第15話 交渉

「に……200万ガルド!?」


「そうだ、それもまず即金で50万。そして、残りは3ヶ月以内……次のシーズンの闘技会グラディアが始まるまでに必要になる」



 淡々と話すシュトルさんに対し、俺は余りにも高額な金額の請求につい大声をあげてしまった。

 しかし、我ながら仕方のない事と思う。

 200万ガルドというのは、ピノラと俺がサンティカで1年間は難なく暮らせるだけの金額だ。

 ピノラが闘技会グラディアに参加した際の手当て金が、1回あたり約40万ガルド……シュトルさんが請求してきたのは、実にその5倍である。

 今は今季の闘技会グラディアが開催されている時期なので、あと数日もすれば今季分の手当て金が振り込まれるため、即金の50万ガルドの用意自体はなんとか可能だ。

 だが、自宅にある預金手形を使って銀行から引き出せる金額は、すべて合わせてもおよそ40万。

 全てをつぎ込んだとしても、シュトルさんの要求する200万には残り120万ガルドも足りない計算になる。



「に、200万とは、かなりの金額ですね……そんな大金ともなると、今すぐにとは……」


「解っている、だが必要な条件は他にもある」



 切株から立ち上がった俺を見上げながら、シュトルさんは続ける。



「もし俺が今回の話を受ける事になれば、お嬢ちゃんは今日から2ヶ月半の間、この家で生活して貰う。金が足りないなら、アレンはサンティカに戻って労働して貰う事になるから、離れ離れになるって事だ」


「なっ…………!?」


「ふぇっ…………!?」



 驚愕のあまり言葉を失ってしまった俺の横で、ピノラも手で口元を覆っている。

 不安そうな顔に、彼女の真っ白な長耳がピンと立つ。

 これはピノラが緊張している時にする仕草だ。



「ど、どういう事ですか!? お、俺はピノラを強くしたくて、あなたの事を尋ねたんです! ピノラに女中まがいの事をさせる為じゃない!!」


「……おいおい、勘違いするな。いつ誰が、人さまの獣闘士ビスタを女中にするなんて言った?」


「だ、だって、『この家で生活』って……!」



 慌てて言葉を繰り返す俺に対し、シュトルさんは呆れ返ったように大きなため息を吐く。

 呼気に乗ってベルモットのアルコール臭が漂ってきたが、今はそんな事を気にしている場合では無い。

 シュトルさんはひとつ咳払いをすると、俺を下から覗き上げるように俺の目を見据える。



「バカ野郎、『生活』って言うのはそんな意味じゃねえ。俺がこの訓練所を使って、お嬢ちゃんのトレーニングを直々にやってやるから、ここに住まわせろって言ってんだ。人を悪趣味な好色老人みたいに考えるんじゃねえよ」


「こ、ここでトレーニンングを……!?」



 そう言って、俺は辺りを見回した。

 確かにここならば、サンティカにある自宅兼訓練所とは違ったトレーニングが出来るだろう。

 自宅とは比べ物にならない程の広大な面積があれば、実際に闘技会グラディアで戦う時を想定した練習も可能だ。

 だが、一見してこの訓練所にもトレーニングの器具らしいものは見当たらない。

 ここで出来る事と言えば、走り回る事くらいしかないと思えるのだが……。



「トレーニングなら、サンティカにあるうちの庭でもできます! 何もここでやらなくったって……」


「いいや、ダメだ。お嬢ちゃんを強くするためには、ここの環境でやらなきゃいけない事が山ほどある。アレン、お前の家が大豪邸で、ここよりデカい訓練施設を持っているって言うなら話は別だがな」


「うっ………………」



 そう言われてしまうと、何も反論できない。

 シュトルさんが言う『やらなきゃいけない事』がどんなものなのか、俺には考え及びがつかない。

 だがそれこそがシュトルさんが知っている、ピノラを強くする方法なのだとしたら、反論などできるはずもない。

 


「シュトルさん……200万ガルドもの金額を必要とする理由は何なんですか? 内訳を教えてください」


「ハハハ、アレンよ……その口ぶりだとお前、俺の事をまったく信用してやがらねぇな?」



 シュトルさんはどこか不満そうにしながらも、笑いながら鼻息を吐いた。



「よく聞け。まず、前金で請求した50万ガルドはお嬢ちゃんに必要な武具を揃えるために必要な額だ。……情けねぇ話だが、今の俺には信用ってモンが全く無え。文無しの状態で鍛冶屋に武具を注文しに行ったところで、門前払いされちまうのが関の山だ。だから即日現金払いで注文するために、その費用となる50万ガルドが全額必要なんだよ。そして残りの150万のうち半分以上は、お嬢ちゃんに使う食費と生活費だ。アレン、お嬢ちゃんの体つきを見る限り、お前の獣人族に対する栄養管理の知識は素晴らしいが……お嬢ちゃんの体力を向上させ、筋力を増すためには食事のグレードも上げて行かなきゃならんのはお前でも解るはずだ」



 訝しげな表情を浮かべる俺に対し、淡々と話すシュトルさんの話には筋が通っている。

 確かに、ピノラの武具を用意するとすればそれくらいの額は必要だ。

 獣闘士グラディオビスタが使用する武器や防具は、一点ものの特注品オーダーメイドが多い。

 ピノラのように人間族に近い体格の獣人族であれば既製品レディメイドのものでも流用は可能だが、殆どの場合はそうはいかない。

 人馬獣人ケンタウロス族や熊獣人ベアクロス族のようにそもそも体格から異なる種族は着用できないし、例え使用出来たとしてもその獣人族固有の強みを発揮しきれなくなる可能性すらある。

 そして食事に関しては、俺自身も前々から感じていた事だ。

 果物や豆類を中心にバランスよく食べられるよう、ピノラの食事には気を配ってきたつもりだが……それでも、限られた食費の中ではピノラの体重が減らないようにするだけで精一杯だったのは紛れもない事実である。

 ピノラが金属製の武器や防具を着けるには、それを扱えるようにする為の筋力が必要不可欠なのは素人にだって解る。

 獣闘士グラディオビスタにとって武具の準備と身体作りは、切っても切り離せない命題なのだ。



「シュトルさん、武具の発注なら、俺が鍛冶屋に直接行っても良いのでは?」


「それもダメだ。今回鍛冶屋に依頼するのは、20年前にファルルが使っていたものに改良を加えた武具だ。アレン、お前がひとり鍛冶屋に行ったところで、ファルルの武具なんて、ましてや改良したい部分なんて説明できまいよ」


「そ、それは…………はい…………」


「それに、もしお前が50万ガルドを即金で鍛冶屋に入れることができたとして、その後の生活費はどうするつもりだ? 200万ガルドっつー金額を聞いてそんな具合に狼狽えるようじゃ、手元には3、40万くらいしか無いんだろう? そうなればお前が肉体労働をして稼がなきゃならない訳だが、その間のお嬢ちゃんの訓練はどうするつもりだ? まさかお前が働いている間、自宅に押し込めておくなんて言うんじゃ無いだろうな?」



 次々と出てくる理由、そのどれもが合理的なものだ。

 シュトルさんの主張には、反論できる余地がどこにも無い。

 俺はついに閉口してしまった。

 我ながら、何とも情けない姿だ。

 これではまるで、ピノラと離れ離れになるのが嫌で駄々をこねているようにしか見えまい。

 立ち尽くす俺を見て不安そうな顔をしているピノラは、白くふわふわな毛の長耳をぺたんと寝かせてしまっている。



「ト、トレーナー…………」



 ピノラは、塞ぎ込んでしまった俺の手を握ってきた。

 心なしか、いつもより冷えている。

 俺は唇を噛み締め、切株に座り直しながらピノラの手を優しく包んだ。

 


「いいか、アレン。確かに今の俺は紛れもない貧乏人だ。ファルルと共に勝ち取った20年前の賞金なんてもう殆ど使い果たしてる。だがそれでも、俺は自身の金欲しさに言ってる訳じゃない。お嬢ちゃんを強くしたいのなら、200万ガルドという金も、お嬢ちゃんのトレーニングもどちらも必要になる。お前がしっかり金を稼ぐ間に、訓練士トレーナー経験のある俺がお嬢ちゃんにファルルと同じトレーニングをして、身元も預かれる。これ以上のプランは無いと思うんだがな? 一応言っておくが、金を用意する期限が『次のシーズンの闘技会グラディアまで』っつー理由もちゃんとある。残るはアレン、お前が承諾するかどうかだ」



 俺は顔を伏せ、視線を足元に落とす。

 200万という金額は、あまりにも想定外だった。

 アドバイスを貰う上で多少の心付けは必要になるだろうとは踏んでいたが、こんな金額を今すぐに用意するのは無理な話だ。

 闘技会グラディアで上位まで勝ち進むような一流の訓練士トレーナーとなれば、200万くらいすぐに工面できるのだろう。

 だが……今の俺には望むべくもないものだ。


 そして何より……2ヶ月半もの間、ピノラと離れ離れにならなければならない事に、俺は逡巡していた。

 ピノラと出会ってから2年間、俺とピノラは文字通り片時も離れる事なく共に暮らしてきた。

 それはピノラが俺を心から慕ってくれているからなのだが、他でもなく俺自身も、ピノラから離れる事を拒んでいる。

 俺は、ピノラを愛している。

 彼女が俺の知らないところで悲しい思いをするなんて、もう二度とごめんだ。

 なら、俺がずっとそばにいなければ────────


 長い時間、心の中でそんな問答を繰り返していた俺の手を、ピノラはそっと握り返してきた。



「ピノラ…………?」



 きっとピノラは怯えているだろう。

 まずはピノラに謝らなければ。

 そう思いピノラの顔を覗き込んだ俺は、驚いた。


 ピノラの赤く美しい瞳が、俺の顔を真っ直ぐに見つめていた。

 恐怖を感じているだろうと思っていた彼女は、目を疑うほどに凛とした顔をしていたのだ。

 いつもの可愛らしい表情ではなく、何か決意を秘めたような顔。

 その口から出てきたのは、更に驚くべき答えだった。







「トレーナー……ピノラ、ここで頑張るよっ……!」


「え…………!?」



 思わず声が裏返る。



「ここでトレーニングすれば強くなれるなら、ピノラ頑張るっ! ト、トレーナーと、離れ離れになっちゃうのは寂しいけどっ……ピノラ、我慢できるよ!」


「ピ、ピノラ…………」


「いっぱい練習して、強くなって……次の闘技会グラディアで勝てるように、これからもトレーナーと一緒に居られるように頑張るって、ピノラ決めたからっ!」



 ピノラは俺の両手を、力一杯握った。

 俺とシュトルさんのやり取りをすぐ横で聞いていたピノラだが、恐らく内容の半分も理解できていないだろう。

 それでも、ピノラは『離れ離れになってトレーニングする』という部分はしっかりと聞いたはずだ。



 その上で尚、ピノラは決意したのだろう。


 この2年間、ずっと一緒にいた俺と離れてでも強くなりたい。

 彼女の目には、確固たる意思が宿っていた。


 俺は我に返って、天を仰いだ。




 あぁ

 俺は、駄目な訓練士トレーナーだ。


 個人の感情に流されて、ピノラの決意を無為にしてしまうところだった。

 あの夜、2人で約束したじゃないか。

 今のままじゃない、2人で互いを支え合って行くために変わると。

 ピノラはその約束を果たすために、自分が今何をすれば良いかを選んだんだ。

 なのに俺は、ピノラを腕の中に留めて置きたいだけで────────


 見上げた森の空は、深緑に囲まれた自然そのものだった。

 サンティカでは決して見ることのできない光景だ。

 そうだ、俺たちは変わらなければ。

 ピノラはここで、俺は自分の中で。

 そして2人でずっと一緒に居るために、未来を変えなければ。


 そう頭の中で繰り返していると、俺の中で何かがはじけた。

 やるべき事を見失うな。

 俺は────────



「ピノラ、また新しい『約束』をしよう』


「ふぇっ…………?」



 俺はピノラのふわふわな毛に包まれた耳を撫でた。

 突然のことにピノラはくすぐったそうに目を細める。



「ピノラはここで、シュトルさんから兎獣人ラビリアンの戦い方を学ぶ。俺はその間、ピノラを迎えに来られるようにサンティカで準備してくる。今から2ヶ月半後、俺は絶対にピノラのことを迎えに来るから……それまで、頑張れるか?」



 問いかけた直後、ピノラは唇をきゅっと結ぶ。

 寂しくないはずがない。

 それくらい、俺たちは互いに理解している。

 それでも、ピノラは大きく頷いて返事をしてみせた。



「うんっ……! 絶対だよ? 絶対に迎えに来てね、トレーナーっ!」


「ああ、約束だ。絶対に迎えに来る! だから、頑張ろうな……!」



 俺はピノラの身体を抱き寄せた。

 頬に触れたピノラの髪からは、花のような香りがふわりと漂う。



「えへへ…………」



 嬉しそうに頬擦りをしてくるピノラを抱きしめながら、俺は自分に言い聞かせた。

 ピノラはもう、奴隷にされようとしていた過去を引き摺っていない。

 ピノラは自らの足で、未来を変えるために歩き出そうとしている。

 俺のやるべき事は、ピノラを手の届くところに閉じ込めておく事ではないはずだ。

 俺を信じてくれている、この笑顔と共にあるために。



「……アレン、心は決まったか?」



 傍らで見ていたシュトルさんが、口を開く。



「はい、シュトルさん」



 俺はシュトルさんへ向き直った。



「先ほどは失礼な事を言ってしまい、すみませんでした。シュトルさんにご提案頂いた通り、俺はトレーニングに必要なお金を準備して来ます。その間……ピノラの事を、宜しくお願いします」


「お、おねがいしますっ! シュトルさんっ!」



 深々と頭を下げた俺の横で、ピノラも俺を真似て深くお辞儀をした。

 俺の知識と経験では足りなかったものを、シュトルさんなら教えてくれるはずだ。

 その代わり、俺にはまだできる事がある。

 やるべき事を見据える事ができたのは、大きな前身だ。


 そんな俺たちを見たシュトルさんは、『ふむ』と声を漏らすと俺たちに近づいてきた。

 頭を下げ続けていた俺たちの肩を優しく叩きく。



「よし……決まりだな。まずはこっちに来てくれ」



 そう言うと、シュトルさんは右手の親指で訓練場を指す。

 俺とピノラは互いの顔を見てひとつ頷くと、一緒に立ち上がった。

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