第十章 去来の履歴

第42話 走れアヤ

「どの料理ですの! アヤ、どれが女史の好物なの?!」

 マーガレットが、小脇に抱えていたファイルをバッと開いた。おとといエスコート服の少年達から聞きだし、整理して推量したエマ側のコースメニュー。

 ――トスド・サラダ……ショーフロア……プロヴァンス風……ノワゼットのチアン・タイム風味……プティフールのキャラメリゼ――。

 木訥ぼくとつな料理名の割に、豪華な食材名が満載になっている、くせ者のリストだ。

 ざっと見回し、アヤは指である一カ所をさした。

「たぶんこれ! メインディッシュの肉料理にたっぷりふりかかってたっていう……」

「付け合わせ? ポール・マクマーティー様が、変な味だって言ってた?」

「そう。彼も、他の誰も、たぶんたまたま名前を知らなかったし食べたこともなかったから説明できなかったんだわ!!」

「なんやねん、アヤ、その野菜は!!」

 リリーが叫んだ。綾は胸を押さえた。息を整える。

「明琳女史がお好きなこれはね、野草なの。アイヌねぎとか行者大蒜ぎょうじゃにんにくって言われてて、取れるところではありきたりな山の幸。だけど栽培困難で、涼しい高地にしか自生しない、貴重品なの」

「ああ……そんな面倒なものですの?」

 マーガレットが額に手をやった。顔を歪める。

「もっと前から分かっていれば、用意できましたものを……」

「そう。真夏だし、残念ながら、今からじゃ無理だわ」

 綾も眉根を寄せた。

 明琳女史も相当の数奇者すきものだったから、茶懐石にしたのはかなり的を射ていたことになる。が、片方で例の大好物の食材が出て、片方でそれが出なかったら、評価に微妙に影響しても仕方がない。

 綾は天を仰いだ。ちぎれ雲の浮いた夏空の下、そのとき、その瞳に、陽光にそびえる優美なエンプレス・タワーが目に入った。

綾は凝然とし、

「いいえ…… 間に合わなくも、ない……」

 低い声で、うめくように言った。

「エマ姉様がどこから手に入れたか、今、分かりましたわ……」



 標高七〇〇メートル超。ぎりぎり、生える限界点。清らかな湧水だってある。

 袖を翻して外へ走り出した綾を追って、マーガレットの声が飛んだ。

「今から行って、摘んで戻ってこられますの?!」

「賭よ!! 冒険だけど、しないよりマシだわ!! ――沙記!! どこ?!!」

 バイクを止めて、クーラーの利いた待合の奥にひっこんでいた沙記が、へ?といった顔で出てきた。

「スプリング・ヒルへ!! 乗せていって頂戴!!」

「ええ?! その着物姿で乗るんスか?!」

 マーガレットとリリーが、バタバタと追いついてとりすがった。

「お客様が今、東苑からいっせいにこちらへ向かっているところよ。車に逆行することになるわ!」

「取ってこられたとしても、誰がどう割烹かっぽうしますんや!! それにアヤ、あんたはメイン審査員全部を客にした席の亭主や、遅刻して待たせたら、大失点になりますえ!!」

 綾ははたと棒立ちになった。爪を噛み、忙しく考えを巡らす。

「……いいえ。私を信じて!!」

 沙記、マーガレット、リリーにクララ、水屋役の少女達を見渡す。

「全ての問題は、クリアできるわ!! ――エマ姉様に、勝つのよ!!」



「茶会席とは、また難しいしつらいを選んだな、あのお嬢さんは」

 通された寄付。響也は一度脱いだエスコート服のジャケットの埃を払って着直しながら、つぶやいていた。

「いやあ、響也、エマ様のパーティー、盛況だったねぇ?」

 小柄な美少年は、上機嫌でお腹をさすっていた。

「いや、本当に素晴らしい料理だった。やっとこなれてきましたが……」

「どれもこれもおいしかったですわ~」

 静かなトーンで喋りあいながら、六人の大人達もぞろぞろと入ってきた。

 式部綾が亭主を務める茶席に招かれたのは、メイン審査員全員とコート服の正・副隊長。

 大人達の中で、若くスレンダーな黒髪の女性が、

「ステキだわっ、ステキだわっ、うふうふうふ、畳、畳、和室~~~~」

と、手を組み合わせてしきりに感激していた。

 二十代半ばの東洋人。掛物や煙草盆たばこぼん、壁や柱を、堪らない様子でひょいひょいと見て回る。頭の左右に団子に結った髪、ちょっとやぶにらみだが魅惑的な目のこの女性が、明琳メイリン である。広東カントン訛りもない流暢な日本語発音で、楽しげに、

「じゃあ皆さん、順番を決めましょっか?! 次客じきゃく三客さんきゃく以下は後にして、やっぱ正客せいきゃくとおつめから決めないとねっ。どなたが、なっていただけます?!」

 雅がよそ行きの顔で、

「いやいや、ここはひとつ日本人以上に日本の伝統を修養しゅうようしていらっしゃる明琳女史に、正客はお願いしたいところですね。そうするとお詰は……」

 すると、スーツ姿の大柄な赤毛のフランス人が、

「ワタシタチは詳しくありませんので、よろしければ、大事な役はそちらの日本料理研究家のご婦人に」

 眼鏡で訪問着を着こなした老婦人に視線を振る。が、彼女は眼鏡に手をかけ、しかつめらしい顔で言った。

「いいえ……。せっかく、名流の誉れ高い伊能家と狭間家のご子息様が揃って同席していらっしゃるのですもの、是非お手並みを拝見させて頂きたいですわ」

「あ、あたしも!!」

 明琳女史が叫び、四〇代の奥様タレントも、上品に笑って言った。

「どちらが正客でもお詰でも遜色ないと思いますし……」

 内心、このオバハンどもめ、実は自信がないな、と響也も雅も思ったが、他の外国人男性三人もしきりと賛同している。時間を取るわけにもいかず、結局二人はうなずきあった。

「で、どちらがいいですか、隊長?」

「えー? そりゃ勿論、キミが綾姫の正客にふさわしいだろ、響也?」

「……きたよ……」

 やっぱり、という顔を響也はした。

 が、それでも大人達のほうへ振り向くときは、名流の子息にふさわしく、端正な笑顔を浮かべていた。

「それでは私が一応正客を務めさせて頂きますが、なにも分かりませんから皆さまよろしくお教え下さい」



 他の少女では採ってこられない、知らない山菜。綾本人が来るしかなかった。

 広大な敷地を飛ばしに飛ばして、四十五分でやっとスプリング・ヒル頂上の庭園までつけた、沙記のバイク。

 制服のスカートを翻して飛び降りると、石畳の上、池と池の間を息を切らして駆けた。生け垣の奥へ、湿った土の林内へ、泥も構うことはない。

 そう、昨日もコイン・トスの前、見てはいた。

 重要になるとは思っていなかった。

 深緑色の楕円形の葉。

 群生していた。

 白い花はまだついていない。

 食用に足る。

 だがそこに、豪奢な金髪の長身の影が立ちふさがった。

「エマ……姉様…………!!」

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