推してビビッと!〜推しキャラコスプレの先輩に一目惚れした僕の事情〜
新垣優一
青天の霹靂
1-1 稲妻みたいな恋をした
この独特の空気感は、初めて来た時からかわっていない。大きなハコの中は、明るくキャッチーな音楽が流れており、大勢の人でにぎわっている。
普段職場で上司の無茶振りに殺意を抱きながらペコペコしている人も、子育てと家事、姑のいびりに振り回される主婦さんも、今日だけは特別。日常と隣り合わせの、ちょっとした非日常を楽しんでいる。
目を引くのは、色とりどりのコスプレイヤーの皆さん。きらびやかなステージ衣装に、クラシカルなメイド服。さらには肌面積が多く、外で着ると職務質問をされそうな、際どいサキュバスじみた格好のお姉さんが、当たり前のように歩いている。目の前を通り過ぎると、目線で追いかけてしまうのは男子の
『アイドリアル☆ドリーマー』、通称『ドリドリ』。マネージャーとなって一〇〇人以上の個性豊かなアイドルをマネジメントするこのソーシャルゲームは、アニメ化や映画化、派生作品としてリズムゲームに、声優さんたちによるライブに舞台化と非常に活発な動きをしている。
ドリドリのオンリー同人即売会である『ドリームガーデン』、略して『ドリデン』は今年で八回目と歴史のあるイベントだ。関西で行われる同人即売会の中でも大きな規模を誇る。
ドリデンは日本中のドリドリのマネージャーが集うお祭りだ。高校生くらいの人も少なからずいるが、さすがに義務教育を受けているお年頃のマネージャーは見当たらない。参加者のうち、最年少は多分僕だろう。
「すみません、新刊をいただけますか?」
「ありがとうございます! 八〇〇円になります」
元看護師アイドルの衣装を着たコスプレイヤーさんは、青いコインケースからちょうど出してトレイに置いてくれた。新刊を渡して、もう一度ありがとうございますと伝える。これで新刊は完売だ。
「いえ! アリト先生の新刊が買えて嬉しいです! でも驚きました、こんなに若いのに神絵師だなんて、尊敬しちゃいます!」
「いや、アリトは僕じゃなくて……」
コスプレイヤーさんは大きな勘違いをしている。そうじゃないんです、と目線を横に移動して訂正しようとするも、知り合いを見つけたようで、撮影ブースの方へ足早に去っていく。
「姉さんの方、なんだけどなあ……」
隣に座る、落ち着かない様子の姉を見て、生暖かいため息が出てしまう。殺し屋に狙われているのかってくらいに、怯えきっている彼女こそが、神絵師のアリト先生だ。
男女並んで座っているサークルは珍しくないが、姉弟で参加しているとなると、そこまで多くないだろう。サークル浅草寺ポセイドンは絵師である姉のアリトと、弟にして売り子の僕、
キュッキュッと、ホワイトボードに丸っこい字で『新刊完売しました』と書いている姉さんは、SNSのフォロワー数が四万人を超えており、ドリドリ界隈では名前の知られた人気絵師だ。しかし、極度の人見知りかつ、重度の対人恐怖症をこじらせているため、まともな対応ができなかった。イラストレーターとしての才能がなかったら、部屋から一歩も出ない自宅警備員になっていたかもしれない。
お金を預かる、本を渡すのそこまで難しくない作業すら、姉にとっては高すぎるハードルだ。人の目を見るのが怖く、前髪で潤んだ瞳を隠す姉さんは、弟に売り子をしてもらうことで、ハードルの下をくぐり抜けていた。
「ごめんね、結星。私のせいで回れなくて。よさげなまおりん本もあったのに」
「気にしないでよ。一応サンプルを見たけど、合わなさそうだったし」
まおりんこと
幼い頃に一目惚れして以来、一〇年近く僕は彼女を推し続けていた。その結果生まれたのは、こじらせにこじらせた渚舞織オタクだ。
二次創作自体はグレーな存在ではあるものの、目をつむってくれている公式に迷惑をかけない範囲で自由に行えばいいし、作家によってさまざまな解釈がなされるのは当然だろう。僕も姉さんほど大きくは活動していないが、ドリドリを題材にした小説を書いて、ネットに投稿している。他の子に関しては、問題なかった。
でも舞織に関してだけは許容できなかった。セリフのないイラストは大丈夫だ。でも作者の解釈が多分に入ってしまう漫画と小説はダメなんだ。エッチな姿を想像もしたくないし、コスプレも苦手だ。コスプレイヤーさんに罪はないのは分かっていても、僕にとっての地雷だった。
背も器も小さいと嘲笑われても反論できないし、ドリドリのマネージャーでいる限りこのスタンスで得することなんて一つもない。性的な二次創作もコスプレも、その人なりの舞織に対する愛情表現の手段であり、キャラクターとしての魅力と人気がある証拠だと理解もしている。それでも、自分の承認欲求を満たすために彼女を歪まされるのは我慢ならない。舞織だけは、無菌室にいてほしかった。
僕はずっと渚舞織を推し続けている。それは恋とも言い換えられるもので、誰よりも彼女を理解しているんだと厄介な自負を持っていた。他人の二次創作に対して、愛がないと暴言を吐いてしまいそうになるくらいに、面倒くさいオタク。それが僕だ。
「あっ、完売したんだ……」
既刊も売り切れたので撤収準備をしていると、誰かがやってきたらしい。「すみません、残念ながら新刊も既刊も売り切れたんです」と謝るべく僕は顔をあげた。
「もう少し早く来るべきでした……」
稲妻が駆け巡った。身体に、心に、魂に、ビビッと来てしまった。だって、テーブル越しに渚舞織がいたのだから。
ふんわりとした甘いミルクティー色のボブヘアーに、ピンクの眼鏡が深い夜空で染まった瞳を閉じ込める。そして忘れてはいけない、右下の泣きぼくろ。
スマホの中からそのまま飛び出てきたかのようで、彼女がコスプレイヤーだと理解するのに、時間がかかってしまった。
「どうかしましたか?」
舞織コスのコスプレイヤーさんは、フリーズしてしまった売り子を、不思議そうに見ている。そんなに近くで見つめないでほしい、僕はどうにかなってしまいそうだ。
「あ、えっと、すみません! その、新刊も既刊も完売しまして……えーと、委託もありますので。そちらでご購入していただけましたら、ええ……」
「そうですね、分かりました。委託で買わせていただきます」
よくある表現をすると、青天の
「結星? 大丈夫? 顔真っ赤だよ?」
心配そうな姉さんの声も耳に入らない。自分以外は解釈違いだと切り捨てていた厄介なオタクは、よりにもよって推しキャラのコスプレイヤーさんに一目惚れしてしまったのだ。
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