第16章―天と地を行き来する者―7

 

 部屋を出ると長い廊下を一人で歩いた。誰もいない宮殿は、彼には広すぎた。廊下を歩いていると不意に彼に言われた言葉が甦った。


――待っても彼は来ませんよ――


 ラジエルの何気ないその言葉に、ハラリエルは胸の奥が苦しくなった。本当に彼は来ないのか――? あれから彼は姿を見せてなかった。もしかしたら、飽きられたのかも……。少年の心の中は不安感ばかりが募った。立ち止まって小さなため息をつくと、廊下の隅っこにしゃがみこんで庭の景色を一人で眺めた。そよ風はフワリと彼の髪を靡かせた。草原に吹く風は草の音を奏でた。静寂の中で、草花は風に揺れていた。彼はその様子をジッと眺めながら観察した。


「っ…ひっく…ひっく…ラグエル……。ラグエルどこに行っちゃったの……? もう来ないのかな? ボクはきみに会いたいよ……。やっぱり彼に頼んだのが、いけなかったのかなぁ。ラグエル…――」


 ハラリエルは寂しそうにポツリと呟いた。急に胸の中が切なくなると、瞳から涙がポロポロと溢れた。


「一人は嫌だよ……。寂しいよ。誰でもいいからボクと話をして。ボクを見て。ボクのこと一人にしないで。うっ…うっ…ひっく…一人は嫌だよぉ」


 寂しい気持ちが抑えられなくなると、膝を抱えて小さく泣いた。



 一人にはしないよ――。



 風が吹く中、突然と彼の声が聞こえた。


「え……?」


 その声にハラリエルはハッとなって顔を上げた。すると目の前には彼が立っていた。そして、少しあきれたように微笑んだ。ハラリエルはラグエルの姿を目にすると、そこから立ち上がって彼の方へと走り出した。そして、そのまま両手を伸ばして彼に抱きついた。


「やあ、お待たせ。元気だったかい?」


「ラ、ラグエル…――!!」


 ハラリエルは彼に抱きつくと、瞳から涙をポロポロと流した。


「なに、どうしたの? もしかして嬉し泣き? ボクに会えて、そんなに嬉しいんだ? キミってますます、ほっとけないね」


 ラグエルはクスッと笑うと悪戯にそのことを言った。


「ひっく…ぐすっ…も、もう来ないかと思った……」


「そんなことないよ。ボクはいつでもキミに会いに来るよ?」


「ほ、ほんとうに…――?」


「ああ、もちろんさ」


 ラグエルは彼を両手で抱き上げると瞳をジッと見て、そう答えた。


「それに寂しがり屋のキミは、ボクが会いに来ないと死んじゃうだろ? キミはボクの可愛い小鳥だよ」


「ラ、ラグエル…――」


 ハラリエルは彼の何気ない言葉に頬が赤くなった。


「ねえ、下界に降りてどうだった?」


「相変わらずだったよ。天界と違って空気がよごれてた。それに人間達は、相変わらず進歩してなかったね。だからボクは下界に降りるのが好きじゃないんだ」


「ラグエルごめんね。ボクがキミに頼んだばかりに迷惑を……」


「大したことじゃないさ――。ボクはキミの頼みなら何でも聞いてあげる。他の奴らと違ってボクは心が狭くないからねぇ」


「その、ありがとうラグエル……!」


 ハラリエルはニコッと笑うと、彼の首に両手を回して抱きついた。ラグエルは彼のその無邪気なところが、可愛くて愛しく感じた。


「ふふふっ。まいったね、ますますキミに深みにハマりそうだよ。ボクの可愛い罪人ツミビトさん――」


 そう話した彼の表情は、どこか照れていた。2人はそこで暖かい抱擁を交わしたのだった。


――ラジエルは椅子の上で目を覚ますと、テーブルに置いた眼鏡を手に取った。彼はそこで小さなため息をついた。椅子から立ち上がると、彼は自分の部屋から出てハラリエルを探しに行った。宮殿の長い廊下を歩いていると近くの庭で話し声が聞こえた。目を向けると彼はそこで見てしまった。彼らが抱擁をする姿を。その瞬間、彼の中で何かが音をたてて崩れ落ちた。そして、ある感情が途端に芽生えた。親しげにしている2人を見て、ラジエルはラグエルに嫉妬を燃やした。ハラリエルは彼の腕の中で無邪気に笑っていた。その無邪気な笑顔が余計に彼の心をかき乱して苦しめた。


―――汚れた―――


 ラジエルの目には、ハラリエルが穢れた姿が映った。


 アイツといるせいでハラリエル様は汚れていく。"アイツといるせいで"彼は怒りに震えると唇を噛んだ。その表情は憎しみに支配されていた。拳を振り上げると柱を叩いた。彼は嫉妬に燃えた感情を物に八つ当たる事で気持ちを制御したのだった。


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