第15章―地に降り立つは黒い羽―6

 

 右手は優しく彼の頬を撫でた。ジッと見つめるその眼差しは、どこか暗い闇の底へと体が吸い込まれてしまうような、怪しい輝きを放っていた。彼の瞳を見つめると、ハラリエルは急に怖くなった。


「なんだろう……。ラグエルの目、怖い」


「そうかい――?」


 瞳を反らすとラグエルは人差し指で、彼の唇をなぞった。


「あっ……」


「可愛いねキミは――。その無垢で純粋な瞳には何が見える? キミにはボクは、どんな風に映ってる?」


「ラ、ラグエル……。どうしたの…――?」


「ハラリエル。ボクの目には何が見える?」


「わからないよ…――」


「ダメだよ、ちゃんとボクを見てごらん」


「っ…――!」


 反らした目を彼に向けると、ハラリエルはそこで怯えた。


「まっ、真っ暗で……そして…――」


「何?」


「やっ、闇が見える……! どこまでも暗い闇が…――!」


 そう言って答えるとハラリエルは怯えた表情で彼を見た。ラグエルはその言葉に鼻でフと笑った。


「そう。キミには見えてるんだ」


「ラグエル……?」


「ふふふっ。キミってホントに可愛いね――」


 彼はそう言ってハラリエルの髪に触れた。


「綺麗な黄金色の髪はキミを美しく輝かせる。そして瞳は海のように綺麗で青々としている。その瞳にボクは吸い込まれる。そして、白い素肌はシルクのように滑らかで心地良い。それがキミだ――」


「ラ、ラグエル……。どうし…あっ…――!」


 ラグエルはハラリエルの手を取ると、細い腕に唇を寄せた。その妖艶な眼差しに急に頬が赤くなった。


「可愛いハラリエル。その声は小鳥のように可愛いらしい鳴き声だ。キミはボクの可愛い小鳥だよ――」


「ボ、ボクが……?」


「そうさ。この林檎のようにキミは甘い」


「あっ…――!」


 ラグエルは彼の細い腕をとると、ペロッと一舐めして甘噛みした。怪しく迫られると体の奥が急に熱くなった。


「やっ、やだ……! なんか体が体が熱い。それに胸が苦しい。ボクの腕、かじったら駄目だよぉ! かじっても美味しくなんか…――!」


「ふふふ。じゃあ、キミの唇はどうかな?」


「えっ……?」


「もしかしたらキミの唇はこの林檎よりも甘いかもよ――」


「ラ、ラグエル…――?」


「知ってたかい? 林檎は禁断の蜜の様に甘いってことを――。その甘い香りに人は誘われて禁を冒すんだ。これはその始まりだよ」


 彼はそう言うと彼の唇に自分の唇を寄せた。顔が近づいてくると、ハラリエルは目をぎゅっと閉じた。


「プッ、アハハハッ!」


 その瞬間、ラグエルは突然笑いだした――。彼が急に笑いだすとハラリエルは目を開けてキョトンとした。


「ふふふっ。キミってホントに面白いねぇ。ちょっとからかってみただけなのに反応が良すぎるよ」


「えっ……?」


「まさか本気にした?」


 ラグエルは可笑しそうに笑うとニヤッと笑った。


「やめとくよ。キミにキスしたら、ボクがあいつに殺されそうだから」


「えっ? キス……?」


「何? もしかしてわからなかった?」


 不意に尋ねるとハラリエルは首を頷かせた。


「う、うん……! ラグエルそれってどう言う意味?」


「えっ、キミそんなことも知らないの……?」


 ラグエルは彼の意外な反応に驚いた。


「参ったね…――。キミってホントに純粋なんだ」


「ラグエル。今ボクに何しようとしたの?」


「さあ、何かなぁ……」


「えっ?」


「汚れなき天使様に、そんな事は言えないよ」


「な、何……? 教えてよラグエル、ちゃんとボクに教えて――?」


「ふふふっ。まいったねぇ…――」


 ラグエルは純粋に聞いてくるハラリエルに、呆れた顔で笑った。


「そうだね、それは今度にしとくよ――」


「今度? それっていつなの?」


「キミ、それは計算のうちかい?」


「え……?」


「まぁ、いいや。さあ、わからない。いつだろね?」


 ラグエルはそう答えると空を見上げた。


「ねぇ、それよりさっきの話の意味……!」


「ああ、あれのこと?」


「寝てる時にボクに何してるの?」


「知りたいの?」


「う、うん……!」


「じゃあ、言ったら怒らない?」


「えっ……?」


「じゃあ、言わない。それに秘密のほうが面白くないか?」


「ラ、ラグエル……! それじゃあ、余計に気になっちゃうよ! 怒らないから話て…――?」


 ハラリエルは気になると彼に頼み込んだ。するとラグエルは、人差し指を彼に向けた。そして、彼の顔に何かをちょんちょんと描いた。


「な、何……?」


「ボクはねぇ――。キミが寝てる時に、キミの顔にイタズラガキをしてるんだ。こうやって、こうな風にね?」


「えぇっ!?」


 ハラリエルは真実を聞かされると驚いた声をあげた。


「この前は猫だった。そしてその前はタヌキ……」


「ラグエルひどいよ! ボクが寝てる時に顔にイタズラガキするなんてあんまりだよ!」


「なに、怒ってるの? たったいま、怒らないって言ったじゃん。キミは嘘つきだなぁ」


 膨れっ面で怒る彼とは打ってかわって、ラグエルは余裕の笑みで笑った。


「どっ、どうしてそんなことするの……!?」


「キミが起きるかなっておもってさ。キミってなかなか起きないんだもん。ボク退屈で参っちゃうよ。でも、退屈しのぎにはなるかなぁ? こないだのはとくに傑作だったよ。額に目玉を描いたらラジエルがそれを見てボクのこと本気で追っかけて来るんだもん。さすがにボクも焦ったかなぁ、ふふふっ!」


 ラグエルはそう話すと思い出し笑いをした。ハラリエルはムッとなると、怒りながら言い返した。


「もー! だからってボクの顔に落書きしないで……!」


「ムキになっちゃって可愛いね、怒った顔も素敵だよ」


 怒る彼を前にラグエルは悪戯な顔で笑ったのだった。林檎の木の下で、2人は無邪気に笑いあう。青い空は何処までも果てしなく、悪戯な笑い声は空虚の彼方へと響く。その幼さは危うく、そして何処までも純粋に――。


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