10,不可解な才能

 その晩には、バン爺の家には三人では食べきれないほどの食糧が運びこまれていた。

 食料を持ってきた村の住人の中には、感謝のあまりシアンにずっといてほしいと頼んだり、シアンに手を合わせ拝む者さえいた。


「いやいや、ほどこされ過ぎるというのも困ったもんじゃ。食べきれんで腐らせてしまうかもしれんぞ」


 家の外にまであふれた食料にかこまれ、三人は夕食をはじめる。


「そうだねぇ……。」


 シアンはもくもくと食料を食べていた。特にシアンが気に入っているのは、ベーコンとソーセージのようだった。


「シアンくん、ソーセージ好きなんだ?」


 シアンは口いっぱいにほおばりながら言う。

「……家では食べさせてもらえなかったから」


 マゼンタとバン爺はさりげなく目を合わせた。


「……のう、お前さん本当に大丈夫かね? 少しでも具合が悪いところがあったら、すぐに言うんじゃぞ?」


「平気だよ」


 シアンはほほ笑んだ。しかしそれは、大人が見れば作り笑いと分かるものだった。


「心配性なんだよ、バン爺はどうみえてもおじいちゃんだから」


「こうみえても、と言ってほしい所じゃが……。」


「ねぇシアンくん、あなたお医者さんになりなよ。シアンなら絶対に良い医者になれるし、それが世のため人のためってもんだよ」


「うむ、たしかにお前さんの腕なら申し分ないどころか、名医になれると言ってもええじゃろう」


「ほら、バン爺も太鼓判を押してるよ」


「うん、ぼく、お医者さんになりたかったんだ……。」


「なんだよ、それならもうこのまま医者になっちゃえばいいじゃん」


 シアンの顔に影が差す。

「でも……。」


「……どうしたのさ?」


「お父さんが……医者なんてダメだって……。」


「そぉんな、こんなに才能があるのにっ」


「父さんは、ぼくじゃあ医者は務まらないって言ってたよ。それに、父さんは、ぼくに1級魔術師になってお城に行きなさいって……。」


「じゃあ、あたしらがシアンくんのお父さんにガツンと言ってやるわよっ。子供の才能をつぶすんじゃないよってっ」


「だ、ダメだよっ」

 シアンが身を乗り出した。


「シアンくん……。」


お母さんもそう言ってくれたんだけど……。でも、そうしたらお父さんにひどいことされて……。それに……。」


 “前の”お母さんというシアンの言い回しに、マゼンタとバン爺は複雑な事情をさっした。


「犬とかウサギが家にはいたんだけど、ぼくが医者になりたいなんて言うのは、動物なんかが近くにいるからだってお父さんが……。」

 シアンは言葉をつまらせた。


「飼ってた動物捨てちゃったんだ……。」

 マゼンタは言った。


「……う、うん」


 シアンは泣きそうな顔でうなずいた。バン爺は、シアンが正直に話していないことを少年の様子から察した。


「まぁ、まずは等級魔術師になってから、その後に医者になるというのも、不可能ではないんじゃが……。」


「それだと、むずかしいの?」


「ほかの等級ならともかく、1級を目指すにはただ強力な術式が使えるだけじゃいかんのじゃよ。2級に上がるのでさえ、力だけではなく術式の研究、育てた弟子の数で判断される。さらに1級となると、アカデミーの推薦すいせんと審査が入りよる。人生を1級になるために捧げた者だけが到達できると言ってもよい」


「そんなに大変なんだ……。」


「実力もさることながら、運も大きいものじゃっての……。」


「シアンくんでも必ずなれるとは限らないんだね……。」


「100年に一人というくらいの、突出した才能があれば、あるいは……。」

 バン爺はシアンを見る。

「まぁ、お前さんの人生を親父さんが四六時中監視かんししとるというわけでもあるまい。お前さんの人生じゃ。仮に等級魔術師になったとしても、折を見てお前さんの行きたい道に進めばよいんじゃないか?」


「……できるかな」


 バン爺が顔をシアンに近づけニヤリと笑ってささやく。

「それにのう、どうせ親父さんの方が先にくたばるんじゃ。親父さんが死んだ後の人生がお前さんにはあるんじゃぞ?」


「……うん」


「大賢者も言ってるしね、“親よりも子の人生長し”って」


「だいたいがそうじゃわい……。」


 しかし、マゼンタとバン爺にいくら背中を押されても、シアンの表情は晴れなかった。



 シアンが就寝した後、バン爺は居間で酒を飲んでいた。


「……まだ起きてんの?」


 マゼンタが下着姿で現れた。手足はすらりと長く引きしまり、一見すると少年のようだったが、胸は十分に発達している体だった。


「……年頃の娘が何ちゅう格好を」


「別に、子供と老人しかいないのに、気にする必要ないじゃない?」


「……まったく」


 マゼンタはおけの水を杓子しゃくしですくって、ぐいと飲んだ。水が口からもれて、マゼンタの胸元をらす。


「……眠れんのか?」


「……うん」


 マゼンタは口を腕でぬぐって奥の部屋を見た。

「シアンくんが可愛すぎて、危うく襲いそうになっちゃう。寝顔もやっぱりマジ天使」


「あそ」


「バン爺も眠れないの?」


「……まあのう」


「……ちょいちょい気になるんだけどさ」


「何じゃ?」


「バン爺、何かシアンくんについて知ってることがあるんじゃない? バン爺を見てると、何か言いたげっていうか、妙に何かを気にしてるように見えるんだけど?」


「どうしてそう思う?」


「女の勘よ」


「これは、驚いた」


「なにさ?」


「思いのほか察しが良いんじゃな。行き当たりばったりで生きとるだけかと思ったが」


「へへ、まぁね。……それって、ほめ言葉だよね?」


「お前さんがそう思うのなら、そうなんじゃろうな。……さっき、あの子が動物の話をしとったろう。家で飼っておった犬やウサギの」


「言ってたね」


「ありゃ、多分、捨てたんじゃないじゃろう」


「……じゃあ何さ」


「処分したんじゃよ……。」


「……どうして、そう思うの?」


「じじいの勘じゃ」


「察しが良いのね。歳くってもうろくしてると思ってたけど」


「やりかえさんでもええじゃろ」


「……他には?」


「何じゃ?」


「他にもあるんでしょ? あの子の事で気がかりなことが」


 バン爺は酒を一口飲んだ。


「……まぁな。あの子の術式が突出しとるということじゃが」


「すごい才能の何がいけないのさ?」


「……ちょいと表に出ようか」


 バン爺とマゼンタは表に出た。秋の虫の音が草の陰から聞こえる穏やかな夜だった。万月の近い月明りが道を照らす。


 そのまま2分ほど無言で歩き続けるバン爺にマゼンタは訊ねる。

「……ちょっと、どこまで行くつもり?」


 バン爺は自宅をふり返る。

「これくらい距離があればええじゃろ」


「え?」


 バン爺は持ってきていた、小さなツボを地面に置いた。そして「離れろ」と言って、マゼンタと一緒にそのツボから距離をとった。


「……何をするつもり?」


「お前さん、初めてあの子と出会った森で、木々が破壊されとったのを覚えとるかね?」


「ああ、そういえば、そういうこともあったね……。」


「ふむ……。」

 バン爺は右手をツボに向けた。


「……ん?」


 瞳を閉じ、二回深呼吸をすると、バン爺の右手が青白く発光しはじめた。


「ちょ、ちょっと何なのさ……。」


 バン爺が目を開く。すると右手から光が放たれ、地面に置かれたツボに命中した。ツボは破片をまき散らして砕け散った。


「……すげ」


 軽く息を切らしながらバン爺は言う。

「……魔術師の力量をはかるなら、このやり方が一番でのう。ただ単に、魔力を放出するというものじゃ。原始的じゃが今でも等級試験ではこれをやっとる。ふぅ、やれやれ……今のワシならこれでも結構しんどいわい」


「これでもかなりすごいと思うけどね……。」


「“これでも”じゃと? 思い出してみい、あの森の破壊の跡を」


「……あ。……ちょっと待って、うそ、まさか」


「そうじゃ、あの子もあの森で、今ワシがやったのと同じことをやったんじゃ。じゃが、あの子のはツボを破壊するなんて生易なまやさしいものじゃなかったろう」


 マゼンタは、えぐれた木々の幹や、大きく空いた地面の穴を思い出した。


「で、この魔力の量に加えて、自分自身と相性の良い術式を組み合わせて、魔術師は術を使うんじゃ。昼間に見たとおり、ワシはこれに木や土の精霊、土地神と対話をして術を使う。じゃがあの子はテイマーに加え、ヒーリングまで使いよった。物を治すという術式は力量もさることながら、かなり複雑な術式だというのに。そもそも、術式を二つ使えるということ自体、並みの魔術師にできることじゃないんじゃ。体が悲鳴を上げよる。あの歳であそこまでの術が使えるのは尋常じんじょうじゃあない、異常じゃ。才能はもちろんじゃが、いったいどんな厳しい訓練を受けたことか……。」


 マゼンタは口に手を当てて考え込んでいた。


「……どうしたんじゃ?」


「……バン爺、あのさ」


 マゼンタは水浴び中に見たシアンの背中の傷の事を話した。バン爺は静かな面持おももちでそれを聞いていた。


 静かにバン爺が口を開く。

「ふぅむ。なるほど、あの歳でとんでもない修行をつんどるようじゃの……。いや、そりゃもう修行っちゅうより虐待に近い。あの魔術はそれで……。ならば、このまま帰したらあの子がどんな目に合うか……。」


「何とかしなきゃ」


「何とかって、どうしようっちゅうんじゃ」


「助けるんだよ、あの子を」


「今朝にも言ったじゃろう、赤の他人にできること何ぞたかが知れとると」


「たかが知れてるかもしれないけど、それでもできることがあればやらないと」


「……アイリス伯を敵に回すかもしれんのだぞ」


「そうなったらそうなったそうなった時、まずはあの子だよ。あんな子供がひどい扱いを受けて良い理由なんて、あるはずがないんだから」


「助けたとして、その後はどうするんじゃ? きっとあの子の抱えとる問題は、ちょっとした手助け程度で解決するもんじゃあないぞ。お前さんは、あの子の人生に責任を持てるのかね?」


「もちろん持てないよ」


「なんじゃと?」


「分かんないなぁ……なんでこう、人を助けようってときに、責任とか義務とか言い出すわけ? あたしがそうしたいからそうするんだよ。無責任でもいいじゃない。別に恩を売るわけでもないんだ。誰かを助ける時なんて、もっと簡単に考えればいいじゃん。そうすれば皆もっと簡単に誰かを助けられるんだから」


「……向こう見ずじゃな」


「大賢者も言ってるよ、“向こうが見えたとしても、そこに行くまで事実は分からない”って」


「……今思いついたじゃろ?」


「ばれた?」


「……ま、それもええじゃろ。いきおいで突っ走るのも若さの特権じゃからのう。しかしまぁ、昨日今日出会ったばっかりの子供にえらい入れ込みようじゃな。例の母性とやらか?」


 マゼンタは恥ずかしそうに両手で胸をおさえた。

「……あたし、もうお乳が張り始めてるの」


「……食い過ぎじゃ」

 バン爺は遠くを見ながら言う。

「……まぁ、まったく当てがないというわけじゃない」


「え? ほんとにっ?」

 マゼンタが目を輝かせる。


「……じゃが」


 あのシアンの異常な魔術の力、それに言い知れぬ不安をバン爺は抱いていた。突出した才能、激しい訓練、彼の経験上それだけでは説明がつかないものだったからだ。

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