第17話 アヤはなぜ西苑から東苑へ
「いいええ、全然!!」
沙記が綾に、無邪気な顔を向けた。
横で、マーガレットはクララを抱擁し、くりくりと頭を撫でている。
選挙管理委員会が、手に持ったスピーカーでアナウンスをしていた。東苑の生徒は東苑で自分のクラスだった教室へ入るよう、と繰り返している。
単純に計算して、ここ西苑の本来の生徒の半数が賛成派として東苑へ移動しているとして、東苑から来た反対派がちょうど滑り込めるだけの席があるはずだった。
リリーは、と見回すと、浅黒い肌の少女と連れだって歩いてくる彼女の姿が見えた。たぶんエスカドロン・ヴォランの一人なのだろう。
「おう、おったおった。こっちは西苑籍のエスカドや」
マーガレットも知りあいらしく、付け加える。
「西苑で、わたくし達と同じクラスにいるのよ」
「噂はかねがね聞いてるよ、式部綾さん。東苑で、二年睡蓮組なんだってね? 案内するよ。まあ、学舎の構造はだいたい知ってると思うけど」
「ありがとうございます、助かりますわ」
西苑のそれぞれのクラスから、東苑の同じクラスの生徒を探しに、沢山の生徒が出迎えにきていたが、綾は彼女とマーガレットと一緒に行くことにした。
と。
「式部綾様? 綾姫でいらっしゃいますの?!」
横合いから、上品な少女が小さく叫んで、呼び止めた。人ごみをすり抜けてくる。西苑の生徒らしく、見覚えがないが、浅黒い西苑籍のエスカドロン・ヴォランが、
「あ、委員長」
つぶやき、あれは西苑の二年睡蓮組のクラス委員長です、と教えてくれた。
彼女は焦げ茶のストレートヘアを揺らして綾の前まで小走りに来ると、嬉しそうに、
「『聖女会館』のバンケットホールでお顔をお見かけしたときから、まさか、もしかしたらと思っておりましたの」
一瞬、綾が顔をこわばらせたのを見て、沙記が警戒し、立ちふさがろうとする。が、彼女は既に綾の手を取ってはしゃいでいた。
「中一まで西苑にいらした綾姫でしょう?!
「え……?」
感極まったような彼女の様子に、血の気が引く。
「なんどす?
リリーがオウム返しする名前に、綾は、頭の中で漢字を充てることができた。
――え?
誰だか思い出せないのに、知っている。仲がよかった少女、シチュエーション、白い指、綺麗な頬、首、肩、愛らしさが蘇るのに、顔が、分からない。
美耶姫。
妹尾、美耶……?
「あ……」
――あれは……誰? 記憶が…… ――頭痛がする……
「綾様っ?!」
額を押さえた綾に、沙記が声を上げた。
「騒がなくてもいいわ、沙記。知ってるの、でも……」
「綾姫……?」
嬉しそうに近付いてきた、おそらく過去の級友なのだろう少女が、可哀相なくらい混乱した顔になっている。
「ありがとう、憶えていてくれて……嬉しいわ……でも……」
自分で喋っている声が、信じられないほど遠くなった。
二つの
美耶ではない。
真っ白な、人形のような童女の顔がいきなり綾の視界いっぱいに広がり、その二粒の大きな瞳が、綾を呑み込もうとした。
――深くて碧い――
――哀しい、哀しい――
――無表情に、
綾はふらりとその場に倒れかかった。
「うっわぁ、アヤ!!」
「すみませんねー、綾様、スプリング・ヒルに居たときから、ちょっと具合が悪かったんですよ!!」
「ナイスフォローや、沙記!」
「うえぇぇ、アヤちあああ?! ほけんしつー、ほけんしつーう!!」
「おほほほほ、クラス長様? よろしかったらわたくしだけ先に睡蓮クラスの教室の方へ連れていって下さいません? あちらでゆっくりお話を」
「おお、妙案どすわ。そっちは任せましたえ、マーガレット!!」
バタバタバタ!!
その場に他の生徒を残して、昏倒寸前の綾を沙記がよいしょと抱き上げると駆け出し、リリーとクララがくっついて、保健室へ向かった。
左右対称なだけだとすれば、西苑も、勝手知ったる校内だった。
「ええと……」
どこから事情を話せばいいのか、沙記に勧められるまま襟元のボタンを外して少しくつろげた綾は、ソファに身を沈めて、養護教諭が皆にふるまってくれた冷たいお茶のグラスを両手に抱えたまま、黙り込んでいた。
西苑高等部の保健室。さすがに室内まで東苑そのままというはずもなく、カーテンで仕切られた室内は、綾の知っている東苑高等部のものと微妙に机の配置や本棚や花瓶、観葉植物の鉢の類が違っている。
養護教諭は、少女たちのただならぬ雰囲気に気を利かせたのか、さきほど出ていった。
コーヒーテーブルを挟んで座っているのは、東苑の三人のエスカドロン・ヴォランだけだった。
「びっくりしたよぅ、アヤちぁぁ、もぉっ」
クララだけが元気で、さっきからしきりにさえずっている。
リリーが、テーブル越しに綾をひたと見た。
「西苑におったゆうの、ほんとうなん?」
「……」
リリーが真顔で切り出したので、クララが口をつぐむ。
こっくり、と綾はうなずいた。
「OK。それが珍しいことやゆうのも知っとうな?」
こっくり。綾はもう一度うなずいた。
リリーが、ウーロン茶のグラスを取り上げ、ごくりと喉を鳴らして呑んだ。綾も一口含んだ。
「ふん……ただの編入生やと思っとったわ……」
天井を仰ぐ。
源聖女館は、生徒の編入・編出が少なくない学校だった。
親の仕事の都合で各国を渡り歩く女生徒が多いし、エスカドロン・ヴォランは特に、推薦で入ってきたり、芸能活動を始めるために編入を希望したりで、中途入学生の率が高い。
クララは綾が東苑の生徒になる直前に入ってきたのだし、マーガレットは綾と同じ時期。沙記は綾より一年ほど後だった。
しかし、『転苑』をする生徒は、ごく珍しい。
「ごめんなさい、黙っていて……別に隠すつもりじゃなかったのだけど……」
東苑に編入した中二の春、前の学校についてことさら聞いてくる新しい友人はいなかったので、語らなかった。教師達も、源聖女館のしきたりや方針、時間割のことを丁寧に説明し、世話を焼いてくれたから、彼らも知らされていないのだと、綾は、三年間、そのままにしてきてしまった。
「ええと……」
「なるほどな。そうか。そやから、エスカドにはあんまし入りたがらへんかったんどすな」
「――え?」
「クラス委員で、月イチの『
「違う!! それとこれとは全然別だわ、リリー! 私もどうして転籍したのか、よく知らなかったりするのよ……信じて貰えないかも知れないけれど…… 分からない……」
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