第47話 二つの苑の誕生秘話

「……言いたいことも言うべきことも多々あるが。私は、この子があなたに逢いたそうだったので、連れてきただけなのでね」

 若者だらけの地下店舗の喧噪に似合わない、スーツ姿の紳士。その斜め後ろから、車椅子の少女がひょっこり顔を覗かせた。いつもどおりの白い少女服。羽根は飾り程度の小さなもの。

 大きな瞳。でも、もう怖くない。

「塔の姫様……」「わーい、せれーんちゃんだ、やっほー!」

 セレインはクララに笑い返した。続いて小さな手を伸ばし、テーブルの上に這わせると、綾の手に触れ、きゅっと握った。

「謝りたいようです。何度も驚かせて、済まなかったと」

「学院長様、このお嬢様は……」

 綾は立ち上がって彼に椅子を勧めながら、おそるおそる尋いた。

 初老の紳士は、すぐ去るからと軽く手を振って椅子を断り、

「あなたには語らなければなりますまい……。娘は、ひどくゆっくり年をとっていく病らしいのです。心のほうは、それ以前から……、両親が急死したときから、縮こまってしまっていました。感情がどこか鈍く、口も利けない。反面、時折り非常に敏感で繊細な特別のやり方で、人と交流します。イルカ達の精神感応テレパシーに似ているといえばいいのか……波長の合う相手とは、特に……」

 波長が、合う。誰にでもたまにそういう人間がいるものだ。この少女にとっては、それが、たまたま――

「ああ、それで」

 そう言うのがやっとの綾の手を、セレインがもう一度、つまむように握った。

 愛らしかった。

 綾は少女に笑いかけ、それから心配になって、

「両親が急死なさったとは、それでは、十四年前に?」

 見上げて首を傾げる綾に、学院長は、静かにうなずいて見せた。

「十四年前、苑を二つにしたのは、実際、生徒も急増していましたが、そう、この子のためもありました。ひきとって養女にしたのは二人姉妹でしたので、普通に成長していけそうな姉のことと、心が足踏みしている様子のこの子のことと、双方のことを考えて」

 綾はセレインを見下ろし、その頭のボンネットに目をとめて、ふと思った。

 ことさら少女めいたドレスを纏いたがるのも、羽根で仮装したがるのも、彼女が自然にしはじめたことなのだろう。

 自分は人と違うから、例えば鳥かもしれないと、ある日、想ったのかも知れない。

 現実離れして子供で居続けたいという無意識が、そうさせるのか。ずっと子供でいるので、架空ぶることなしには、耐えられないのか。

 それでも一歩、彼女は今回、踏み出したように見える。

 綾の手の甲を最後に親しげになでて、セレインが不意にくるりと車椅子を回した。

――カラカラカラ……。

「では、私もこれで」

と、源学院長も話が済んだ様子で手をあげた。綾達は、慌てて会釈をして見送る。

「……。はー……」

 人混みの中、紳士と少女の姿がエレベーターホールに消えていってから、どっと、上半身全部で丸いテーブルによりかかる綾。

 リリーもマーガレットも沙記も、ぼうっとなっていた。

 綾は額を軽く押さえ、宙を見つめたまま、つぶやいた。

「ああ、私、明日から美耶を探さなきゃ……」

「はぁ? なんやねん、出し抜けに」

 頓狂な声を出すリリー。綾は、言いつのった。

「だって、美耶が全部いけないのよ? 探して問いつめて、あのときどうしてお別れしなきゃならなかったのか、絶対、聞きださなきゃ。納得いかないわっ。許せないっ!!」

「アヤ、それって、やっと思い出した昔のお友達に、逢いたい逢いたいって顔にしか、見えませんけれど?」

 マーガレットが苦笑していた。

「……違うわよ、マーガレット……」

 綾は、よいしょと体を起こすと、手の中のグラスを抱え直し、白状した。

「私、今度のことで悟りましたの。私ったらまだオコサマで、成長途上――というか、エマ姉様とも美耶とも、きっちりカタをつけないことには、本当の恋など、いつまでたってもできないんですわ。それで、響也様にも、ご迷惑をおかけしてしまった」

 グラスの中の氷を見つめてはぁっと吐息をつく綾に、マーガレットは励ますように言った。

「あら、でも、響也様は分かって下さったんでしょう? ――というか、噂を広めたのはアヤじゃないって分かってるって、わたくしにはおっしゃってましたわ?」

「話したのんか? 茶席のあとで? いつの間に?」

 首を捻るリリーと一緒に、綾も不思議に思ってマーガレットを見た。

「ま、まさか……」

「狭間副隊長の彼女はんて、あんた?!」

 マーガレットは一瞬きょとんとして、それからにっこり笑い、

「ええ。――ちゃんと聞かれたの、初めてですわね?」

「あんたなぁぁぁぁぁ!!」

「どどどどど、どうして……マーガレット……」

「あら、だって、響也さんとのお付き合いはお付き合いですもの。わたくし、まだ、リリーやアヤとのお付き合いの方が大切ですし……」

「って、さりげなく『まだ』ってゆうとるで、このムスメ」

 あら?と、マーガレットはトボけて、もう一度笑った。

 綾はドッと、再びテーブルに伏せってしまっていた。

「はぁぁあああああー、なるほどね~~っ」

 恥ずかしがる気も、責める気も、嫉妬する気すら起きない。狭間響也に似合いの恋人といったら、この親友をおいて他にいるまい。似合っているというか、もしかしたら、響也より一枚上手くらいかも知れない。

「それはともかく、話を戻して、アヤ? あなたでもわたくしでも響也さんでもないとすると、噂を広めた犯人は、一体どなたでしょう?」

 クイズを出すように、マーガレットはその場の全員の顔を見渡した。

「え? ……それは……誰か立ち聞きしていた学院生が、いたのだと……」

 マーガレットは、含みのある笑顔を見せて、喉を湿すようにグラスに唇をつけた。

「一人に絞り込めますわ。わたくしが響也さんから東苑音楽堂での一件を聞きだしてしまったのは、一ヶ月前。でも、噂が広まりだしたのは、二週間前」

「それが?」

「変だと思いません? すぐ翌日から噂が広まってもよさそうなものなのに。それで、そのブランクの間、犯人は黙っていたんじゃなくて、学院に来られなかったのだと考えましたの。さて、ちょうどあの日に一時帰国して学院に面接試験を受けに来ていて、二週間前から登校できるようになった人物って、何人もいると思います?」

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