第十二話 異世界サンドイッチ

 数学者ラプラスでさえ解を導き出すのが困難なこの方程式。解のヒントは「壁タックル」であった。


 相手が俺の力を上回る頑丈さであるなら、他の力を借りそれを補えば良い。単純であるからこそなかなか気付かない。ようやくそれに思い至る。


 肩口をしたたかにぶつけ悲鳴を上げるゴブリンの姿を見て、この考えが間違いなかった事を確信した。理想を言えば激突の際に顔面をブチ当てたかったのだが、それは叶わず。寸前で身を捩られる。とても残念だ。


 何とか最悪の事態を回避して身悶えしながらも俺の拘束から逃げようとする。だがもう遅い。行きがけの駄賃で涙目となった顔面に手を添え、後頭部を壁にブチ当て更なる悲鳴を上げさせる。


 そのまま、そっと首筋に両腕を回した。


 ──ははっ。冷静に肘打ちを落とすなり、膝で蹴るなりしていればこうならなかったかもな。痛みで我を忘れたか。


 この時点でほぼ完成。ここから先は初見ならまず防ぎようがない。重心を後ろに持っていきながら、ゴブリンの首を捻るように右手前に引く。最後は脚のバネを使って鳩尾に抉り込むように膝を突き刺せば良い。


 "首相撲からの膝蹴り"


 今回は威力重視の出し方。相手の後ろに控える壁へぶちかますつもりで膝を出す。結果、俺の膝と壁に挟まれるその身は、衝撃を外に逃がす事ができずに体内に堆積してより大きなダメージとなる。表現は間違っているが、追加ダメージ付の攻撃と言えるだろう。


 ──期せずしてゴブリンの肉を挟んだ新たな異世界サンドイッチが誕生した。


「カハッ!」


 野性味溢れる新鮮な素材を生かすならこれに勝るものはない。シンプルイズベスト。食通をも唸らせる破壊力のある一撃が全身を駆け巡る事間違い無しだ。


 これで効いていなければお手上げ状態になるしかなかったが、口から漏れる唾液が手応えを物語っていた。膝に伝わる感触もこれまでとは違っているのが分かる。心の中で小さくガッツポーズをする。


「まだ終わらねぇよ!」


 ただ……想定内ではあったが、一撃で決められる程のダメージとはいかなかったようだ。そう簡単にKOはしてくれないらしい。


 今度は反対に首を左手前に捻って左膝を突き刺す。今一度の壁とのサンドイッチ。続く短い悲鳴。


 首相撲によって身体をガッチリとロックし、逃げられなくする。首を左右に振って体勢を崩す事により、相手の有効的な反撃を封じる。そうなれば後は好きなだけ膝蹴りを叩き込める。


 こういうのをきっとハメ技と言うのだろう。否定はしない。だが、抜け出す方法もあれば対抗策もある。俺に言わせれば、それをすれば良いだけだ。なすがままになっている方が悪い。


 こんな極悪な技を使う俺の事を人によっては卑怯と言うかもしれない。また、スマートではないとも言うだろう。それで結構。こっちは形振り構っていられない。これが俺の出した方程式の解である以上は証明を終えるまでやり続ける。


 胃液が逆流したのか、膝蹴りを叩き込む度に浴びるゴブリンの唾液から饐えた臭いがする。正直、鼻が曲がるような臭さだが贅沢は言ってられない。全てを無視して更なる追撃を続けていく。


 向こうも何もせず黙って喰らうだけの馬鹿ではないので当然反撃をしてくる。しかし、苦し紛れに出す攻撃のなんと無意味な事か。今の俺には首相撲の維持が絶対条件。力のない攻撃はそのまま受け続ければ良い。痛いのには慣れている。首相撲を引き剥がすようなものでなければこっちは無視するだけだ。唯一噛み付きには焦ったが、その寸前で首を捻り成功には至らせなかった。


 けれども相手も形振り構わなくなってきたのか、今度は俺の背中に無理矢理に爪を立ててきた。


 「今までと同じだ」と思い、そのままさせていたのが仇となる。文字通りに凶器として爪を研いでいたからか、背中からズブリと肉が抉られ、刺すような痛みが走り、身体に悪寒が巡り出す。


「……っんん……オラッア!!」

  

 だからと言ってここで逃げる訳にはいかない。何があろうとこれで決める。幸いにもアドレナリンが回っているのでまだ耐えられた。痛みを堪えて、こちらは三倍返しとばかりに金的目掛けて今一度膝蹴りを叩き込む。


「!?」


 一気に顔色が変わりやがった。そう言えばコイツ勃起してたんだよな。今ので折れたかもしれない。いや、コイツの事だ。ご褒美になるかもな。


 青い顔をしながら脂汗を流す姿に吹きだしそうになるが、黙々と作業とも言える膝蹴りを繰り返す。


 今の状態は客席にはどう映っているだろうか? 俺が膝蹴りを出す度、壁に激突する音や悲鳴が漏れるので、それを頼りに判断するのが精一杯という所か。影の射すこの壁際での攻防は、遠くから見ているお客さんにはもどかしいかもな。まあ、こっちは必死なので観客へのアピールはする気はないが。


 そうこうする内、ようやくゴブリンの動きが緩慢になり抵抗する力が弱くなってきた。何度この単調作業を繰り返したろうか? 俺の方も全く覚えていない。こちらはこちらで今は気力だけで膝蹴りを繰り出している。本当なら、怪我もあれば攻撃疲れもある今の状態では立っているのもやっとである。だが後少しだ。もうすぐゴールだと何とか奮い立たせていた。


「ガアァァッ!」


 ついに来た。蝋燭の炎が燃え尽きる最後のともし火とでも言うべきか、首相撲でガッチリとホールドしているゴブリンが、これまで以上の激しい咆哮を上げ必死で逃れようとする。最後の抵抗だろう。俺も限界は近いが、これまで以上に気合を入れ、更に拘束を強くしてトドメの一撃とばかりにより深く膝蹴りをねじ込む。


「エイシャァァーーー!!」


 今までよりも遥かに深く刺さる確かな感触を感じた。それと共に急速に相手の力が抜けていく。これまで感じなかった重みが腕に伝わってくるのが分かる。ようやく終わったと少し安堵するが、念のため追加で二、三発お見舞いをしておく。


 投げ捨てるようにゴブリンから離れると、膝を折り、顔面からぶつかるように地面に倒れこんでいた。丁度五体投地に似た形となる。最早ピクリとも動かない。


「オイ! 審判!!」


 静まり返った場内に俺の声が響き渡る。誰が見ても明らかなKO勝ちだとは思うが、審判は反応さえもしない。どういう事かと訝しげに思っていた所で、客席からポツリと


「殺せ!」


 という声が上がってきた。


 そのコールは徐々に勢力を拡大し、やがて会場全体へと侵食する。三六〇度全てから沸き起こる「殺せコール」に一瞬眩暈がしたが、これが闘技場の流儀なのだろう。勝利者としての権利を獲得するには熱いご期待に応えるしかない。


「うわぁ、本当に昇天してやがるよ。コイツ」


 地面を引き摺って運んだゴブリンをひっくり返してお顔拝見した所、逆に俺の方が驚いてしまった。白目を剥いているのは分かる。口から泡を吹いているのも仕方ない。だからと言って、股間に染みを作るのはやり過ぎだ。


 確かに匂い袋の効果はあっただろうとは思う。大興奮する匂いがすぐ近くからするのだから天にも昇る気持ち良さだったのだろう。とは言え、この臭いはアレしかない。……さっきの股間への一撃の影響かもな。


 そう考えると、ただでさえ立っているだけでもやっとだというのに頭が痛くなってきた。このまま帰ってすぐにでも横になりたい気分である。


 とは言え、今も俺を急かすように続く「殺せコール」、お客様はそれだと納得してはくれない。


「はあぁ。しゃあねえ、やるか」


 溜息を付きながら、回収した棍棒を大きく振り上げ顔面に落としていく。


 一つ、二つ。血が滲み皮膚が裂けてきた。更に不愉快な臭いがこの場を満たす。


 七つ、八つ。顔面が陥没し、ハンサムな顔つきとなる。血が噴き出し、返り血を浴びる。


 その後何度繰り返したろうか。見るも無残な状態。ミンチという表現が良く似合う。首から上だけは別物の存在となった。


 自分自身でもかなり残虐な行為をしている事は良く分かる。だが、それに対しての忌避感は一切感じない。俺はこんな人間だったのだろうか?


 一歩間違えれば自らがコイツと同じ立場になっていたという事もある。やるかやられるか。この場では甘い事を言っていられないというのもあるだろう。


 それよりも……俺の価値観を一変させたのは長年食べる物に困った事ではないかと思った。今更ながら港の飯場での喧嘩の時、そう言えば「殺しても良い」と本気で思っていたよな。今でこそ落ち着いてはいるが、当時は食い物一つで平気で殴りかかる事を何とも思わなかった。


 本当、変われば変わるものだ。


「そろそろトドメといくか」


 客席は既に拍手喝采、興奮も最高潮の模様。望むのは分かり易い勝ち名乗り。


 今一度棍棒を大きく振り被って充分なタメを作り、残った力を全てぶつけるつもりで一気に振り下ろす。


「チェストォぉぉおーーーー!!!」


 グシャリという不愉快な音に合わせて手元に気味の悪い感触が伝わる。まるでスイカ割りでもしたような感覚であったが、現実には脳漿を飛び散らせ青い血の噴水が沸き上がる凄惨さであった。


 物言わぬ緑の肉塊がそこに横たわるだけ。ほんの少し前まで形があったとは思えぬほどの崩れ方である。このまま放置すればウジが湧き、眼も当てられぬ状態になる筈だ。


 何故そうしようと思ったのか、俺にも分からない。そんな現場を見ても吐き気一つ催す事なく興奮が覚めやらない。噴出する血を浴び、少し前までゴブリンだった存在の首筋に歯を立て肉を食い千切った。抉った肉はほんの少しではあるが、咀嚼し、嚥下し、何事もなく胃の中にぶち込む。喉の渇きを癒すべく青い血を啜る。


「ハッ、ハッハッハッハーー!!」


 青く染まった身体を気にも留めず天を仰ぎ見る。両手を広げ声高に自身の存在をアピールした。


 次第に場内がざわつき、無遠慮なヤジが息を潜めていく。何となく目があった近くの観客は俺の姿を見て気味悪がる始末。重苦しい空気が場を満たす。


「誰だ俺に負けろといった奴は! 予想が外れて残念だったな! さあ賭け札を破り捨てろ! 紙吹雪として俺を祝え! ブーイングで勝利を称えろ!!」 


 静まり返った場内に奇声とも言える甲高い笑い声が響く。テンションが上がり過ぎて何かが壊れたようになっていた。


 そんな中、


「勝者、剣闘士デ……」


 審判の勝者コールを全て聞く前に、突然目の前が真っ暗となり音のない世界へと誘われる。


「ざまあみ……」


 その後、俺は意識を手放すのに多くの時間を必要としなかった。

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