第34話 ウィリアム皇子

 馬車が皇宮の大きな門を通り抜けた。

 私は大きく深呼吸をする。


 大丈夫、手は打った――。

 オルガが問題なく動いていれば、必ずイネッサがノーマン卿を説得してくれるはず……。


 馬車の扉が開き、出迎えの皇宮執事長が恭しく礼を取った。

 執事長ともなると、その辺の貴族よりも上等な服を着ているのだなと、私は内心で感心しつつ執事長の手を取り、馬車を降りた。


「ようこそおいで下さいました、レディ・アナスタシア――」


 執事にならって、使用人達も頭を下げる。

 さすがは皇宮付の使用人達ね……所作の一つ一つが洗練されている。

 私は場の空気に飲まれぬよう、胸を張り使用人達に会釈で応えた。


「僭越ながら、私がご案内させていただきます」

「ええ、ありがとう」


 執事に案内され、私は皇宮の中へ向かう。


 美しい庭だ、エドワードが見れば何ていうかしら……。

 噴水が付いた大きな池もある。


 建物の数が多く、どれも立派なので、どの建物が本殿なのかさえわからなかった。

 古代の神殿を思わせるような建物もあるし、アンダーウッド邸を数倍大きくしたような白亜の豪邸も建っている。


 気になって仕方がないが、あまりキョロキョロしてたら品格を問われてしまうわね……。

 私は真っ直ぐよそ見をせずに、執事に付いて神殿のような建物の中に入った。


「いかがですか、皇宮は?」

「ええ、とても素敵で、目移りしてしまいますね」

「お気に召されたようで安心しました。お時間があればゆっくりとご覧いただきたいのですが、いずれアナスタシア様のお住まいになりますし……お急ぎになることもないかと」

「まあ、冗談がお上手だこと……ほほほ」


 結婚の件はすべて周知されているということか?

 でも流石に早すぎないかな……。


 私はウィリアム皇子と会ったこともなければ、話をしたこともない。

 貴族同士では珍しくもないが、皇子は何を持って私を選んだのだろうか……。


 まだ信じられない。

 私がウイリアム皇子なら、身内にカイルのような爆弾を抱え込むなんて、絶対にしないけど……逆に、それくらいどうとでもなるという自信があるのかも。


「では、こちらでお掛けになってお待ちくださいませ」

「ええ、ありがとう」


 執事は深く頭を下げ、部屋の隅で待機していた侍女に目配せをする。


「失礼いたします」


 侍女が美しい所作でカップに紅茶を注いでくれる。

 ふわっと紅茶の薫りが漂い、少しだけ気持ちが楽になった。


「ありがとう」


 はぁ……一体どうなってしまうのかしら……。

 折角、綺麗な部屋を見ることができても、全然楽しくない。

 あぁ、オルガは大丈夫かな……。


 しばらくすると、執事がまた部屋に入ってきた。


「殿下のご準備が整いました、こちらへどうぞ」

「……そのまま会場入りするのですか?」

「いえ、前室がございます、そちらで殿下と顔合わせとなり、会場入りとなります」

「……わかりました」


 いよいよか……。

 私は大きく息を吸い、執事の後に続いた。



   §



 執事に案内され前室に入る。

 中には、足を組んで椅子に座るウィリアム皇子がいた。


「失礼いたします……」


 これが、黒皇子か……実際に目にするのは初めてだ。

 絹糸のように白く美しい髪、中性的な顔つきだが、私を見る金色の瞳からは感情のようなものは感じられなかった。


 男らしいとか、格好いいとかよりも、美しいと言った方がしっくりとくる。

 皇子に生まれてこのルックスなら、相手なんかよりどりみどりだろうに、なぜ、わざわざ私なんかを選んだのか……やはり、そこには何らかの思惑があるのだろう。


 何せ、前世ではヴィノクールを喰おうとしていた皇子だ。

 間違いなくこの結婚は、その布石だと思うのだが……。

 ともかく、私は丁寧に礼を取った。


「なるほど、たしかに愛らしい顔をしているな」


 ウイリアムは席を立ち、私の髪を手に取った。


「なっ……⁉」


 思わず顔が燃え上がりそうに熱くなった。

 さ、流石にこの距離だと意識していなくても意識してしまう――。


「そう、固くならずともよい、そなたは金儲けが得意だそうだな?」

「い、いえ……そのようなことは」


「隠さずとも良い、ある程度話は聞いているからな」


 もしかして、フォルトゥナ商会のことも……。


「な、何かの間違いではございませんか?」

「ふん、まあいいだろう。さぁ、来たまえ――」


 ウイリアムは強引に私の手を取り、大きな両開きの扉に立つ。

 控えていた従者が、静かに扉を押し開けた。


 その瞬間――わぁっという歓声が響いた。


 煌びやかな巨大なシャンデリア、大勢の上流貴族達。

 楽団も私達の登場に合わせて、美しい音楽を奏で始めた。


「さ、前へ」


 目の前には幅の広い赤絨毯の敷かれた階段が続いている。

 手を引かれながら、私はホールに集まった人の中から必死にオルガの姿を探した。


 どこなのオルガ……お願い!

 私の最後の切り札が……。


 そうしている間に、ウイリアムが階段の踊り場で立ち止まり、階下の貴族達に手を向けた。


「皆、よく集まってくれた、礼を言う――」


 私達に皆の視線が集まる。

 皆、一様に張り付いた笑みを浮かべ、瞳を輝かせていた。


「今宵は皆に紹介したい者がいる、恐らく――ここに集まった者なら知らぬ者はいないであろう、名門ヴィノクール家の令嬢……レディ・アナスタシアだ」


 静かに膝を折り、私は皆に挨拶をした。

 オルガの姿が見つからない……どうしよう。


「もう、おわかりかと思うが……、私はアナスタシアを皇妃として迎えることにした」


 皇子がおどけるように手を胸に当てた。

 一気に会場がざわめく。


 血の気が引き、軽い目眩を覚えた。

 このままじゃ……逃げられない。


「……だが、これはあくまで私の一方的な願い。そこで今宵、私は……正式に婚姻を申し出ることにしようと思う」


 ウイリアムは自信満々の笑みを浮かべ、

「アナスタシア、私の元へ来てくれるね?」と手を差し出した。


 ――心臓が痛い、まるで悪魔に鷲掴みにされているようだ。

 皆の視線が……目の前の手を取れば、もう後には退けない。

 

 やるしかない――、だが、本当に大丈夫なのだろうか?

 こんな大勢の前で皇子に恥をかかせるなんて……。


 でも、私は自分の人生を生きたい――。


「わ、私は――」


 その時、会場の隅でオルガが手を振っているのが見えた。


 ――オルガ!


 隣にはイネッサもいる……。

 ということは、ノーマン卿が首を縦に振ったということだわ!


「申し訳ございません殿下……、そして、お集まりの皆様にもお伝えしたいことがございます」


 私は気持ちを奮い立たせ、しっかりと前を向いて声を張った。


「殿下のお気持ちは、身に余る光栄と存じますが……私はもう、ヴィノクール家の一員ではございません……」

「……なんだと?」


 ウイリアムの金色の瞳が鈍く光ったように見えた。

 恐ろしい……思わず、肌が粟立つ。


「どういう意味かな?」


 口調は優しいが、いつ首を撥ねられてもおかしくないほどの殺気がみなぎっている。


「この度のお話をいただく前に、私はアンダーウッド領内のセルディア荘園開発領主を拝命する『セルディア家』と養子縁組を致しました。よって、私はセルディア・アナスタシアとなり、以後、荘官として皇国の発展に尽力する所存でございます、行き違いとなりご報告が遅れましたことを心よりお詫び申し上げます……また、お集まりの皆様にも、多大なご迷惑をお掛けしたことを重ねてお詫び申し上げます」


 これ以上なく、深く頭を下げた。

 会場が凍り付いたように静まりかえる。


 自分の心臓の音が聞こえる……。

 怖い……このまま斬られてもおかしくない!


「なるほど、たしかに荘官を皇妃に迎えるわけにはいくまい」

「返す言葉もございません……」


 通った……⁉

 ホッと顔を上げようとしたその時――。


「が、しかし! どうであろう諸君! 時代は変わる、いつまでも旧来の古いしきたりを気にするのはいかがなものか! これからは変化の時代だ! 我々がその先駆者となるのも面白いと思わないかね?」


「ウイリアム皇子万歳!」

「新時代に!」

「万歳!」


 そこかしこから、援護射撃のような声援が飛ぶ。

 ウイリアムは「ありがとう」と手を広げ、

「この婚姻は記念すべき第一歩となるだろう!」と高らかに宣言した。


 わぁっと歓声が上がり、拍手が鳴り響いた。


 う、嘘でしょ……?

 そんな無茶苦茶な……もう私を皇妃に迎えるメリットは無いはずなのに……⁉


 ウイリアムが私の耳元で囁く。


「小賢しい真似を……お前はもう私の物だ」


 ハッと顔を上げると、ウィリアムが虫も殺さぬような、穏やかな笑みを浮かべていた……。

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