担当編集の岸和田さん

柴田 恭太朗

1.原稿発注は突然に

 それはまだ、夜空に二つの月がポカリ、ポッカリと浮かんでいた頃のおはなし。


 僕の担当編集者は岸和田きしわださんという二十代半ばの女性だった。本来ならここは岸和田さん(仮名)みたいにして実名と異なることを強調しておくべきなんだろうけど、まあこれは架空のエッセイだから必要ないはずだ。たぶん。


 岸和田さんからの発注はいつも突然だった。

 夜中にLINEで呼ばれる。地球に月が二つあった時代には、まだLINEはなかったけれど、それに似た通信手段があったのだ。まあ、そのようにご理解いただきたい。


 岸和田さんからのメッセージが言う。

「センくん。なにか1ページ書いてよ」


 岸和田さんは僕の本名を知っているくせに、いつもネット上のあだ名で呼ぶ。本当のネットネームは「ジョン・ジェフ・フィンケルシュタイン・スーパーマグナム・クリステンセン」というのだ。けれどウソ臭さにもほどがあるし、長すぎるので皆からは「セン」と呼ばれている。まあ、あれだ。「パブロ・ピカソ」や「きゃりーぱみゅぱみゅ」みたいなものだ。長い名前や印象に残らない部分は自然淘汰されて略される運命さだめにある。


 話を戻そう。

 岸和田さんは月刊情報誌の編集者だった。僕に原稿を依頼してくるときは、ページに穴が空いたときと決まっている。穴が空くのは構成の都合だったり、広告が入らなかったり、ライターが謎の失踪をしたり、スランプに陥って予定原稿を落としたりなんかすることによって発生する。とにかく何か原稿を入れないと、パラパラとめくったらいきなり白紙のページが飛びだす、世にもビックリなおもしろ雑誌ができあがって、恥ずかしい先蹤レジェンドとして出版業界の語り草となってしまうわけだ。


 困った岸和田さんは、そんなときLINEメッセージを送ってくる。僕に穴埋めのショートショートを書けというわけだ。ページがテキストだけで成立するショートショートなら、イラストやら写真ポジやらの手間がはぶけて、ページの埋め草としては効率的かつ都合がいいのだそうだ。


「いいですよ。ここんとこヒマだし。締め切りはいつです?」

 当時、僕は大学の四年生だった。卒業研究のまっただ中だったけれど、実験と実験の合間にポコッとヒマな時間が生まれることがある。今回、連絡をもらったときも、うまい具合に研究の端境期だった。

「明日とか?」

「ムリです。ネタないし」

「だよねぇ。じゃあ、明後日では」


 ふぅむ、一日刻みときたか。そのタイトなスケジュール感から、岸和田さんの切迫ぶりを察知する。パソコンの画面のむこうで困っている岸和田さんの顔が見えるようだ。ならばお手伝いしやしょう、とばかりに持ち前の義侠心がうずきだす。


「どんな内容でも文句言わない?」

「ひとまず、ページが文字で埋まっていればいいよ」

「ああ、そこまでヒドいものにはならないと思います」


 モノ書きを趣味にしている人ならおわかりだと思う。小説の『何か』さえ降りてくれば後は早い。夜中に依頼を受け、明け方までに規定の文字数で原稿を仕上げて、岸和田さんにメールで送る。依頼されてから六時間。『てにをは』やら誤字脱字チェックは、人として恥ずかしくない程度にとどめ、必要以上にはがんばらなかった。なぜならプロの編集者である岸和田さんにまかせたほうが早いと思ったから。しかも「原稿書くの早い俺カッコいい」ぐらいにしか感じていなかった。いまになって思いかえせば、拙速に原稿を提出するより半日遅らせてでもベストを尽くしたほうがよかったかな。岸和田さんゴメンね。


 入稿を済ませたらそれで終わり。校正作業はなかった。なぜならメールで校正ゲラのやり取りは無理だから。なにせPDFなんて便利なツールはなかった時代のお話だ。文章の修正は岸和田さんのセンスを信じて、すべておまかせした。無責任というなかれ。原稿料はタダ、つまり無償奉仕なのだし、それくらいの作業分担でトントンだろう。ああ、そういえばたまに、読者プレゼント用の図書カードをもらったこともあったな。筆者ではなく、あくまでも読者。そんな立ち位置だ。


 それでもなぜ仕事を引き受けたか。それは自分が書いた原稿が印刷されて本屋にならぶから。おまけに小説が掲載された見本誌がタダでもらえるから。ヒマな大学生のお遊びとしては、それだけで充分刺激的ではないか。そんなチャンスを得られたのは、岸和田さんが執筆を依頼してくれるおかげだ。ありがとう岸和田さん。

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