第42話 イネッサ・アンダーウッドにおまかせを④
私はディノスと改装予定の店舗へ視察に訪れていた。
ディノスが広げた図面を横から覗き込みながら、目の前の店舗外観、そして周辺の環境を観察する。忘れがちな環境チェックは、アナスタシアから教わったものだ。
「面した道も広いですし、これなら馬車も停められますね」
「ええ、その辺りは考慮して選びました」
一番大きな通りからは、一本奥に入ったところになる。
これは、むしろ隠れ家っぽいイメージも作れるし、通好みの立地でもある。
「借地料もかなり抑えられるので」
「それはいいですね」
スラムからも離れていて、治安も悪くなさそうだ。
「では、中を見てみましょうか」
私達は何もない建物の中に入った。
§
「こうしてみると、かなり広いですねぇ」
声が反響する。
「二階が倉庫で使えない分、広めの物件を探したんです」
「なるほど……」
その時、外から人の声が聞こえてきた。
次第に声が大きくなり、誰かが中へ入ってくる。
「おぉ! これはこれは、タイレル殿! 店に寄ったらこちらだと聞きましてな」
大袈裟に胸を張った男と、その手下らしき二人組みの男。
「……トリノ男爵、どうしてここに?」
ふぅん、一応は爵位持ちなのね……。
これだけあくが強そうな男なら見覚えがありそうなものだけど……記憶にない。
それに、ディノスの知り合いにしては、どうも筋が悪そうだ。
「先日、ティーサロンを開店したいと仰っていたでしょう? それならばこのトリノが一肌脱がせていただこうかと思いましてな! わははは!」
「それはありがたいことですが……生憎、それには及びません」
「ん? それは一体……どういう意味で?」
トリノは片眉を上げ、訝しげな表情を見せる。
「お手を煩わせることはないと申し上げております」
ディノスは丁寧に、だが、はっきりと拒絶した。
「ほぉ……。たかだか陶器商の成り上がりが、このトリノの申し出を断ると?」
「ええ、畏れ多いことですので」
ディノスは笑顔を崩さない。
だが、それがトリノの癇にさわったらしい。
「畏れ多いなどと言うのなら、黙って私に従えばよかろう! 小賢しい!」
トリノの怒気に合わせて、じりじりと二人の手下が距離を詰めてくる。
どうしたものか……身分を明かして助け船を出すか、それともこのまま見守るべきか。
「――面倒くさい」
「「え?」」
ディノスの発した言葉に、その場の全員が思わず声を漏らした。
「おっと失礼、つい心の声が漏れてしまいました」
ディノスは胸に手を当て、軽く礼をした。
「あ、あのディノス……大丈夫?」と、小声で訊ねた。
「どうかご心配なく。レディの前で、負ける戦はしない主義ですから」
「な、何だと? 貴様ぁ……」
トリノがわなわなと怒りに震えている。
だが、ディノスは至って冷静に「ご存じですか、トリノ男爵。貴殿の領内で採れる採石、粘土、材木を買っているのが誰なのか」と、トリノに問いかけた。
「ええぃ……話を逸らすな! そんなことお前の知ったことではない!」
「ね? 負ける気がしないでしょ?」と、耳元でディノスがささやき、爽やかな笑みを浮かべた。
「き、貴様ぁ! おい、こいつを引っ捕らえろ!」
「へ、へい!」
二人組の男達が動こうとした瞬間「買っているのは
「な、なに……?」
「ああ、そうだ。信じられないと言うのなら、この瞬間から、貴方の生活の八割を支えている取引を全て中止にしてみましょうか? さぁ、どうされますか――男爵さま?」
「ぬ……こ、この……」
まずい、追い詰めすぎでは……。
そう思った瞬間、ディノスが笑い声を上げた。
「ははは! 冗談ですよ、トリノ男爵。男爵の気を引こうと、少し意地悪を言ってみたかっただけです。タイレル家にとっても、男爵の領内で採れる材料は貴重ですからね。私としては、これからも良い関係を保てればと願っています」
「……ぬぅ」
「そんな怖い顔をしないでください。あ、そうだ! もし男爵さえよろしければ、運搬役を探している店がいくつかあるのですが……力をお借りできませんか?」
トリノの眉間からふっと皺が消える。
「う、運搬役か……ふむ、それならば心当たりがなくもない」
「おぉ、さすが男爵さま、それは心強い! では、また後日、使者を向かわせましょう」
「そうか、だがお前が私を侮辱したことは忘れんぞ?」
トリノはまだ腹の虫が治まらないようだ。
片眉を上げ、ディノスを睨み付けている。
「では、この先、取引を通じて誠意をお見せしなくてはなりませんね」
「はっはっは、そうかそうか、わかれば良い。そこのお嬢さんも騒がせて悪かったな、では――」
ディノスの言葉に満足したのか、トリノは高笑いをしながら去っていった。
「見苦しいところをお見せしてしまって……」
「いえいえ、それにしても……良かったのですか? 運搬役など任せてしまって?」
「ええ、問題ありません。彼に振るのは治安の悪い地域の店だけです」
「なるほど……毒を持ってなんとやらですね」
「ははは、そうですそうです、あれはあれで使えますから」
なるほど、こういう抜け目のないところからも商売人のたくましさを感じる。
アナスタシアが言うように、次の時代はディノスのような新興貴族が創っていくのだろうと私は実感していた。
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