第26話 塔の姫のご機嫌はうつろう
集まっている生徒達。
ジュリアは、内気そうな上目遣いの緑色の瞳で、
「友達に見つかりそうになって、慌てちゃったんですけど……たぶんバレなかったと思います。あの……賛成派は、フレンチみたいですよ? 入り口ですれ違った方、たぶんコルドンのシェフの……」
「見覚えがありましたの?」
「ええ、去年、わたしのバースデイに家族で行ったときに、料理が素晴らしかったので、パパがテーブルまでお呼びして…… そのときの方でした」
「ル・コルドンから人を呼ぶようじゃ、相当本気でフレンチね。くっ……お姉様は、自信アリと見たわ」
「どうしますか、綾様?」
結局、昨夜、コーディネーターの男性には、接触できなかった。
「お姉様側がそうくるなら、こう行くしかありませんわ。相当本気で、和のメニュー!!」
盛り上がる綾に、マーガレットが、
「あら、中華は論外ですの?」
綾は振り向くと、人差し指をピンと立てた。
「料理を対等に持っていっても、中華はね、お給仕の効果が限られてしまうと思うの」
「……はあ、なるほど……ですわね」
「院内の日本庭園を視察に行きます!! あと、よろしく!!」
バイクに乗せてもらうつもりで、沙記を従えると、綾は颯爽と身を翻した。
東苑、ゲストハウス。
長く、何列もテーブルを並べたメインダイニングルーム。
賛成派の大勢の少女達とソフィーが、ショールームから届いたテーブルクロスやナプキンのサンプルを、うっとりとして見つめていた。
カトラリー、グラス、ディッシュにボウルまで。最上のフレンチの饗応のために、全て新調するのである。
学院の備品のリネン類は、無地のピンク、水色、白、生成、エメラルド・グリーンのバリエーションがあり、買い換えたばかりで状態もよかったが、少女達は納得しなかった。
前夜の会議後、エマが自邸の料理人に試作させたコースの写真とつきあわせ、配色を考える。無地だが織り模様があり、裾に金糸の刺繍の入ったクロスを選び出すまでには、二時間もかかった。が、それを選んでしまった後は、食器類も燭台もフラワーアレンジの構想も、連鎖反応のようにパタパタッと決まっていく。
エマは、その大きな部屋の反対側の半分で、給仕係の少女達のレッスンに目を光らせていた。
ソフィーは、書類を抱えると、リネンやカトラリーのサンプルの後かたづけを部下達に頼み、厨房の視察をしに行った。
賛成派側は、メニュー食材も昨日のうちにほとんど決定されていて、あとは、実習しながら、実際的な検討を加えていく予定。
「とにかく作り慣れることです。あせらなくてもよいのですよ? 今日教えたものが、当日作るものと思っていいのですから、当日までに練習をできるだけして、それだけうまくなって下さい」
少女達は、熱心に立ち働いている。
ソフィーは安心して、厨房を後にした。
昼前、ゲストハウスの渡り廊下を、エマとソフィーが歩いているときだった。
「暑いですわね」
「北欧育ちにはつらかろうな」
エアコンのきいた室内から、ムッとする回廊へ出てきたのだ。ソフィーは、白い肌にうっすらと汗をかいていた。
カラカラカラカラ……
聞こえてきた音に、二人は同時に首をめぐらした。エマが、
「〝塔の姫〟だ……?」
ゲストハウスの内庭。
咲き乱れる紫のブーゲンビリア、ピンクの
ソフィーが笑って手を振った。
少女は、微笑をたたえた口元を結んだまま、大きな瞳で、じっと二人を見つめている。
ふと、向きを変えて、カラカラカラ……と、渡り廊下の二人のもとまで近付いてきた。
「ご機嫌よろしゅう、姫様、昨日はありがとうございました」
車椅子の少女は、まっすぐ見上げているばかり。
微笑みかけていたソフィーは、ふと、顔を曇らせた。
「あの……ああ、台座を離れますと、喋れませんの?」
すると、少女は不安そうな顔になり、カラカラカラ……と、車輪を回して、あとじさった。
数メートル離れると、また、静かで落ち着いた微笑に戻り、去っていく。
花畑の間の小径。
エマは、ふと、思案顔になった。今のソフィーと〝塔の姫〟とのやりとりを反芻しながら、腕を組む。
「……つまり、そうなのか?」
「綾様、よく仕事の都合がつきましたねぇ」
沙記のバイクは、綾を後ろに乗せて、西苑の中を走り抜ける。
「クビ切り覚悟でモデルクラブに電話いれたもの」
笑って、綾はさらりと言った。
「え?! ライバルのねーさん達に、仕事が行っちゃうでしょう?!」
「いいの。今はもっと大事なことがあるから」
沙記は気付き、
「わっかりました!! ボクも精一杯協力しますよ!! なんでも、じゃんじゃん言いつけて下さい!!」
片手ハンドルでガッツポーズをした。
「……ていっても、ボク、活躍するとこないっすね」
苦笑する。
スポーツ万能、俊敏なことを活かして偵察役を引き受けるつもりが、東苑西苑の別なく顔の売れている沙記は、隠密行動に向かないと判断された。
どことなく頼りないくらいのジュリアのほうが、人にとけ込みやすいだろうと、スパイに起用されたのだ。
「そんなことないわよ、こうしてバイクに乗せてもらってるじゃない。――ホントはタンデム、好きじゃないんでしょ?」
沙記は、苦笑して、黙り込んだ。
「他にも十分、してもらってるわよ? 付き添ってくれてるだけで、助かってるもの」
説明はできないが、綾にとってはお礼を言いたいほど、沙記は役にたっていた。
昨日来、身体が全体的に異常な緊張状態にあることを自覚している。
エマを意識したり、西苑での記憶が不完全に喚起させられたりしたせいだろう。安らげる者がそばにいないと、まともに真っ直ぐ歩くことも出来ないのではないかという――総長として、全員を勇気づける笑顔でいるには困難なほどの――継続的な神経のこわばり、軽い麻痺。
それを知っての同情でなく、側に寄り添っていてくれる沙記の存在が、嬉しかった。
カラカラカラカラカラ……
西苑の厨房にも、彼女は訪れた。
窓の外に、車椅子で、ベベ・タイプのビクトリアンスタイルの服を身にまとった少女。大粒の、南洋の珊瑚礁のような光輝の瞳。静かな微笑。背中に負った羽根は、聞いていたほど大きくないが、
「リリー隊長が言ってたお嬢様かしら……」
向かいで、仕事をまかせられることなく、ぺちゃくちゃと喋っていたクララが、
「気になるのかな~?」
すると塔の少女は、不思議そうな顔でクララを見上げた。
「わーい、遊ぶ? 遊ぶ?」
クララが、にこにことはしゃいだ声をかける。
すると彼女は、また微笑を浮かべた。
唐突に、カラカラカラ……と、車椅子を動かして、去っていった。
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