俺の顔のすぐ前に、目を細めて笑うピノラの可愛らしい顔があった。



「ピ、ピノラ……?」


「えへへへへ……はむっ」


「んむっ!?」



 俺が口を開こうとしたところ、ピノラは俺の頭を抱き抱えるようにして、唇を重ねてきた。

 


「ん………………」


「ふぅん……んふふぅ…………♪」



 湿った音を立てながらキスをするピノラは、唇を離さないまま嬉しそうに笑った。

 俺の胸に身体を密着させながら、懸命に抱きしめてくる。

 互いの皮膚を介して、ピノラの心臓の音が直に伝わってくるかのようだ。

 目の前で踊るふわふわの長耳を撫でてやると、くすぐったそうに身をよじる。


 しかし、自宅で2人きりになった途端にこれとは……。

 もしかして……ずっとするタイミングを狙ってたのか?

 彼女の首元から漂う汗の匂いが、俺の脳を痺れさせる。

 互いの体温が同じになるくらい、たっぷりの時間を使ったあと、ピノラは静かに唇を離した。


 俺の顔を見つめたまま、恥ずかしそうに微笑む。



「えへへへ……トレーナー、約束したよねっ! 試合が終わったら、いっぱい抱っこしてくれるって!」


「あ、あぁ、約束したが……ピノラ、なにもこんな所じゃなく寝室に…………」


「あむっ 」


「むぐっ!?」



 待ちきれないと言わんばかりに、ピノラは立て続けに唇を重ねてきた。

 荒い鼻息とともに唇をついばまれるかのように吸われ続け、俺はなす術なく玄関で押し倒されてしまう。



「んっ…………ふんん…………ちゅ……」



 3ヶ月前の闘技会グラディアが終わった、あの日の夜もそうだったが……こうなったピノラを鎮めるのは本当に大変だ。

 元々兎獣人ラビリアンは繁殖に伴う周期が他種族と比べて圧倒的に早いのだが、ピノラの場合は闘技会グラディアで死闘を繰り広げる事でそういった本能がより刺激されてしまい、他人の温もりを求めてしまうのだろう。

 こうなるともはや、甘えん坊を通り越してキス魔である。



「ふやぁぁ…………」



 ピノラは甘えたような声をあげると、そのまま俺の胸に倒れ込んできた。

 俺は身体を支えていない方の手で、優しくピノラの頭を撫でる。

 俺の胸板に嬉しそうに頬擦りする姿が、最高に愛らしい。


 頬を密着させた状態のまま、ピノラはぼそりと呟いた。



「ごめんね、トレーナー……ピノラ、闘技会グラディアのあとは、どうしてもトレーナーに甘えたくなっちゃって…………」


「いや、構わないさ。ピノラのその衝動を受け止めるのも、訓練士トレーナーである俺の務めであるし……それに、ピノラに甘えられるのは俺だって嬉しいんだ。何も気にせず、存分に甘えてくれ」


「えへへぇ……トレーナー、ありがとうっ。ピノラ、戦いが終わるとすぐ頭の中で『トレーナーに抱っこされたいよー!』って気持ちが出てきちゃって……」



 やはり本能的なものなのだろう。

 そういった衝動を抑えろと言うのは、兎獣人ラビリアンに限らず獣人族にとっては酷なことだ。

 俺自身も可愛らしいピノラに求められるのは嫌ではない、というより……むしろ望んでいる。

 いくらでも甘えてもらって構わない。


 そう思っていたのだが、次のピノラの言葉で俺は身を固くする。



「今回、初めて2回戦に行けたけど……このまま闘技会グラディアで戦い続けたら、ピノラどうなっちゃうんだろう……? トレーナーに、もっともっともーーっと抱っこして貰いたくなっちゃうかなぁ?」


「え…………? あ、そうか、もう次の第2回戦が4日後に────────」



 そこまで言って気付いた。

 今まで、たった1度の対戦でさえ、その日の夜に一晩中抱きしめてやらなければならなかったピノラが、今回初めて第2回戦へと駒を進めたのだ。

 次の戦いでまた気持ちが昂ぶったりなんかしたら、いつもの1回戦敗退よりも断然激しく求められてしまうのでは……?

 い、いや、それだけでは無い。

 もしこのまま奇跡的に勝ち進んで行けば、4日に1回は対戦をこなして行く事になる。

 そんな事になれば、ピノラの衝動はとんでもない事に────────



「トレーナー……ピノラ、次も頑張るねっ! もしまた勝ったら、い〜〜っぱい抱っこしてねーっ☆」


「あ、あぁ…………」



 満面の笑みで甘えるピノラを抱きしめながら、俺は今季の闘技会グラディアは寝不足で挑まなければならない事を覚悟したのだった。

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