ビジネスホテルはまべ
警察署を後にして走る道路は、すでに夜の闇に沈んでいる。
「サイチさんの協力を取り付けてくるとは、正直驚きました。あ、次右です」
俺の運転する車の助手席で、ノラが素直な感想を漏らしながら指示を出してくる。
「右ね」
案内に従って、ウィンカーを出しながら右折車線に入る。
この車は今回の捜査において、使用して良いと貸し出してもらった、ミミサキ署の覆面パトカーだ。本庁でいつも使用しているものよりもだいぶ年式が古いが、そこには不満はない。
ただ普通、車の運転は階級が下の者が行うものだ。
俺のために取ってくれたというホテルへ向かうため、車の助手席に乗り込もうとして、ノラに「私が車の運転できるように見えます?」と自信満々に言われたことだけが、いまだに不満として燻っている。
飛び級が盛んなヤマ国だが、車の免許は一八歳にならないと取得できない。確かに言われてみればその通りなのだが、会った時に見かけで判断するなと豪語していたのだから、そこの主張は一貫してもらいたいものだ。
せめてもう少し申し訳無さそうにしてくれたら、などとしょうもないことを思ってしまうが、宿をとってもらっていただけ、ありがたいと自分を無理やり納得させる。
誰も迎えに来なかったし、ミミサキ署の刑事課全体から伝わってきた、あのあからさまに歓迎されていない態度からして、滞在先も用意されていないかと思った。
「そこの左のホテルです」
ノラに促され、俺はホテル前の駐車場に車を入れる。典型的な田舎のビジネスホテル、という感じの外観だ。
簡素な鉄筋コンクリート造の白っぽいビルに、『ビジネスホテルはまべ』という縦長の看板がついている。『はまべ』を名乗るほどにオーシャンビューではないとは思うが、ミミサキ市全体として海が近いからか、外壁には潮風に当たった結果の錆のようなものが出ていた。年季が入っている。
車を駐め、外へと出るとトランクからスーツケースを取り出す。さすがにそれをノラにやれとは言わない。そんな俺の様子を、何故かノラがじっと見つめていた。
「どうかしたか?」
問いかけると、彼女は無言のままハッとしたように首を振る。
不思議に思いながらも下ろしたスーツケースを引き、ホテルの中へと入った。外観から想像した通りの、いたって普通で、古めいたビジネスホテルの内装だ。
ノラは先にフロントへ向かうと、そこに設置されていたベルを押す。程なくして現れたホテルマンから鍵を受け取り、チェックインを済ました。
そのまま部屋へ向かおうとして、俺ははたとノラを見た。
この図、どう見てもビジネスホテルに女子高生を連れ込む、いかがわしい会社員にしか見えないのではないか。
「ノラ、もう帰って良いぞ。案内ありがとう」
慌てて、フロントに聞こえるような声で告げる。が、ノラは首を傾げ、至極当然のように告げる。
「私の家、警察署を挟んで反対側なので、ユージさんに家まで送ってもらいますから。荷物、部屋に置いてからでいいですよ」
「あ、そう……」
俺が彼女を家まで送ることは、すでに決定事項だったらしい。確かに、歩いて帰れとは言えない距離だ。
送っていくにしても、ノラをそのままフロントに残そうかと逡巡したが、ノラは先にエレベーターの方へと向かっていた。
「ユージさん」
感情の起伏のない声で呼ばれ、仕方なくついていく。
外観からも、そう高くないビルだと思っていたが、エレベーターのボタンから見てホテルは三階建てだった。部屋はアクリルの棒がついた古めいた鍵に示されている通り、三〇七号室なので最上階にあたる。
薄暗い廊下を通って部屋に辿り着いた。鍵をあけ、中へと入る。さすがに部屋の中まではノラも入ってこない。
用意されていた部屋は、畳張りの和室だった。
ベッドがないため、普通のビジネスホテルと比べると幾分か広く見えるが、布団を敷いたら似たようなものだろう。
ごく小さな座卓の上に、どこか懐かしい菓子がサービスとしてのっている。部屋に置かれた小さなテレビは、最近なかなか見ない程に分厚い。ここだけ時が止まっているかのような家具の様子には、だいぶ日に焼けた印象のある畳も、風情があるというものだ。
扉の脇の窪みにスーツケースを置き、ざっと部屋の中を見渡してから、廊下の方を振り向く。すると、駐車場の時と同じような眼差しで、ノラが俺を見ていた。
「ノラ、さっきからどうしたんだ?」
さすがに怪訝に思い問いかける。彼女は、今度は真っ直ぐに俺の目を見たまま、視線を外さなかった。
「ユージさんは、怒らないんですね」
質問に答えない代わりに、そんな一言が漏らされる。
「怒るって、何が」
「一昨年、本庁から来た方は、このホテルを見て怒りました。ミミサキ市なんだから、もっと良いホテルがあるんじゃないのかって。こんなみすぼらしいところに、本庁の人間を泊めるのかと」
ミミサキ市は田舎だが、同時に富裕層をターゲットにしたリゾート地でもある。
このホテルのある場所は宿泊施設の集まるエリアのようで、ここに至る道中も様々なホテルや旅館が立ち並んでいた。もっと浜に近い方に行けば、より高級なホテルが建つメインストリートがあるという。
淡々と話すノラの声からは何の表情も伺えないが、どこか怯えのような感情が潜んでいるように、俺には感じられた。
「まあ……でも、俺は別に旅行に来た訳ではない。経費の無駄遣いはすべきではないと、俺は思うぞ」
そもそも、このホテルにも部屋にも、俺は別段不満はない。新しいホテルではないことは一見してわかるが、不潔な感じはしないし、必要十分なものが揃っている。何より、俺達警察の捜査には、市民の税金から出る経費がかかっているのだから、贅沢をするべきではない。
比較してしまえば、俺がデンメラ都内で借りているアパートの部屋より、よほど立派だ。
しかしノラの言葉から、彼女が俺の反応を伺うように見ていた理由はわかった。
大方、一昨年来たというその本庁の人間は、ミミサキ市での捜査ということで、観光気分でやって来ていたのだろう。例年そんな人間ばかりが指揮官として派遣されていたのなら、ミミサキ署全体から本庁の人間が不審がられても当然だ。
俺は思わず出そうになった溜息を、奥歯で噛む。
「本庁の人間は、妙にエリート意識が強い人が多いよな。それは俺も同感だ。だが、皆が皆そうな訳じゃない。俺は本気で犯人を捕まえるつもりだし、そのために捜査をしに来た。だから、ノラも安心して、俺に協力して欲しい」
小さなノラの方へと体を向け、正面から視線を合わせて真剣に告げる。すると、今まで何の表情も浮かんでいなかったノラの瞳が、ほんの僅かだけ緩んだ。
「……はい。明日は、朝から被害者宅へと向かいます」
「うん、明日もよろしく頼む。では」
ようやく少しだけ、ノラの気持ちに近づけたような気がした。
俺は満足感を覚えながら部屋の扉を閉めようとして。
「あ、家まで送ってください」
ノラの言葉に、そうだったと慌てて再度廊下へ出る。
とってもらった部屋に文句はないが、これは明らかに本庁の人間がやることではないと思う。けれども俺は、ノラをきっちり彼女の家まで送り届けた。
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