第4話 成果のない帰宅

 闘技場からの帰り道、大通りの市場マーケットに立ち寄って食材を購入した俺たちは、郊外へと続く石畳の道を歩く。

 赤や茶色、黒など色とりどりの石で舗装されたこの道は、サンティカの観光名所でもある。

 はるか昔の時代から豊富に採掘される岩石で建造物を作り出したサンティカの人々が、建造物などで使用した際に余った石材を、こうして地面に埋めていったのが始まりだとされている。


 この世界には太古の昔より、大きく分けて2つの種族が居る。

 人間族と、獣人族じゅうじんぞく

 適応力に優れ広大な土地へと進出する人間族と、種族ごとの集落を形成し個々の力に秀でる獣人族は、互いに異なる道を歩み続けながらも、同じ世界で繁栄していた。


 しかしある昔、人間族と獣人族は各々の領土では養いきれないほどの人口に膨れ上がると、住処を求めて対立し、足りない食料を奪うために殺し合いを始めた。

 100年を超える大戦争時代。

 互いの子らを守るために、戦い続けた両種族。

 長過ぎた戦争は、互いの数を大きく減らす。

 求めていたはずの大地には骨が転がり、貴重な食料であったはずの木の実も食べられる事なく地に落ちるほど。 

 もはや争っている理由さえも忘れる程になったある日、各々の歩んできた歴史の惨状を目の当たりにした両種族は、ついに不戦を誓う。


 和解を果たした人間族は類まれな建築技術と芸術文化、清潔な水と農耕の技術を獣人族に与え、和解を受け入れた獣人族は人間族を共に歩む仲間として守り、支え合う。

 そんな平和な世界が訪れてから、今日こんにちまでに100年の時が過ぎた。


 ここ、サンティカの街は……そんな古代より続く歴史を語る上で欠かすことの出来ない都市だ。

 石造りの街並みは800年も前から殆ど変わっていないと言われており、当時からこの地一帯を支配していた古代の人間族の優れた都市計画と建築技術を垣間見ることが出来る。

 国内の主要8都市へと続く街道は石畳で整備され、街には歴史的な建造物が今も立ち並び、外壁は彫刻で溢れている。

 目に映る景色すべてが歴史的価値のある、そんな石の街。

 今、俺たちがいるこの場所もそのひとつだ。

 大小様々な形の石が埋め込まれた街道は、まるで無造作に絵の具を散らしたようにも見えることから、街の内外から『帆布道キャンバスロード』などと呼ばれ親しまれているのだが、800年前からずっと埋まっていると言われる道路の石は行き交う人々の靴や馬の蹄、荷車の車輪などに削られ、すっかり表面が艶やかになっている。

 そんな歴史ある道であることは知りつつも、毎日のように通るため有り難みなどは感じる事ないまま帰路に着いた。


 

「えへへ、美味しそうな食材があって良かったね! トレーナー!」


「そうだな、今日はピノラが好きな豆のスープを作ろうか」


「ほんとっ!? わーい! やったぁぁ!」



 嬉しそうに飛び跳ねるピノラ。

 この笑顔を見いていると、今回も闘技会グラディアで結果を残せなかったという鬱々とした気持ちも、少しは報われる。

 夕暮れ時とはいえ夕餉の支度にはやや早いのだが、今日は体力を消耗しただろうから早めに食事にしても良いかもしれない。

 食材を入れた麻袋を背負いながら、俺とピノラは石畳の道をのんびりと歩いた。

 楽しそうにステップを踏みながら歩くピノラは、とても先刻まで闘技場で戦っていた少女とは思えないようなあどけなさだ。


 俺たちが住んでいるサンティカの街に限らず、この国では8つの都市にそれぞれ闘技場が建設されており、そこでは3ヶ月に1度開催される武闘大会、いわゆる『闘技会グラディア』が開催される。

 元々は古い時代に人間族の権力者が、民衆の支持を集めたり、不満から目を逸らさせたりするために開催していたもので、戦争で捕虜にした獣人族を戦わせることで市民の娯楽にしていた事が起源とされている。

 人間族と獣人族に和平が結ばれた今でも獣闘士グラディオビスタ、通称『ビスタ』と呼ばれる獣人たちによる死力を尽くした戦いが行われているのだが、現在では元々の物騒な催しから大きく変わった。

 単純な殺し合いだったルールは殺傷自体が禁止され、使用する武器も刃引きが行われたものだけを使用し……様々な能力を持つ獣人族たちの戦いに、膨大な金を賭けるだけの娯楽となっていったのだ。


 各都市に住む市民たちは、白熱するその戦いを見ることを目的に日々を過ごしていると言っても過言ではない。

 闘技場の建設から800年の時を経た今でも尚、闘技会グラディアは市民たちの最大の娯楽であり続けているのだ。

 各都市の闘技会グラディアでは、協会に登録された訓練士トレーナーのもとで闘技訓練をしている獣闘士ビスタに出場権が与えられ、エントリーは無料。

 それでいて更に、出場者には例え結果が1回戦敗退であっても賞金 (という名の手当て金)が出る。

 その額は、サンティカの町でなら細々ながら数ヶ月間十分に暮らせるほどだ。


 だが、協会に認定を受ける程の訓練士トレーナーとなるには、並大抵の努力では到底達成できないような高い壁がある。

 この国に存在するほぼ全ての獣人に関する知識を持ち、彼らの文化を理解し、権利を尊重する倫理を持ち合わせている者を見極めるため、何十もの試験を通過パスしなければならない。

 そして更に、既に協会に登録されている正規訓練士トレーナーや、膨大な財力を持つスポンサーからの推薦がなければ、その街の訓練士トレーナーとして登録されることはあり得ない。


 その為、ひとつの街で最大16人までしか認定されない訓練士トレーナーという職業自体が貴重であり、また協会にとっての財源でもあることから、闘技会グラディアに出場できる獣闘士ビスタには多大な手当て金が支給される仕組みになっているのだ。



 俺は2年前、このサンティカの街の訓練士トレーナー試験に合格し、歴代最年少で協会の認定を得た。

 幼い頃から獣人たちの生活と隣り合わせで暮らしていたこともあり、最初は獣人専門医を目指していた。

 だが父が訓練士トレーナー……だったので、俺は父からその座を譲り受けるかたちで認定の権利を得たのだ。

 本来であればどんなに早くとも30歳半ばでないと取得が困難とされている訓練士トレーナーに10代のうちに就任できたことは、大変珍しいと言われている。

 資格取得当時はサンティカの地元紙にも散々持て囃されたものだが……この2年間で訓練士トレーナーとしての実績を何一つ残せていないことで、世間では『認定には早すぎた』などと陰口を叩かれる有様になってしまった。



 そんな事を思いながら歩き、段々と頭が重たくなってしまったような感覚に陥りながらも……

 800年前に住んでいたであろうサンティカ人の誰かが埋めた石の上を歩き、俺たちは街の東の郊外にある平原へとやってきた。


 ここには、小規模ながら獣闘士ビスタの訓練施設を兼ね備えた自宅がある。

 サンティカのはずれにある大きな土地で、建物の周囲は背の低い草原に囲まれている。

 サンティカは土地代や物価が周辺都市と比べて高いことでも知られており、収入の乏しい人間では生活するのは難しいと言われる事が多いのだが……自宅のあるこの土地は、やや大きめの川を1本挟んだ反対側にあるので、サンティカの中でも特筆して土地台が安い。

 ここは元々、父が訓練士トレーナーをやっていた頃に使用していた場所だ。


 郊外とはいえ、サンティカのメインストリートである大通りまで道一本で行けるので、不便はない。

 難点としては……ちょっとだけ遠いことと、土地自体が斜面になっていることだろうか。

 夕闇の中、見慣れた自宅の玄関が見えてきたとき、その前の道を小さな箒で掃除している1人の女性の姿が見えた。



「あっ! ミレーヌおばさん! こんばんはっ!!」


「あらピノラちゃん、こんばんは。お買い物の帰り?」



 ピノラは、我が家の隣人であるミレーヌさんに挨拶をしていた。

 薄桃色に染められた羊毛で編まれたローブがよく似合う。

 頭髪は白髪が目立つものの、丁寧に梳かれた髪と、それを束ねる紅玉の髪留めが上品さを漂わせている。

 ミレーヌさんは、父がこの場所に訓練所を設けた時からのお付き合いをしている初老の女性だ。

 いつものんびりと庭先の植木の手入れをしており、俺も物心ついた頃からその姿を目にしてきた。

 こんな郊外に居宅を持ち、たった1人で暮らしているなど物騒ではないかと思っているのだが……ミレーヌさん本人は全く気にしていない様子だ。

 それどころか、『街の中は騒がしいからねぇ』と言って、自ら望んでこの土地に住んでいるような節もある。

 俺は優しい笑顔でピノラと話すミレーヌさんに近付き、挨拶を交わした。



「こんばんは、ミレーヌさん」


「あら、モルダンさん。今日は闘技会グラディアの日じゃ無かったかしらねぇ?」


「そうなんですが……今回も負けてしまいました。早くも出番が無くなってしまったので、食材の買い物をして来たんです」



 自分でこんな事を言っているのが、何とも情けない限りだ。

 だがミレーヌさんはそんな俺を蔑むような雰囲気など微塵も感じさせず、笑顔で迎えてくれた。



「あらあら、そうなの。でも2人ともまだまだお若いんだもの、気を落とす事なんか無いわ。これから幾らでもチャンスはあるでしょうからねぇ。あ、そうそう……モルダンさんところの『モコちゃん』、お外に出ちゃってたから預かっておいたわ」


「ま、また脱走してたんですか? あぁ……本当にすみません」


「うふふふ、いいのよ。ああ、そこに居るわ。モコちゃん、ご主人がお帰りになったわよ、出て来なさいな」



 ミレーヌさんが優しい声で呼びかけると、庭木の茂みから白い塊がもぞもぞと這い出てきた。

 良く見ると羊毛のような毛の中に、黒い瞳と小さなツノがついた顔が見える。

 羊をずっと小さくしたような風貌のこいつは、我が家で飼っているシビレツノネズミの『モコ』だ。

 ふわふわの体毛から顔と手足だけが出ているような見た目で、その額には小さなツノが生えている。

 愛らしい見てくれではあるものの、実は害獣であり……このツノに突かれると麻痺毒により身体が痺れてしまうのだ。

 農場で葉物を食い荒らしているところを発見されては処分されることが多いのだが、以前ピノラがどこからか拾ってきてしまい、追い出すわけにもいかずにそのまま我が家で飼う事になってしまった。


 ピノラ自身はこのモコの事を大変気に入っており、毎日のように甲斐甲斐しく世話をしている。

 モコ自身もピノラに大変懐いているため、今のところツノの刺突による麻痺毒の被害は出ていない。



「ふわーっ! モコちゃん、ただいまーっ! お外に出ちゃダメだって言ったでしょー?」


「きゅー」



 ピノラは庭木の間から出てきたモコを抱き上げると、胸元に抱き寄せながら顔を擦り付けている。

 白くふわふわな毛の生えた耳を持つピノラと、全身ふわふわの毛に覆われたモコが戯れているのは何とも可愛らしい光景である。



「うふふふ、ピノラちゃんは本当に可愛いわねぇ。あ、そうだわモルダンさん。これ、私の友達にもらったお野菜なんだけど、私一人ではとても食べきれない量なの。もし良かったら、貰ってくださらない?」


「良いんですか? 凄く助かります。サンティカはまだまだ葉物も根菜も高いですから……」


「いいのよ、本当に食べきれなくて困っていたのだから。これでピノラちゃんに、美味しいお夕飯でも作ってあげてね」



 籠の中に入った大量の野菜をくれたミレーヌさんは、モコと戯れているピノラに『またね』と声をかけたあと家の中へと入っていった。

 ミレーヌさんは、本当に得難き良き隣人だ。

 その背中を見送ったあと、俺はモコを抱きしめているピノラを呼んで、反対側にある自宅の玄関へと入った





 ◆ ◆ ◆ 




「ふあーっ! 美味しそうっ!」



 闘技会グラディアの荷物を片付けた俺は、早速夕餉の支度をした。

 ミレーヌさんに頂いた新鮮な根菜と青菜、そしてピノラの好きな豆を入れたスープだ。

 今日は闘技会グラディアでたくさん動いたことも考慮し、小麦粉で作った練り物も入れてある。



「さぁ、食べよう」


「うんっ! いただきまーすっ!!」



 夜の帳の降りた、いつもより少しだけ遅い夕食。

 自分の分も配膳した俺は、ピノラと同じテーブルにつく。

 ピノラはお気に入りのスプーンを手に取ると、椀からスープと具を掬って口に入れた。

 できたてのスープを啜りながら、ピノラは満面の笑みを浮かべる。



「はぁぁ〜っ……! 美味しい〜っ!」


「ははは、そう言って貰えてよかったよ。本当は、もっと栄養のあるものを食べさせてやりたいんだけどな……」


「ううん、これで十分だよっ。ピノラ、お肉って殆ど食べられないし……それに、トレーナーが作ってくれるご飯って大好きだから!」


「そう言って貰えるのは嬉しいな。まだ少しおかわりもあるから、たくさん食べていいぞ」


「うんっ!!」



 そう言いながら、満面の笑みを浮かべるピノラは、ささくれ立ったボロボロの木のスプーンを止める事なく食べる。

 こんなにも嬉しそうに頬張ってくれるとは、作り甲斐もあるというものだ。


 兎獣人ラビリアンであるピノラは、動物由来の食物を消化吸収する酵素を身体に持ち合わせていない。

 そのため肉類を食べてもほとんど栄養として吸収できないばかりか、ひどい場合では腹痛を起こしてしまう。

 俺は獣人医を目指していた時の知識を活かし、ピノラの食事には穀類や豆類、豆乳などを使用した料理ができるように心掛けている。

 だがそれも、今の収入では満足に摂れていないのが現状だ。


 根菜と青菜、豆類のほか、申し訳程度に小麦粉の練物が入れられたスープは、塩の味しかしない。

 これに香草やスパイスを加えられればもっと美味しく出来るのだが……情けない事にそれら高価な調味料は揃えていない。

 それでも、ピノラはとても美味しそうに食べてくれる。

 だが彼女の笑顔に癒される反面、知識ばかりで実践に結びつけられない自信の不甲斐無さに嫌気がさす。

 闘技会グラディアで戦えるだけの体作りのためには、もっと栄養のあるものを食べさせてやりたい。

 なのに現実は、ピノラがやせ細らないよう体重を維持してやるのが精一杯である。


 程なくして、俺とピノラは椀にあったスープを食べえた。

 いつもよりも少し多めに作っておいたのだが、鍋がからっぽになる。



「ごちそうさまっ! ねぇトレーナー……ピノラ、今年も桃があったら食べたいなっ!」


「桃か? うーん……市場マーケットに並ぶのは、もう少し時期が先だな。それに、サンティカの桃は値段が高いから……」


「うぅ……そっかぁぁ…………」



 足をぱたぱたとさせていたピノラだったが、桃を食べられないと悟り、その笑顔がしおれてしまった。

 ピノラは数ある果物の中でも、特に桃が大好きだ。

 歯ごたえのある硬いものから、薄皮を手で剥けるくらい熟れたものまで、とにかく桃があると凄く喜んでくれる。

 そんな彼女の大好きな桃のひとつも満足に食べさせてやれない自分が、本当に不甲斐ない。



「もし見かけたら買っておくよ。今日はもう身体を拭いて寝なさい。お湯はかまどのところにポットに入れて置いてあるから。試合の反省会は……明日にしよう」


「はぁ〜いっ! じゃあ、おやすみなさい、トレーナーっ!」



 空になった食器を籠に入れて纏めたピノラは、とたとたと足音を立ててキッチンへ歩いて行く。

 竈の隅で木炭の予熱に当てられていたポットを取ると、そのまま浴室へと向かって行った。

 我が家の浴室は、蒸気浴もできるよう設備が整っている。

 本来であれば暖かな浴室でゆっくりと汗を流したいのだが、最近は沸かした湯で清拭しかしていない。

 これも……経済的な理由だ。

 毎日のように蒸気浴をすれば、当然燃料代もかかる。

 ピノラの食費を圧迫しかねないため、やむ無く諦めざるを得ないのが現状である。

 ピノラ自身も本当は湯浴みや蒸気浴が好きなのだが、それすらも数ヶ月に一度程度しか出来ていない。


 こんな生活を、はや2年。


 ハッキリ言って、極貧の暮らしだ。

 都会であるサンティカでは、貧困職と呼ばれる最下層の仕事を請け負う人間でさえ、もう少し余裕のある生活をしているはずである。

 俺のように闘技会グラディアの協会に認められた訓練士トレーナーはいわゆる『高給』であるはずなのだが……。

 結果の残せない以上、仕方のない事だ。



 こんな生活しかできていないと言うのに、ピノラは笑ってくれる。

 屈託のない笑顔を、俺に向けてくれている。

 だが、時折頭の片隅に不安が芽生える日々を、俺は振り払えずにいる。

 俺は彼女を幸せにしてやれているのか……?

 あの笑顔は、本心からのものなのか……?

 俺が訓練士トレーナーとしてピノラに闘技会グラディアでの結果を残せるようなトレーニングができていれば、もっと幸せにしてやれるはずなのでは……



「はあっ…………」



 一人になったダイニングで、誰に向ける訳でもなくため息を吐く。

 もう止めよう。

 現状を嘆いたところで、何が変わる訳でもない。

 俺とピノラは、こうして笑顔で暮らして行けている……それで、いいじゃないか、それで────────

 俺はそう自分に言い聞かせるように頭の中で反芻すると、キッチンの隅に食器を片付け、隣接する自室へと向かった。


 

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