第43話

「どうして…今まで教えてくれなかったの?」


「何度も言おうと思ったさ…何度も…でも…お前が一度も母さんのことを聞こうとしなかったから、お前の気持ち尊重したくて、聞いてくるまで待ってたんだ…」


「たしかに…物心付いたときから居なかったから、何か事情があるんだとは思ってたし…兄ちゃんいつも私を淋しくないようにって一緒に居てくれたから…お母さんのことを聞いちゃ悪いなって思ってきて…」


二人の間に重い空気が流れる…


「薫…今度…会ってみるか?」


突然そんな事言われたって…どうして私達を置いて行ったのかもわからないし、会ったとしてもお母さんって実感も湧かないかもしれないし…


「……………」


「ま、お前が会いたいと思ったら言ってくれ…そのときは必ず母さんに会わせてやる!」


お母さん…会えるの?…どうしよう…どんな人なんだろう…会いたいけど…酷いこと言っちゃいそうで…でも……………お母さん…

透は自分の部屋で着替えて風呂に入る準備をしていた。


「兄ちゃん!」


「おう…」


「お母さんって…どんな人?」


「………母さんは、凄く優しいぞ。お前のことを心から心配してる。そして、いつか謝りたいって言ってる。母さんな…無理が祟って少し身体壊してるんだ…だから…時々病院に入退院繰り返しながら働いてる」


「そう…なんだ…」


「会うか?近い内に」


「………うん、会わせて…」


「そうか、わかった!じゃあ夏休み中にでも会えるように段取りしてやる!」


「うん…」


吟子さんに相談してみよ…お母さんのことを…


翌日の朝


「お母さん!ただいまぁ~」


薫は精一杯明るく振る舞って玄関を開けた。


「おはよう、かおりん!」


しかし吟子の目には薫の中の変化を見逃さなかった。吟子は薫のことをよく見ている。


「かおりん、今日は二人でランチしようか?」


「うん!お母さんと二人でデート!」


薫は無邪気に笑ったつもりだったが、その表情にはどこかぎこちなさがあった。それは、薫をよく観察しなければわからないほど小さな変化だったのだが…


「かおりん…」


吟子は薫の側へ寄って抱き締めた。


「お母さん?」


吟子は抱き締めながら薫の頭を優しく撫でる。吟子には直感で薫が自分から離れていくのではと感じたからだ。


「薫…あんたは私の娘だからね…」


「お母さん………」


何で…何でそんな事言うの?私は…吟子さんの娘だよ?なのに…どうして?

この時、吟子も薫も何故か目頭が熱くなっていた。


「かおりん…何かあるんだろ?私に話したいことが…」


「お母さん…」


どうして…どうして何でもお見通しなの?どうしてこの人はいつも私のことを何でも知ってるの?どうしてわかるの?不思議…


「お母さん…相談があるの…」


そう言って神妙な面持ちで語りかけた。


「実は…」


「かおりんおはよう!母ちゃんお腹すいた~」


その時小山内が二階から降りてきてこの話はランチに持ち越されることになった。


「それじゃちょっとかおりんと出掛けて来るから」


吟子が小山内に声をかける。


「そうなの?」


「お昼ご飯はテーブルにあるから食べて」


「はぁい」


「かおりん、行くよ」


「はい!」


そう言って吟子と薫は近くのファミレスでランチすることになった。


オーダーを済ませて


「で?相談ってなに?」


「お母さん…実は昨日、兄からお母さんに会いたいか?って聞かれて…どうしたらいいか迷ってるの…」


「かおりん、あんたの気持ちわかるよ。突然会えるって言われてもそりゃ戸惑うよね。でも、会えるってことはあんたのお母さんは会いたいって思ってるってことでしょ?だったらすぐにでも会った方がいいよ!」


薫は自分を実の娘のように思ってくれてる吟子の心情も考えていた。


「かおりん、あんたは優しい娘だから私のことも心配してくれてるでしょう?大丈夫!例えかおりんの気持ちに何かしらの変化があったとしても私はあんたのお母さんだし、あんたは私の娘さ!」


「お母さん…ありがとう…もし会えたとしても…何話していいかわからないんだけど…」


「そうだねぇ、まず自分の想いを素直に伝えなよ。そしていっぱい甘えておいで!自分がどう思って生きてきて、今どうなったのか、ありのまま話せばいいよ!ただ、恨み言は言ってやるんじゃないよ?きっとたくさん罪の重さを感じて生きてきたんだろうから…それで許してあげな!」


「うん、わかった…そうしてみます…」


その時オーダーしたものが目の前に運ばれて来た。


「さ、食べよう」


「はい!」


二人は食べながら


「お母さんって…全部私のことをお見通し!」


「そりゃそうよ!私の大事な娘だもん!全てわかってやるのが親ってもんさ」


全てわかって…それが親…私の親は…本当に全てをわかってくれるだろうか…


その日の夜、薫は自分の家に帰り兄、透の帰宅を待った。夜9時過ぎて玄関のドアが開く。


「兄ちゃんお帰り!」


「薫…」


「兄ちゃん、今日カレーライス作ってみたんだけど…食べれる?」


「あ?お前が作ったのか?」


「そうだよ、お母さんに教えてもらった!」


「………」


透は晩御飯の弁当を買ってきたが、薫が自分の為に作ってくれた晩御飯に感極まって思わず涙が出そうになり


「薫…ありがとな。早速食べたいな!」


「わかった!すぐ温めるから先にお風呂行ってきて!」


「おう」


お母さんか…薫も随分小山内ってやつの母親に懐いてんだな…本当に良いんだろうか…今の薫に母さんを会わせて…薫が二人の母の狭間で混乱しなければいいんだが…透は薫の気持ちを考えて、判断に迷う。しかし薫自身が選択したのだからと、透は母に連絡を取る決意を固める。


「兄ちゃん、どう?」


薫は自分で作ったカレーの味の感想を透に聞いてみた。


「薫!お前やるな!美味しいよ!」


「ほんと?美味しい?」


「あぁ、こんなに美味いカレー初めてだ!」


「嬉しい!兄ちゃんいっぱい食べて!」


薫…小さい頃からずっとお前と二人で力合わせて頑張ってきて…お前がこんな風に俺に飯を作ってくれる日が来るなんて…透はまだ幼い頃の兄妹の記憶を思い出していた。透はいつも薫の側にいた。薫が淋しい思いをしないように、友達と遊んでもなるべく早めに帰宅した。薫は毎日のように伝説の黒崎と遊んでいた。それは淋しさをまぎらわす為だ。だから理佳子以外に女の子の友達はほとんど居ない。母を知らない薫にとって透は母親の役目も兼ねていた。透が小学校六年生の時に母を尋ねて一人で会いに行ったことがあった。理佳子の母、可奈子を頼って探したのだ。しかし、薫にはこの複雑な家庭環境のことを考えて、あえて母親のことは黙っていた。薫が母のことを口に出すまで…透と薫の母、真紀は、1日たりとも子供達のことを考えない日はなかった。誰よりも二人を案じていた。何度家の前まで来て母だと名乗り出ようとしたことか…それが出来ずに二人を想いそして帰ることが幾度もあった。ただ一度だけ薫がまだ小学生の時に、真紀が玄関の前で立っていた時に薫が玄関のドアを開けて出ていく瞬間があった。薫は当然気付かずに不審な眼差しで脇をすり抜けただけだったが、真紀はその姿を見て、薫…お母さんだよ…と心の中で叫び、薫の後ろ姿を見送っていた。実は真紀は、子供達の成長をずっと陰で見守っていた。学校の参観日、学芸会、運動会、入学式も卒業式も全て人知れず出席していたのだ。それを知っているのは透と理佳子の母、可奈子だけだった。もし、それを透が薫に話していたなら、薫の淋しい人生は全く違う形になっていたであろう…父、矢崎拳は小さいながらも建築関係の会社を起業していた為に、そういった学校イベントには参加していない。薫が父親との思い出が少なく、父のことをあまり語りたがらない理由がそこにあった。可奈子は理佳子と薫の両方の入学式も卒業式も立ち会っていたのだから、当然妹真紀とも接触していて、複雑な妹の心境に心を痛めていた。真紀は長年の無理がたたり体を壊してしまった。自分で生計を立てる為に、そしていつか子供達に役立てて欲しいと僅かな給料の中からコツコツと貯金をしてきた。なので、栄養も十分では無かったのだ。しかし、それだけが唯一子供達にしてあげられるせめてもの償いの証だった。

透はその日の夜、母真紀に連絡を取っていた。


「もしもし?母さん?実はさ…薫が…」


それを聞いた真紀はその場に膝をつき、ただただ泣いていた。


透は可奈子に頼み母真紀と薫を対面させるお膳立てをしてもらった。可奈子を間に挟むことで、薫の気持ちを少しでも和らげてやれると判断してのことだ。そして、その日はやってくる。


「薫…大丈夫か?」


透は薫の緊張した表情を見てそう聞いた。


「うん…多分…でも…やっぱり何を話したらいいか…」


「何も話さなくても良いんじゃないか?その場でお前の衝動に任せて行動しろよ…逃げ出したくなったらそれでもいい…甘えたかったら甘えればいい…全て素直な自分の…ありのままの自分の心に任せろ!」


「うん…ありがと…」


薫は兄のその言葉に救われた。何も気にせず、その時の自分の気持ちのままに…行動する。お母さんって…呼べるかな…


「じゃ、行くぞ」


「うん…」


二人は理佳子の家に向かった。



薫の母真紀は、既に理佳子の家に居た。真紀もまた緊張して、薫とどう接していいか悩んでいた。とにかくひたすら謝ろう…時間がかかっても、薫に許してもらえなかったとしても、それでも構わない。ただ薫を抱き締めたい…

理佳子は真紀のことを知らない。薫のことを思って理佳子にも何も話さなかった。目の前にいる真紀を見て複雑な気持ちだった。薫に…似てる…この人が…薫のお母さん…

理佳子の家のチャイムが鳴る。真紀は一瞬固まる。可奈子が


「真紀、リラックスして…薫はきっとあなたを許してる…だから会いに来たのよ…」


真紀は黙って頷いた。透がリビングに顔を出す。


「母さん…薫…来たよ…」


そして薫も恐る恐る顔を出す。


「……………」


お互い黙って切り出せない。可奈子が


「薫…あなたのお母さんの…真紀よ…」


「……………薫」


真紀は目に涙を浮かべながら必死でその滴をこぼすまいと堪えて薫の名を呼んだ。


「あの…私…」


薫も感極まって言葉に詰まる。これが…この人が…私のお母さん…私の気持ちのままに…何をどうしたら…


「あの…お母さん…」


その言葉を聞いた瞬間、真紀の堪えていた感情が一気に溢れだし、止めどなく涙が流れた。そしてその涙を見た薫もまた涙が溢れ出した。涙が滲んでお母さんの顔が見れない…お母さん…ずっと恋しかった母の姿…何となく…前に夢に見た女性に似てる…あの夢は…やっぱりお母さんだったんだ…


「薫…薫…ごめんなさい…ずっと…ずっとあなたを抱き締めてあげられなくて…」


「お母さん…」


「例え許してもらえなくても…ただ一度でいい…あなたを抱き締めさせて…お願い…」


真紀は泣きながらそう言った。薫の唇が震える。


「お母さん……」


今すぐ真紀の胸に飛び込みたい…なのに薫はそれを行動に移すことが出来ない。体が動かない…まるで自分の体ではないかのように…その時、透がそっと薫の背中を押した。そして金縛りが解けたかのように薫は無意識に真紀の胸に飛び込んでいた。真紀は薫を強く抱き締めて


「ごめんなさい…ごめんなさい…薫…」


繰り返し薫に謝り続けた。薫は心の中で、それ以上謝らないで…私はお母さんを恨んだりしてない…ただ、真実が知りたいだけ…

この場に居合わせた透、理佳子、可奈子、全員が薫と真紀の再会に涙を流さずにはいられなかった。

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